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2007.04.01

戸塚から茅ヶ崎(1)・・・(旧東海道)

本日の万歩計の値は29,596(19.53Km)
まずは、戸塚から藤沢まで・・
fujisawa__001.jpg今日は8時30分に自宅を出て、戸塚駅までは電車で行きちょうど9時に駅を出発しました。
予定では、藤沢を通って辻堂経由で茅ヶ崎まで行きたいと思っていました。
まず最初に訪れたのは、澤邊本陣跡の直ぐ横にある、羽黒神社ですが、この羽黒神社は澤邊家が守り神として建立したものとのこと。 特にかわり映えのしないこじんまりとした神社でした。
戸塚の街は、JRの踏み切りから国道1号に向かう道路の進行方向に向かって右側に次々と神社仏閣が現れるが、これは道路の右側は山の尾根に面していて階段を配して神社仏閣を建立するのに適した地理的状況にあったためと思われる。
それで、次に現れたのは「臨済宗」の「海蔵院」というお寺である。神社に比べて仏閣が新しく立派なのは、お寺の周囲に墓地を造成して、大きな収入が得られるためであろう。

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fujisawa__004.jpg八坂神社は、横浜市指定無形文化財に指定されている「お札まき」と言う、夏祭りの7月14日に男子10数人が、姉さんかぶりでたすきがけの女装で渋うちわを持って踊るというのが伝わっている。

fujisawa__006.jpgここで、80歳程度と思われる2人のおばあさんに会いました。 桜が綺麗ですねと話しかけてきたのですが、毎月の1日にはお参りしている、以前は15日もお参りしていましたが、最近は1日だけにしましたと話していました。
穏やかで上品な雰囲気のおばあさんでした。

fujisawa__007.jpg富塚神社はこのあたりでは最も由緒のある神社で、康平5年(1062)、「前九年の役」平定のため、源頼義と義家が奥州に下る途中、富塚の森で露営をしたおりに、応神天皇と富属彦命のご神託を霊夢によって授かり建立したとのことで、富塚が変化して戸塚になったと言われている。
また、松尾芭蕉の「鎌倉を生きて井で(出で)けむ初松魚(はつかつお)」の歌碑や稲荷大神を祭った正一位玉守稲荷社がある。 芭蕉の歌碑は筆跡が見事ですね。

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fujisawa__010.jpg戸塚の宿の終点の「上方見付け」は、レストランのサイゼリアの1階駐車場の前にある。 既に古い標識などは失われており、新しく作り直したものだろう。
戸塚の宿も終わりに近づいた。 
下図の左側は第六天宮と境内の「藤行翁之碑」である。 藤行翁って誰のこと??
右は、石仏が道路わきに並んでいたのを撮影したものであるが、区画整理中に見つかった、石仏、碑などを破棄する訳にも行かず、集めて祭ることにしたものだろう。

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大坂の上りにさしかかると、大坂の道標がどこかにあるはずだと聞いていた。 道路左側のマンションの脇にあるようだとも聞いていた。 それで、注意深く見ながら進んでゆくと、下図の左のようにマンションの植え込みからかすかに、頭が覗いてみえた。 ちょっとお邪魔して撮影すると、たしかに大坂も文字が刻まれていた。

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大坂を上って、やっと国道1号に達した。 中央分離帯としてかすかに旧東海道の匂いを残していて、桜の花も彩りを添えていた。
ほどなく、「お軽勘平 戸塚山中道行の場」と書かれた石碑が目につく。 お軽勘平は歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」に出てくる架空の人物(お軽は大石内蔵助の愛妾がモデルとの説もある)にもかかわらず、ずいぶんと立派なものを建てたものだ。 とにかく、戸塚は今は賑やかな街だが、昔は山の中でいかにも「駆け落ちで山中をさ迷う」のに似つかわしい場所だったようだ。

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fujisawa__017.jpg国道を歩き、「吹上」の交差点を過ぎると、道路の左側に「一里塚」があったことを示す「表示板」があるが、次に訪れたい「浅間神社」は道路の右側であり、どうしても「吹上」で道路を横断するしかない。
しかたなく、「一里塚の掲示板」は道路の反対側からカメラのズーム機能を使って撮影したが、思ったよりうまく行った。 江戸から11番目の一里塚である。

fujisawa__019.jpg古語で火山のことを浅間と言ったそうで、浅間神社は富士山の浅間神社が本宮で、あちこちに散在している。
祭神は、木ノ花之佐久夜姫ノ命(このはなのさくやひめのみこと)である。

fujisawa__021.jpgここの、浅間神社も参道が長く、名木、古木の横浜市の立て札のある「シイ」の木もあり、立派である。
しかし、参道の木立のわずかかの幅を残して、民家が迫ってきている。 人口増が著しかった横浜市であってみればむべなるかなと言ったところか。

fujisawa__020.jpg浅間神社を過ぎて渋滞情報で有名な原宿交差点を過ぎると、単調な道程が続く。途中「諏訪神社」の名木古木指定のクスノキを見学して、美しい桜並木を進んでゆく。

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やっと、藤沢の「遊行寺」に着いた。 お寺の正式名は「藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)」と言い時宗総本山である。 時宗とは、念仏踊りで有名になった「一遍上人」が開祖で、寺は第四代呑海上人(どんかいしょうにん)によって建られたと案内板にあった。
大きなイチョウの木が有名だが、毎月1日のことなのか、境内で骨董品の市が開かれていた。
また、花見の宴席の賑わいも、随所で見かけた。

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「一遍上人」の銅像も、なかなかリアルな感じだ。
ところで、遊行寺坂にあるという「一里塚」は見落としました。 ネットで調べても、雑草に埋もれていて見落とし易いと書いてありました。 それにしても残念です。
長くなるので、今回のブログはここで終わりとし、新たなエントリーを設けて続きを書きます。


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