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2009.10.09

杉戸から間々田(その2)・・・(旧日光街道)

JR東北本線(宇都宮線)の中田踏切を渡ると古河市茶屋新田である。
踏み切りを渡って直ぐに、うどん屋さんがあり、ようやく昼食にありつけた。時刻は12:18であり、この辺りには他に食堂はなく、ボックス席でゆっくりしたかったが、込み合っていて、カウンター席しか空いていなかった。
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広い真っ直ぐな道が、4Km以上も続く。松も植えられ将来の成長が期待される。長い直線道路も終わり僅かに左にカーブして国道354線との交差点を過ぎると、左手に「古河二高」が見えてきて、その校庭には「古河一里塚」がある。校庭内であり、道路が少し低く切り下げられているので、なんとも見え難い一里塚である。
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1Kmほどで、古河の市街に入って行く。道路の左側に「日本三長谷観音参道」と書かれた石碑が立っている。小道に入って直ぐにの左手に、大きな楓(かえで)の木が塀の上に覗いていた。古河市指定の名木古木とのこと。たしかに、これほど太い楓の木は見たことが無い。
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500mほど進んで、ようやく「長谷観音」にたどり着いた。長谷観音は、古河城の鬼門除けとして明応2年(1493年)に古河公方足利成氏が鎌倉の長谷寺より勧請したもので日本三大長谷観音の一つと言われている。そして、引き返し、途中で左折して「古河歴史博物館」への通りに入って行く。右の写真に見える古河城の家老鷹見宅跡の塀のたたずまいが、良い雰囲気を醸し出している。
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古河城の家老であった鷹見泉石(たかみせんせき)の屋敷跡が、今は鷹見泉石記念館として公開されている。鷹見泉石は古河城主の土井利勝に仕えたが、「土井の鷹見か、鷹見の土井か」といわれるほどに、その能力は賞賛を受けた。また、蘭学者でもあり、ヤン・ヘンドリック・ダップル(Jan Hendrik Daper)という蘭名も署名に用いているとのこと。

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鷹見泉石の屋敷を出た左手には、古河歴史博物館がある。涼しげな噴水で、霧になった水滴が噴出している。古河城の大部分は、渡良瀬川の改修工事によって水没して、古河城出城に当たる、諏訪廓跡に建てられたのがこの「古河歴史博物館」とのこと。時間の関係で入館しなかったが、建物の外観、庭の造りも洗練されている。
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博物館から古河文学館の方に進む。途中の水路は、元のお濠(ほり)を思わせるもので、新たに整備したのであろうか。そして、古河文学館の前を進んで行く。
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街道に戻るため、古河第一小学校の前を通る。レンガ作りの立派な校門である。周りの緑の樹木とも良くマッチしている。
そして、ようやく、本町二丁目の交差点に出た。この辺りが市街の中心らしい。古河駅入口は、次の信号である。
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古河駅から帰宅することも考えたが、時刻は2時半であるので、次に進むことにした。歩いて行くと、歩道に「左日光街道」の石柱が立っていて、左折の場所を示していた。枡形の始まりである。
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道路は花形のレンガを敷き詰めて、心地よい雰囲気を出しているが、街道には不似合いな「ないものはナイ」の派手な看板の雑貨屋があった。この雑貨屋を過ぎて、右折して、「よこまち柳通り」に進んで行く。
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まず、目に付くのが、明治初期の建物の「うなぎ料理の武蔵屋本店」である。食事どきに通ったら、是非入ってみたいお店である。歩道には、ところどころ休憩のための石の椅子と水飲み場までも配置されていて、旅人の便を図っている。
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「若杉鳥子」の文学碑があった。寡聞にして若杉鳥子は知らなかった。調べると、豪商の妾腹の子として明治25年(1892)、東京に生れ、古河町の芸者置屋の養女となるが、学齢まで貧農に里子に出され、尋常小学校4年卒業後は芸者の修行をさせられるなど、厳しい人生を余儀なくされた。しかし、12歳のころから、「女子文壇」「文章世界」などに投稿を始め17歳の時、中央新聞の記者を経て雑誌記者なども歴任。女子文壇の投稿仲間の水野仙子、生田花世、今井邦子らと交友を結び、19歳の時板倉勝忠と結婚。その後、プロレタリア作家としての評価を受け、宮本百合子、佐多稲子らと「働く婦人」の編集などに従事。昭和12(1937)年病没した。
文学的な才能に恵まれたのが幸いであったが、まだまだ女性には厳しい世相であったのであろう。
そして、4枚の大きな屏風風のモニュメントでレンガ敷きの道路は終わるが、道はまだまだ続く。
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大きな道路にぶつかると、古河宿も終わりで、松並という地名の地域に入って行く。名前の通り、昔は松並木が続いていたそうだが、今は全く気配もない。1Kmほど進むと、左側に「ザ・カナルハウス」という洒落た建物がある。ウエディングパークだとのこと。
続いて、「マーケットシティー古河」の名の郊外型の大きなショッピング施設群がある。
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少し先には、左に「野木神社」の長い参道が見える。本殿は1Kmほど先なので、参拝はスキップした。街道が続いて行く。
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野木宿の木戸があった場所が示されていた。せめて石碑ぐらいは、建てて欲しいと思う。そして大きな「十九夜」の大きな石碑が立っていた。大きくて立派だ。中山道を歩いた折には「二十三夜」の石碑を良く見かけたが、この辺りは「十九夜」が多いようである。
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「十九夜」の石碑に感心していたら、そこは「満願寺」の入口であった。この寺は野木神社の別当寺だったという。
それから200mほどで、浄明寺がある。
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さらに進むと、古い道標が立っていたが、風化が激しく文字は読めなかった。説明書きによれば、「是より大平」と刻まれているとのこと。例幣使街道の栃木宿太平山に抜ける道で日光道中の裏道ともなっていたという。
道路が、緩やかに右にカーブする手前で、少し奥まったところに「観音堂」があり、入口付近には、江戸時代の石塔群が立っていた。「日光道中絵図」にも描かれている名所であったとのこと。

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野木松原の交差点の手前に、門構えの立派な農家があった。昔の豪農でもこだれけの家は無かったのではなかろうか。ともかく、この辺りの農家は立派な家が多い。
その後、友沼の交差点、役場入口の信号と2Kmほど進むと、道路の左側に「法音寺」がある。法音寺は立派な2つの山門を備え、その間には弘法大師像があり、見事な本堂であった。また、芭蕉の「道ばたの むくげは 馬に喰われけり」の句碑が立っていた。「道ばたの・・・」は「道のべの・・・」とする諸本も多いと説明板に書かれていたが、小生も「道のべの・・・」と憶えていた。
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道路の右側には、「友沼八幡宮」があり、日光参詣の途次、ここで将軍が休憩したところであった。古河を出た一行が最初に休憩する場所で筑波山が正面に見える景勝地であったとのこと。
進んで行くと、道ばたにも小さな鳥居を備えた、2つの小さな石の祠があった。小さくとも、これだけ立派なものを見るのは初めてである。
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さらに1Kmほど進むと、左側に「若宮八幡宮」があり、境内に大日如来坐像がある。説明板によれば、宝永6年(1709年)、江戸湯島の渡邊九兵衛が父母の供養のため鋳造しその生国に安置したと伝えられている。戸外に安置されていたため濡れ仏と呼ばれていたが今は立派な屋根が造られている。
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時刻は午後4時半を過ぎ、流石に足も悲鳴を上げ始めた。また、1Kmほど進むと、300mほど奥まったところに八幡宮があるが、訪れるのはスキップし、一の鳥居を撮影していたら、子供が2人自転車で飛び出してきた。なるほど地図で調べると、神社境内に乙女小学童保育クラブがある。さらに、乙女八幡宮の右側の道路を1Km程西へ向かうと思川(おもいがわ)の乙女河岸(かし)があったところで、元和2年(1616年)、日光東照宮の造営が始まると思川は御用川となり、江戸より運ばれた資材は乙女河岸で陸揚げされ、小山宿経由壬生街道で日光へ運ばれた。
それ以前には、関ヶ原の戦いの前の小山会議の後家康が、この乙女河岸より船に乗り急遽江戸に戻ったとの記録もあるとのこと。古くから船の便の発達したところで、その後も、江戸との船運の要地で、商取引の中心であったとのこと。道路の反対側には大きな寺名碑の「佛光寺」が静かな佇まいを見せていた。
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さらに、境内には一休さんの像とおぼしき石像が置かれていた。中山道で鴻巣を歩いたときの「箕田観音(みたかんのん)」でも同じ石像にお目にかかった。その後、ようやく間々田駅入口の交差点にたどり着き右折して間々田駅に到着した。
いままでの日光街道歩きでは東武鉄道を利用していたが、ここはJRの東北本線(宇都宮線)である。幸いにも、湘南新宿ラインの厨子行きの列車が入ってきて、私の住んでいるところの最寄り駅(東戸塚)まで、全く乗り換え無しで帰ることができた。疲れて睡魔に襲われながらも、ゆっくりと休みながら帰宅することが出来たのである。
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コメント

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鷹見泉石屋敷跡と古河歴史博物館はパスしてしまいました。残念!

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どうしても、後でシマッタと思うことが起こりますね。
わたしは、幸手で聖福寺を飛ばしてしまい、勅使門をカメラに収められませんでした。

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