2007.03.21
保土ヶ谷から戸塚(1)
21世紀のご時世になっても、旧東海道を歩いて、江戸の日本橋から京の三条大橋まで行こうとする人がいる。紹介のページでは21日要していた。
これに、刺激された訳でもないが、私の住んでいるあたりでも旧東海道の匂いは残っているのだろうかと、保土ヶ谷から東戸塚まで歩いてみることにした。
まず、保土ヶ谷駅に行き(これは電車で)西口を出て10mほど行くと、「歴史の道 旧東海道」と書かれた新しい立て札が立っていた。
直ぐ左に折れて歩く。ここがかつては保土ヶ谷宿の街並みが続いていたところだが、いまは、なんと言うことも無い商店街である。
それでも、少し行くと石の道標が4本立っていた。(クリックで説明看板表示)
ここで、左に進むと「金沢鎌倉道」で、進むと「御所台の井戸(政子の井戸)」などもあり、弘明寺を経て鎌倉に通じていた。
さらに、少し行くと道路はJRの東海道線の踏切を渡って、国道1号線に突き当たる。
ここで。右折れして戸塚方面に進むと、すぐに「旅籠屋(本金子屋)跡」という復元されたのか、少し立派で古い模様の建物に対面する。
歩いていると、マンションの壁などにも「保土ヶ谷宿」の紹介の看板が埋め込まれていたりするのが、面白い。
さらに、進むと「東海道保土ヶ谷宿の松並木と一里塚」と書かれた真新しい立て札が立っていた。 日本橋から8番目とあるので、約32Kmの距離である。
さんざん、破壊しつくしたのに気がとがめたのか、すこし修復しようとしているようで、道路際で松を植える工事をしていた。
いよいよ、国道と別れて、旧道に進むが、もちろん旧東海道の面影はほとんど残っていないばかりか、「旧元橋跡」と書かれた道標が建っている場所がゴミの収集場所であるらしく、ゴミ袋が道標の下3分の1程度を埋めているのは、なんとも痛ましい。 やがて丁字路で左に折れ、すぐに「権太坂」の入り口にさしかかる。
「権太坂」と言うと、新年の箱根駅伝中継でよく聞く地名であるが、あれは国道1号線の「権太坂」であり、こちらが正真正銘の「権太坂」で国道とは比べ物にならないほどの急坂である。
箱根に次ぐ難所で行き倒れの人も出て、その人達を弔った「投込塚」と言うのが残っていて、いまも花が絶えないと言うのだから、すごいところだったのだろう。
権太坂は改修されたので、昔はどうであったかは分からないが、いまは「保土ヶ谷バイパス」の上を横切っている。 急な坂道もだいぶ緩和されたのであろう。 下の写真は登ってきた坂を振り返って撮ったもの。
一方、海が綺麗に見えるところとして東海道の名所として有名で、浮世絵などにも描かれたところであったとのこと。
「権太坂」を上り詰めて、旧東海道を辿ろうと思っていたのだが、住宅街の道路に迷い込んでしまい、思惑外の道路を通って、東戸塚駅に着いてしまった。 残念だが、またの機会に迷ったあたり以降を辿ってみようと思う。