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2009.09.26

新河岸から川越

本日の万歩計24,516(15.9Km)

川越街道を歩く旅は3回で9月26日に川越に到着し、完了。

川越街道も今日で3日目、新河岸からの開始で川越は近く、最後の歩行である。新河岸駅を8:30に出発。歩き始めて直ぐに、左手に入り地蔵院を訪れるが、ほとんどが墓地と化していて見るべきものは無い。
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さらに進むと、小さな春日神社があり、不老川を渡る。不老川は昔は「としとらずがわ」と呼んだそうだ。名前のわりには、大した言い伝えもなさそうだ。
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街道らしい家が現れた。小江戸川越の古い民家をお年寄りの介護保険施設に利用していると説明板に書かれていた。歴史的な価値はあっても、古い家屋は老人の施設には利用し難いと思うのだが。
そして、烏頭(うとう)坂に差し掛かる。今は、緩い坂道であるが、当時は新河岸に川舟で着いた荷物を川越の問屋街に運ぶのに越さねばならない難所であったとのこと。また、この鳥頭坂は川越でもっとも早くから知られている地名のひとつで、文明18年(1486)の書き出しで始まる道興准后の「廻国雑記」に、これより武士の館へまかりける道にうとう坂といえる所にてよめるとある。
 うとう坂こえて苦しき行末を
 やすかたとなく鳥の音もかな

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烏頭坂から階段を上ると、熊野神社が鎮座していた。街道に戻ると、その先で国道254号線と合流し、直ぐに国道16号と交差する。さらに、JR川越線と東部東上線を跨げば川越の市街に入って行く。
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菅原道真の山車と書かれた、山車の収納庫と菅原道真神社があった。10月の祭りにはここからも賑やかに山車が繰り出されるのだろう。
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川越駅の観光案内所に寄り、案内図を貰って元の街道に復帰して進むと、川越の枡形がある。今は、車の通行に便利なように緩やかなカーブを描く道になっている。この先の信号で右の小道に入って行き「喜多院」を訪れる。平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号したが、江戸時代はじめに川越大火があり寺の多くの建物が焼失し、再建された中院に天正16年(1588年)、徳川家の尊崇が厚かった天海が入寺し、寺号が喜多院と改められた。
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境内には五百羅漢もあり、少し離れて東照宮もある。東照宮は、元和3年(1617)家康の遺骸を久能山から日光に移葬する途中喜多院に4日間逗留して天海僧正が大法要を営んだ因縁で寛永10年(1633)に創建したもので、国の重要文化財に指定されている。日光、久能山とともに、三大東照宮と言われているそうである。
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街道に戻り、進むと天皇皇后両陛下に献上した芋のお菓子を売る「芋十」の古い建物が見えてきて、その先には国登録有形文化財の「佐久間旅館」がある。道の右側のキリスト教会は修復中で青いシートで全面覆われていた。
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いよいよ終点が近づき、蕎麦屋の「百丈」がある。昭和初期の建物で、「看板作り」という様式でこれも国登録有形文化財である。江戸期の商家などは軒が大きく張り出していたが、関東大震災以降に道路拡張で軒を張り出す余地がなくなり、前面が平面的な造りになり、これを看板様式と呼んだのだという。
川越市役所に到着し、川越城を創建した太田道灌の銅像に対面である。川越城大手門跡の碑も建っている。3日間の歩行であったが、これで川越街道は終わりである。
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ここからは、付録であるが、東武東上線沿線に住んでいる私の妹が、会いにきてくれて、一緒に蔵造りの街並みを散策する。NHKの朝のドラマの「つばさ」が川越が舞台であることから、大勢の人が訪れている。
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酒井忠勝が建てた「時の鐘」である。現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたものとのこと。
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横道に入ってもなかなか情緒がある。国・登録有形文化財の元の埼玉銀行本店のビルがある。埼玉銀行は、その後協和埼玉銀行となり「あさひ銀行」と商号変更してさらに大和銀行が合併して「りそな銀行」となった。それで、今は「りそな銀行川越支店ビル」となっている。
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蔵造りの中央通りを駅の方に進むと、開基は1549年の蓮馨寺がある。北条の家臣で川越城主の大道寺駿河守政繁の母、蓮馨大姉が仏教をひろめ民衆にこころのより所を与えたいと考え建てた寺で、以後、庶民の寺として親しまれてきたという。
ここで、駅方面への商店の並ぶ通りに移って、駅前で例によりコーヒーを飲んで休憩の後、川越駅から東武東上線で帰宅した。
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