2009.09.23
成増から新河岸
今日は、不覚にも万歩計を忘れてきた。何歩歩いて何キロか分からない。地図上で大雑把にみると、前回とほぼ同じくらいか。
ともかく、約束の8時に東武東上線の「成増駅」に着き、早速駅前にある「うたの時計台」の前に立った。成増駅から少進むと「白子宿」で元々白子は「新羅」の転訛で、渡来人らが開いた土地とのことだが、童謡の作詞者の「清水かつら」が晩年を過したことから、それににちなんだ時計台である。
いまでも、「叱られて」は歌える人は多いと思うが、「緑のそよ風」となると出てこない人が多いのではなかろうか。
みどりのそよ風 いい日だね
蝶蝶(ちょうちょ)もひらひら 豆のはな
七色畑に 妹の
つまみ菜摘む手が かわいいな
国道沿いの繁華街が過ぎた頃、切り通しの下り坂となる。昔はかなりな急坂であったのを緩和するための切通しであろう。坂を下りると、道端に「八坂神社」のこじんまりとした社殿が建っていた。やはり京都の八坂神社を勧請したものとのことである。
東埼橋の交差点で国道と別れ、その先の白子郵便局のある信号を右折して、白子鎮守の熊野神社を訪れた。熊野神社の横には、日露戦争への出陣を前に乃木希典が参籠した清龍寺不動院がある。また、心願成就を願い修行をおこなった龍神の口から流れ落ちる不動の瀧があった。桂太郎首相も時期は違うが、ここで参籠し、滝に打たれ、「神龍山」と大書した扁額を奉納している。
さらに、清龍寺不動院の左側に、開運巡り洞窟の案内版があったので進むと、小さな洞窟があり、入口には電灯を点けるスイッチがあり、くぐり抜けられるようになっていた。くぐって行く途中で横浜にある「田谷の洞窟」を思い出した。
元の交差点に戻り、県道を横切り進むと、大坂通りと呼ばれる急坂で途中には、「大坂ふれあいの森」と書かれた小広場がった。広場の入口の階段の小鳥を配したゲートが面白い。
大坂の急坂を過ぎると、静かな住宅街の中の道が続く。再び県道に合流して歩道橋で東京外環状道路を渡り、東部東上線の和光市駅への交差点を過ぎ、朝霧警察署を過ぎると、右手に重厚な檜皮葺(ひわだぶき)の建物があった。膝折宿旧脇本陣村田屋である。おばあさんが1人で落ち葉を拾い集めていた。脇本陣である石碑も痛んでほとんど読めなくなっていた。教育委員会で本陣跡の碑の建立と合わせて何とかして欲しいものである。
膝折町内会館の交差点を左折して進むと、黒目川を渡る。水は綺麗で鯉が二匹泳いでいるのが見えた。そして、直ぐに変則的な膝折3丁目の交差点に遭遇したが、旧川越街道は庚申塔の左側であったが、間違えて戻る羽目に陥った。
再び交通量の多い道路に合流して、進むと、野火止大門の交差点で、平林寺と彫られた大きな石柱が建っていた。平林寺までは1kmほどあるのでスキップし進むと、武蔵野線のガードをくぐり、やがて右手に、神明神社が見えてくる。昭和の初期までは、境内横を流れる野火止用水が水車を回し、旱魃には雨乞いの行事も行われたという。
さらに進むと、大和田郵便局の隣に荒れ果てた観音堂があり、お地蔵さんのみが凛とした姿で立っていた。そして、柳瀬川に架かる英(はなぶさ)橋を渡って浦和所沢バイパスの英インターを横切って行く。
インターをすぎると、跡見学園女子大学のキャンパスがあり、そろそろ昼食の時刻にさしかかる。直ぐに雰囲気の良さそうなレストランを見つけて食事を取る。食べ終わって外に出ようとして驚いた。入口のレジカウンター前は、大勢の人でごった返ししている。とても人気があるレストランのようだ。
昼食を済ませ、満足して進み資料館入口の信号の先に「川越街道」と書かれた大きな石碑があり、中央分離帯にはケヤキを植えられた美しい道が続く。
道路の左側の歩道を歩いていたが、反対側に由緒のありそうな神社が見えてきたが、容易には道路を渡れない。ズームで写真を撮って済ませたが、後で調べたら寛文元年(1661)の建立の木宮稲荷神社とのこと。
ケヤキ並木の終わりにも「川越街道」の石碑があり、その先には広源寺。寛永16年に竜国呑海和尚の開基とのこと。仁王様は山門にあると思っていたが、ここでは本堂前に堂々たる姿を見せている。確かに大きすぎて本堂前の空の下に建立するより方法はなかったように思える。
しばらくすると、今度は松を主体とした並木道となり、その最後には最も大きい「川越街道」の石碑があり、少し先には大井氏の城館跡につくられたという徳性寺がある。
東入間警察署入口の信号を過ぎると、大井小学校があり、その校庭脇に国登録有形文化財の「旧大井村役場」が建っている。国の登録とするほどの建物には見えないのだが。
少し先で、国道から右に旧道が分かれて行き、大井総合支所庁舎に向う道路との交差点に「角の常夜燈」と言われる古い常夜燈が建っていた。ここは、川越街道と大山詣での道の交差点であったとのこと。
さらに、先には正和3年(1314)の開基という古刹の地蔵院がある。ここでは仁王様が山門の前に配置されている。昭和27年火災により本尊と山門のみ焼け残ったのだという。
さらに、境内には樹齢350年の「しだれ桜」があり、説明板には「しだれ桜」の寿命は300年前後といわれており、平成10年に樹勢回復の措置がとられたと書かれていた。
そして、国道との合流点には神明神社があり、上福岡駅への交差点を過ぎると、再び旧川越街道は国道から左に分かれ、進む。やがて左に東光寺が見えてくる。法事でもあるのか、何人かの人が境内で見かけられた。
時刻は3時30分で、今日はここまでと、その先で新河岸駅への道に右折して、駅前の喫茶店で休憩して帰宅した。