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2008.06.14

須原から十二兼

本日の万歩計29,958(20.1Km)
木曽路に入ると、電車の便が悪く必然的に1泊して2日間の歩行となる。このため、ブログの記事を書いたり、次の予定区間の下調べ、宿泊ホテルの予約などを考えると連続した週の歩行は厳しい。しかし、既に梅雨の季節に入って晴天を逃せば、次はいつになるか分からないと考え強行した。
前回帰途に着いた須原駅に12時8分に着いた。これが、一番早い到着なのである。
もちろん、須原駅は無人駅で、駅前には江戸時代から「桜の花漬け」を製造販売する「大和屋」が店を開いていて、菓子やアイスクリームなども置いている。脇本陣と問屋を務め、現在も地酒「木曽のかけはし」の蔵元を続ける西尾家の店である。
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須原では、木の丸太をくりぬいて水場を作っているのを見かける。これを「水舟」という。左の写真のタイプがほとんどであるが、右のタイプもたまにはある。コップを置いてある水舟は飲料可能のサインのようであり、旅人も自由に喉を潤してゆく。
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もう、歴史的な遺構は少ないが街並みは街道の様相を見せており、右の写真は鍵屋の坂で、水路を挟んで両側に道がある。江戸時代の一般的な街道の様を残しているとのこと。
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塩尻からの電車の中で、隣に座った千葉在住で小学校の同窓会に出るため「寝覚の床」に行くと話した年配の方から、須原で是非寄りなさいと言われた「定勝寺」に向かう。臨済宗妙心寺派の寺で嘉慶年間(1387年?1388年)に木曾氏により創建されたとされる名刹である。山門脇には水舟があり、美しく素晴らしい庭園を持ち、樹木の緑が殊更に映えるお寺であった。
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須原宿を過ぎ、長坂と呼ばれる坂を上って、進むと山の斜面にヤグラを組んで配置されたお堂がある。岩出観音と呼ばれ、馬頭観音が祀られている。江戸中期の建立と伝えられる。
その後、道は左に曲がって山を回りこむような感じで大桑の集落に向かう。どこか懐かしい、のどかな田舎の道が続いている。
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途中、文禄年間(1592?1596)定勝寺七代天心和尚の開山の地久山天長院がある。須原の定勝寺の末寺である。色々な表情の小さな地蔵が並んでいた。東海道の興津の清見寺の五百羅漢を思い出した。
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天長院の辺りから見る風景は、日本の田園風景の原点のように感じられ美しい。のどかな道が続き大桑駅が近い。
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大桑駅を過ぎて国道に合流すると、「道の駅大桑」があり立ち寄って一休みし、しばらくは国道を歩くこととなった。ようやく国道を離れて野尻宿に入って行くと、「本陣跡」の木の立て札があったが文字が相当に薄れている。どうも、野尻宿は中山道の遺構の保存には無頓着らしい。それでも街並みはそれらしい姿だ。
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野尻宿を過ぎて、JRの踏切を2回渡って、進んで行くと国道の下にトンネルがあり、ここを潜るようになっていた。元来、水路としてのトンネルで、その中を人が通れるようにしたもののようだ。メッシュの底板の下には水が流れていて涼しい。夏に涼みにくるとよいのではと思われた。
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JR十二兼駅に着いた。時計を見ると午後4時17分。駅で列車の時刻表を見ると、中津川方面行きは4時24分である。少ない本数の木曽路の列車で、全くドンピシャリと言える時刻だ。迷うことなく、今日はここで終えることにして、今日の宿を予約してある中津川に向かった。