2010.11.10

トルコとエジプトの旅(5日目:11/2)・・・(旅行)

五日目です。今日は、午前中にヒエラポリス遺跡と石灰棚を見学し、410km走ってコンヤに着き、メヴラーナ博物館を見学して宿泊です。
Thermal Colossaeは大きなホテルで860人も収容できますが、この地域は建物の高さが制限されているので、長い廊下から横に幾つも張り出すように2階建ての客室が建っています。
相変わらず早く目が覚めるので、6時30分には朝食を食べ終わります。今日も快晴です。ロビーを見渡しても、まだ誰も居ません。
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敷地内を見るとプールがあり、その向こうの室内には温泉プールがあります。
エントランスを写すと、流石に5つ星ホテルの美しさです。
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さて、7時半にバスで出発して、20分ほどでヒエラポリス遺跡と石灰棚の入り口に到着です。
南ビザンツ門を潜って進んで行くと、右側の遠くに円形劇場が望見できます。
ヒエラポリスと石灰棚と言いながら、ヒエラポリスは、円形劇場を望見するくらいで、ほとんどは石灰棚観光に費やされる旅でした。団体旅行ではやむを得ないことでしょう。
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進んで行くと、木の歩道になっていて、温泉が流れ出しています。最近は、温泉の量が減り、流量を制限しているので、これほど多く流しているのは珍しく、運がよいとガイドのケレムさんが言っていました。
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木の歩道が終わって、左に曲がって行くと靴を脱いで素足になれば、石灰棚に入って行けます。靴とソックスはビニール袋に入れて持って入ります。石灰棚表面を薄く流れる部分は、暖かくはないが、溝になっていて勢い良く流れているお湯に足を入れると暖かいです。
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石灰棚表面です。左は痛くないが、右のような形状の場合は素足で歩くと痛みを感じます。
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遠くを見ると、かつて温泉が流れ石灰棚が形成され、今は干上がってしまった棚が見えます。また、一番下にはパムッカレ村の池があります。
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素足で歩いた石灰棚から出て、さらに先端方向に進むと、まるで雪が積もったような雄大な景観が望めます。
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青いお湯を湛えた、絵葉書にあるような場所はないのかと、ヒエラポリス博物館の前を通り、石灰棚の領域の反対側に回ってみました。すると、ようやく青いお湯を湛えた綺麗な石灰棚が撮れました。昔は、どこもこのような景観であったのではと思います。
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集合時間が近づいてきたので、急いで戻りながら、もう一度ヒエラポリス遺跡の中心部分を撮りました。
この遺跡も、ゆっくりと見学したかったですね。
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石灰棚を後にして、コンヤに向かいます。車の窓からは、山も見えますが圧倒的に広い畑の広がりが多いです。しかし、今は取入れが終わったあとか、たまに野菜が植えられているのが見えることもありましたが、作物は見えません。
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2時間弱走って、例によってトイレ休憩です。ここは、「ヨーグルトにハチミツとケシの実をかけた」のが名物のようです。食べてみると、なるほど美味しかったです。
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また、2時間ほど走って昼食です。時刻は12時50分です。前菜は豆の料理で、パンの他にもトルコ風ピザが出ました。メインは、ポテトとピーマンを焼いたものに、ご飯と肉です。いずれも美味しい良い昼食でした。
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2時間ほど走ったところで今日泊まるRIXOSホテルの傍を通りましたが、バスはさらに20分走り、コンヤの市街に入って行き、インジェ・ミナーレ神学校の前で停車します。写真撮影のための短時間の停車です。コンヤを代表する建築美といわれる神学校で、1267年の建造とのことです。
なお、コンヤは、トルコでいまだ宗教色の色彩が濃い町で、伝統的なイスラム風の衣装を身につけた女性も多く見られます。
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コンヤの街をバスの中から撮りました。窓ガラスに反射して見難いですが、なかなか賑やかです。
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次に、メヴラーナ博物館に行きました。この博物館は元々、メヴラーナ教というイスラム教の一派の教会でした。メヴラーナという人が創始者で,旋回舞踏といわれる踊りで,くるくる回りながらどんどん恍惚の世界に入って行き、悟りの境地に入るとのことです。
トルコ共和国の創立後,初代大統領のアタテュルクが解散を命じ,この本拠地である寺院を博物館としたのです。これは、異端の宗教が争いの元になるのを廃し、しかもメヴラーナを否定することまではしないという、賢明な策とされているようです。
内部には、靴にビニールのカバーを着けて入ります。博物館内には、メヴラーナその人の柩の他、聖職者の柩、金箔の装飾を施された古いコーランなどが陳列されています。
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博物館の外に出ると、老夫婦が孫を抱いていました。イキ、イキと言っていたのが聞き取れたのですが、イキはトルコ語で2なので、双子だと言っていたのでしょうか。それにしても、孫が可愛いのは、万国共通のようで、ニコニコしています。
バスで20分ほど戻り、RIXOSホテルに5時過ぎに着きました。入り口の回転扉が、メヴラーナの旋回舞踏を表しています。ここを潜ると、無粋にも空港と同じようなセキュリティーゲートを通る必要がありました。ブザーが鳴っても日本人はフリーパスのようですが。
25階建ての大きなホテルなので、夕食のレストランも大勢の宿泊客で混み合っていました。レストランの隅では、トルコ音楽の生演奏が奏でられていました。
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2010.11.09

トルコとエジプトの旅(4日目:11/1)・・・(旅行)

四日目になりました。今日は、エフェスの遺跡を見学するのが主で、途中 トルコ石と革製品の店により、パムッカレまで450Kmほどの旅です。
やはり、モーニングコールの前に目が覚めます。出発は7時30分ですが、朝食を終え、部屋に戻ると、窓からバスが駐車していて、その向こうにはエーゲ海が広がっています。今日も快晴です。
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昨夜撮れなかったホテル正面です。Grand Temizelのロゴが輝いています。
出発してしばらくは、海を見ながら走ります。
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1時間ほどで、トルコ石の店に寄ります。店員は皆な日本語が堪能で、チャイまで出してくれますが、女性陣はともかく29人中6人の男性陣は、全く興味なしです。何人かの女性が水酸化銅アルミニウム燐酸塩である鉱物を手に入れるために高額な支払いをしていました。家内も手ごろなものと、1つ買ってしまいました。
なお、トルコ石は、今の国名で言うならイランであるペルシャで多く産出され、トルコ経由でヨーロッパに広まったためトルコ石と呼ばれるようになったとのこと。また、古き時代に遊牧生活を行っていた人達に根ざすトルコでは、空が青く見える天気の日は、移動生活を行うにも楽であり、スルタンに至るまで殊更に青を愛する気持ちを持っていたとのことです。
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トルコ石のお店で30分ほど費やし、2時間ほど走ってトイレ休憩です。
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その後30分ほど走ると、セルチュク(Selçuk)の町に近づき、山の上にビザンツ時代の城塞が見えてきます。
そして、左手側に豊穣の女神アルテミスの遺跡の柱が1本だけ見えてきます。
古代の7不思議に数えられ、紀元前7世紀頃から120年かけて建てられたもので、直径1.2m、高さ19mの円柱が127本もあった壮大な神殿だったのですが、ローマ皇帝がキリスト教を受入れて以降、エフェスの住民もキリスト教に改宗する人が多く、アルテミス神は魅力を失い、神殿は破壊され、大理石の柱などは、教会建設に利用されたといいます。
なお、世界7不思議の不思議の意味は、不可解なものとのニュアンスはなく、必見すべきものといった意味だとのことです。
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アルテミス神殿跡の柱が見える通りから、右の方を見ると穴の開いたドームが重なったような建造物がありました。古く、崩壊しつつあるハマムの建物だとのことでした。
この通りは、歩道にライオンを模した柱も立っていて、遺跡の町らしい工夫をしています。
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お昼時になり、レストランでチョップシシの昼食です。チョップシシとは、羊の肉をあたかも焼き鳥のように串に刺して焼いたものです。飲み物は、石榴(ざくろ)ジュースを注文してみました。
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10分余しで、エフェスの遺跡に着きました。トルコ最大の遺跡で、紀元前12世紀に建設された都市国家です。最盛期はローマ時代で、小アジア属州の首都でした。
下の左の写真は、ヴァリウスの浴場です。
円柱の間を歩きながら、シンプルな構造のイオニア式、左右対称な渦巻きのドリア式、複雑な構造のコリント式などの説明を聞きながら歩いて行きます。
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1,400人収容のオデオン(音楽堂)です。右の写真は、音楽堂の上から見た市公会堂跡です。
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石柱と壁の間の石畳の道を進むと、右側に「メミウスの碑」が建っています。ローマの独裁官であった祖父のスッラを称える言葉が彫ってあるとののことです。
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道の左側に、いわくありげな石柱がありました。ヘラクレスの門のアーチ部分とのこと。石柱の右側には蛇が描かれていて、救急車のシンボルマークで、ギリシア神話の医神のアスクレピオス(Asklepios)の象徴とのことです。
道の突き当りには「NIKEの神」のレリーフがあります。写真の人気スポットだそうです。
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ヘラクレスの門と、それに続くクレテス通りです。住民の家が立ち並んでいました。
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ガイドのケレムさんが、町の有力者の像が良く建てられていて、台座に言葉が刻んである。私は、ギリシャ語はよく分からないが「角のパン屋のイスメトは、奥さんが余りにもうるさいので自殺した。うそです」と言って笑わせる。
右の写真は、トラヤヌスの泉です。
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ハドリアヌス神殿です。前のアーチの中央には幸運を司る女神ティケが彫られていて、後ろの門の中央上にはメデューサが彫られています。
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古代の公衆トイレがありました。前には木も植えられ人が集まる場所であったようです。座ってみましたが、直ぐに50クルシュとケレムさんの声がかかりました。確かに、トルコでは有料トイレの料金は大体が50クルシュですね。でも、下の水の流れる溝まではずいぶん深く、現在のトイレより快適そうです。
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ローマ帝国時代アジア州執政官だったケルススの息子が父の墳墓の上に築いたケルスス図書館です。現在残っているのは、列柱と正面部分だけですが、ローマ帝国のアジア州では、アレクサンドリア、ペルガモンにつぐ蔵書1万2000冊の大図書館でした。
正面の彫像は、知恵、運命、学問、美徳の寓意像のレプリカです。(本物はウィーンの博物館にある)
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ケルスス図書館の右にある門を潜って、直ぐ右に金網で覆われた小部屋の中に、豊穣の神のアルテミスの像がありました。胸には、豊穣を表す沢山の乳房が付いています。金網の目が粗いので、写真撮影が可能でした。美術史の本でしか見たことがない像が直接見られて感激でした。でも、アルテミス像は、エフェス考古学博物館にあるとの記述を見た記憶があるので、レプリカかも知れません。
そして、24,000人収容の大劇場です。今は3段に分かれた座席が残っていますが、当時はもう一段あり、全体で4段あったとのことです。
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大劇場は、近くではとても全体が写せないので、遠くからも撮影しました。
最後に、トロイが世界遺産でエフェスが世界遺産に指定されないことに憤りを感じているガイドのケレムさんが、日本に帰ったらエフェスを宣伝してくださいと言っていました。確かに、エフェスは世界遺産に指定されて当然に思います。
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エフェスの遺跡を見て、バスで30分ほどのところにある、革製品の店に連れて行かれました。革製品と言っても、革のジャケットやコートを売る店です。
チャイを飲みながら、ファッションショーを見ますが、一当たり済んだところで、客が3人引っ張られて奥に入って行きます。舞台裏で革の上着を着せられてモデルと一緒に舞台に出てのファッションショーです。犠牲になったのは、若い女性二人と、78歳の男性です。
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ショーが終わって、店の奥に通され、沢山の陳列品を見せられ購入を勧められると言う訳です。店員は、皆流暢な日本語を話し、言葉巧みに勧めます。
先に、ファションショウーのモデルに選ばれた、78歳の男性は、ワインカラーの革のジャケットを買うはめになり、他にも何人かの女性客が購入していました。家内も勧誘には抗し難くでした。
1時間ほどで、またバスに乗りパムッカレのホテルThermal Colossaeに向かいます。
3時間走って、夜の7時にホテルに着きました。
皆疲れて、添乗員がホテルから皆の鍵を受け取るまでロビーのソファーでぐったりです。
それでも、鍵を受け取り部屋にスーツケースを入れたら、食事です。定員が860人の大きなホテルで、レストランも大勢の人が食事をしていて、賑やかです。
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大半の人は、食事を済ませたら、お風呂に入って直ぐにベットに入ったと思われますが、中には温泉プールでひと泳ぎする元気な人もおり、また9時半からバーで始まるベリーダンスを見に行く人もいました。私もご多聞に漏れずです。
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面白いのは、男性客4名と女性客4名を引っ張り出し、4人一緒に踊った後は、1対1でも踊ります。これには客席は爆笑でした。
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turkey_129.jpgしかし、女性客の中で一人だけ踊り子よりも上手いのではと思われる人がいました。
この秘密は、後でエジプトのナイル川ディナークルーズで明らかになるのでした。


トルコとエジプトの旅(3日目:10/31)・・・(旅行)

三日目は、ダーダネルス海峡をフェリーで渡って、トロイ遺跡を見学し、アイワクルで宿泊です。全部で500Kmもの移動です。
まだ、体は日本時間とみえて、6時のモーニングコール前に目が覚めます。6時15分には、スーツケースを扉の前に出し、ホテルレストランで朝食です。食事を終わっても、時間に余裕があるので、ホテルの正面玄関をはじめ、周囲の写真を撮りました。入り口脇には、昨日の結婚式の花輪が立てかけられて残っています。雲ひとつなく晴れ渡っています。

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マルマラ海を左に見ながら2時間走り、道路沿いにあるレストランで停止してトイレ休憩です。

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観光用のバスは、ベンツ製の同じタイプのものばかりが走っています。
ここで、お店の右側にあるトイレで、50クルシュ払って入ります。チップでなく使用料なので1リラ払ったらお釣りをくれます。水洗ですが、典型的なトルコスタイルのトイレでした。

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休憩ポイントを過ぎると、マルマラ海はダーダネルス海峡になり、2時間ほど走って11時30分に、フェリーの出るGelibolu(ゲリボル)と言う港町に着きました。ここのレストランで昼食ですが、焼きさばにポテトと春巻きのような揚げ物がついたものでした。飛行機の食事で確保しておいた、小さな容器に入った醤油が役に立ちます。小さい容器ながら、周りの人にも醤油を分けました。

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レストランを中にして、フェリーの停泊岸壁の反対側は、小型船舶のハーバーになっていました。エンジン付の小型船で、ヨットは無いようです。

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食事の後、休憩して12時20分にフェリーに乗ります。バスは先に乗っています。隣り合う桟橋にも別のフェリーが泊まっています。我々はLapseki(ラプセキ)に渡りますが、どこか違う港に向かうのでしょうか。

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いよいよ出向して、街が遠ざかって行きます。

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ダーダネルス海峡を行く動画もどうぞ

デッキを上に上がって行くと、操舵室(出港前に撮影したもの)があります。
40分ほど走ると、Lapseki(ラプセキ)が見えて来て、バスに乗り込みます。

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LapsekiからCanakkale(カナッカレ)を通り、1時間弱でトロイの遺跡に着きます。ドイツ人のシュリーマンが子供の頃より、ホメロスの書いたイリアスに登場するトロイの発見を夢見て、終に発見し、西洋社会を驚かせて有名になったトロイです。世界遺産でもあり、今回のトルコ旅行で期待を高めていた人の多い遺跡です。
古い石垣を巡って進むと、見晴らしの良い場所に出ます。

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現在では、海岸線は堆積により5Kmほど遠ざかっていますが、昔は直ぐ前が海であったとのことです。

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トロイはヒッタイト以前のBC3000からAD400のローマの支配の時代まで、栄えては滅びるという歴史を繰り返し、トロイは全部で9層にわたる都市遺跡を形成しています。すなわち、新しい王朝が進出して来たとき、旧来の遺跡を壊して新しく造るのではなく、遺跡の上に堆積された土の上に、手っ取り早く新しい都市を造ったのです。この構造が見える場所がありました。(下の左の写真)

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さらに進むと、古代に動物を生贄にして神を祀った場所があり、丸い井戸のように見えるところに、動物の血が溜まったことが分かっているとのことです。
これで、遺跡は終わり後は、トロイの木馬の余興です。

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ガイドのケレム氏によれば、シュリーマンはトルコ人から見れば、泥棒のようなもので、考古学者でもないのに、9層に重なった遺跡を宝物欲しさに、時代の積み重なりなど無視して、無茶苦茶に堀りまくり、遺跡を取り返しがつかないまでに破壊し、見つかった宝はドイツに持ち帰りました。第二次世界大戦後は、ロシアがドイツより持ち出しロシアの博物館が所蔵しています。現在では、トルコ人だけでなく、考古学者もシュリーマンを遺跡の発掘者でなく、遺跡の破壊者と見なしているとのことです。それでも、まだまだ西洋社会ではトロイはシュリーマンの功績との考えが根強く、遺跡としてもはや価値もさほどでないトロイを世界遺産に指定し、明日訪問するエフェスの遺跡の方がはるかに価値が上と思われるのに、世界遺産に認定されなていないと、憤っていました。

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トロイの遺跡を後にして、バスは今日の宿泊地のアイワルクに向かって走ります。
2時間ほど走って、TOROI Olive Houseと書かれたお土産品店でトイレ休憩です。

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その後、1時間弱で今日の宿泊のGrand Temizel Hotelにつきました。まだ5時です。
キーを貰い、部屋でシャワーを浴びて、7時から夕食になりました。

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トルコとエジプトの旅(2日目:10/30)・・・(旅行)

二日目は、エジプトを発って、イスタンブールに着き市内観光です。
体内時計は、まだ日本時間のためか、遅く寝たにもかかわらず、5時のモーニングコールの前に目が覚め、2日目の朝が明けました。5時30分から朝食は可能で、スーツケースは6時までに部屋の扉の前に出しておくようにとのこと。日本人はせっかちだから、大半の人は5時30分にスーツケースを出して朝食に向かいます。まだ早いので、レストランは閑散としていましたが、直ぐに我々のグループが入ってきました。外はまだ暗いです。食事を終えるころには、外も明るくなり、ホテルのプールなどもハッキリと見えてきました。
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朝早く目覚めて、7時の出発時間には余裕があり、ロビーで時間を過ごしたり、昨日は暗かったホテルの正面の写真を撮ったりしました。外国ではトイレ事情が日本と比べて悪いので、出発前にトイレも済ませます。
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予定通り、7時にバスは出発して10分ほどで空港に着きました。エジプトでは、空港に着いたら、入り口でセキュリティーチェックで、スーツケースも手荷物も上着もエックス線検査トンネルを潜らせます。その後、配られた出国カードを立ったままで、スーツケースの上などの不安定な状態で記入し、航空券を貰ってエジプト航空のカウンターでチェックインです。飛行機の出発の9時45分には、余裕があるので免税店の並ぶ辺りをうろうろしますが、人が非常に多く人気のショッピングモールの中を歩いている感じです。時間が経過して搭乗ゲートに進むと、何だか狭くて廊下の壁際にベンチを並べただけの感じで落ち着けません。そして再度セキュリティーチェックです。シャトルバスで延々と走ってようやく搭乗します。機種は忘れましたがAirbus A320だったような気がします。飛び立って、地中海に出て1時間ほどで食事が配られ、やがてトルコが見えてきて、2時間ほどのフライトでイスタンブールに到着しました。
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トルコの入国は、入国カードもなくパスポートにスタンプを押すだけで簡単に済みます。その後、スーツケースをピックアップすると、ポーターが待機していて、直ぐに台車で駐車場で待っているバスに運んでくれます。これから6日間乗るバスはベンツ製で、ガイドはケレムさんと言う人です。バスの横でサングラスをかけている人です。
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バスで旧市街に向かいますが、右側にはマルマラ海が見え、時々コンスタンティノープル時代の城壁が残っています。
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ブルーモスクと呼ばれている、スルタンアフメト・モスクとビザンティン帝国時代に建てられたキリスト教の大聖堂のアヤソフィアの間のスルタンアフメット公園前にバスが停まりました。流石に人通りが多いです。
ブル?モスクは、逆光で写真は暗くなってしまいましたが、アヤソフィアは綺麗に撮れました。
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ブルーモスクは、オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造されました。世界で最も美しいモスクと評されていて、世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られています。
ゲートを潜り、優美な壁に囲まれた前庭に入り、高いミナレット(尖塔)を眺め、一旦 前庭から裏庭に出て改めて、ドームに入ります。入り口では靴を脱いでビニール袋に入れ、女性は肌の露出度によっては布で覆う必要があります。今回の旅行では、覆うように言われた女性は居ませんでした。
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ドーム内部は、評判に違わず美しく、見事な紋様の飾りで装飾されています。また、メッカ方向には、最も色鮮やかなステンドグラスがはめられていて、人々が直ぐにメッカ方向を認識できるようになっています。
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入り口と反対側にあるドームの出口から出て、前庭からも出ると、先ほどと角度が変わって木立の間にブルーモスクが綺麗に見えました。
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ブルーモスクを見終わった後は、トプカプ宮殿を見学するため数百メートルの道を歩いて行きます。まず、トプカプ宮殿の「帝王の門」と呼ばれる門を潜り、第一庭園の木立に挟まれた道を進みます。
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第二の門は、「表敬の門」と呼ばれています。門の天井も美しく装飾されています。
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「表敬の門」の内部の第二庭園を進んで行くと、途中には地下貯水槽跡がありました。
そして、「幸福の門」と呼ばれる第三の門を潜ります。装飾も益々凝ったものになります。
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「幸福の門」を潜ると、スルタンの謁見の間のある小振りだが、豪華な建物があります。
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もちろん、天井の装飾も豪華です。
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この謁見の間がある建物の周囲は第三庭園で、その庭園を取り囲むように宝物殿があります。宝物殿は、衣類、装飾品、聖遺物などの展示室に分かれています。装飾品の展示室には、有名なトプカプの短剣、スプンー屋のダイヤがあるはずでしたが、余りにも混雑していて、見逃しました。どこかに貸し出していたのかも知れません。
また、ヨハネのターバン、モーゼの杖などが、聖遺物の展示室にあり、厳かにコーランの祈りの声が聞こえていました。それにしても、出エジプト記に書かれているようにモーゼが振り上げて海を分けたその杖とは、とても思えません。なんだか新しい感じでした。
宝物館の見学を終え、幸福の門から出て左の方を見ると、屋根から煙突が突き出しているのが見えます。ここは厨房で、5,000人の食事を作っていたと言います。もちろん、優れた料理人も広く集められ、この宮廷料理故に、トルコ料理は世界3大料理と呼ばれるようになったとのことです。
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トプカプ宮殿を後にして、ブルーモスク近くまで引き返し、宮廷料理とは比べるべくも無いが、カジュアルなレストランで夕食です。
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シシケバブが皿に盛られ、大きなピーマン?とトマト、ポテト、ご飯がお皿に乗っかっています。それに、チーズとパンが盛られた皿が出てきました。
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食事を終え、暮れなずむブルーモスクを見ながら、バスに乗り込み今晩の泊まりの「Grand Cevahir(グランド ジェバヒル)」に向かいます。
5時30分(きょうの夜中まで夏時間で、その時刻に従えば、6時30分)にホテルに着きました。まだ早い時刻で、明日の朝のモーニングコールは冬時間の6時なので、今朝よりはだいぶ余裕があります。
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2010.11.08

トルコとエジプトの旅(1日目:10/29)・・・(旅行)

トルコとエジプトの旅に家内と2人で出かけます。
第一日目は、日本を発ってエジプトのホテルまでです。
トルコがメインでエジプト観光は、1日半ぐらいです。
10月29日、成田空港に11時10分集合なので、少し余裕を見て7時半にタクシーを呼び、YCATから8時40分発のリムジンバスに乗りました。
交通はスムーズに流れて、10時10分ぐらいに成田空港に着きました。まだ、集合時間に1時間もあるので、レストラン階に上がって軽く腹に入れ、うろうろしている内に集合時間が近づいて、人も集まってきました。
今回の旅行の参加者は、男性6人に対して女性23人とのこと。そして、熟年夫婦の参加が大多数と思っていたが、若い女性の参加が多いのも驚きでした。
エジプトのカイロまでの航空券を受け取り、各自チェックイン。エジプト航空は、始めて乗る航空会社です。
チェックインを終えて、円をドルに換え、セキュイティーを通りますが、ブーツを履いている女性は皆脱がされています。上着も男女の別なく脱がされます。私もカメラ2台と旅行用の小物を少し入れた持ち込みバッグを、全ての物を取り出して調べられました。本当に、塵(ちり)まで取り出す感じでした。APECが迫っているからか、これほど厳しいセキュリティチェックは初めてです。
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セキュリティチェックを過ぎると、出国審査ですが、これはスムーズに通過できました。
そして、シャトルに乗り、サテライトに向かいます。
免税店が並んでいる前を通り、搭乗口に向かいます。
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登場時間が来て乗り込みました。Boeing 777の機体です。前の座席の背に液晶ディスプレーがあり、映画を見たり、音楽を聴いたりできます。映画の字幕がアラビヤ語なのが、なんとも・・・。それにしても、エジプト航空のビジネスクラスの座席はジェラシイーを感じますね。
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13時10分発で、カイロまで13時間30分の予定ですが、動き出したのは13時40分ぐらいでした。そして、日本海上空に達したころ、飲み物と食事が配られました。確か、ビーフ、魚、チキンのチョイスだったと思うのですが、私はビーフ、家内は魚を選択しました。思ったより美味しかったです。エジプトでは、生野菜を食べると洗う水に雑菌がいるので下痢になると聞かされていましたが、この野菜は成田近郊の調整なので大丈夫でしょう。水は木曽のもので、”KISO”と蓋に書かれています。
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飛行経路と現在位置ならびに速度、外気温度などがスクリーン表示されていますが、前の座席の背のディスプレーにも表示できます。北京の北側を飛び、タシケント、カスピ海を横切り、カイロに向かいます。モンゴルを過ぎたあたりで、サケのおにぎりとどら焼きのおやつが出ました。
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トルコの南に達した頃、2回目の食事がでました。
今度はチョイスは無くて、海老と蟹を使ったおじやのようなものでしたが、これも美味しい。それに煮物、蕎麦がついてデザートには、果物を配してあります。そして、30分ぐらい遅れるのではと思っていたのですが、ほぼ定刻(20:30)にカイロ国際空港に到着しました。
カイロ空港は、撮影禁止とのことで写真は撮れません。知らなくて撮っているいる人もいるようで、あまりうるさくはないらしいのですが。
ともかく、飛行機から降りて、成田で買っておいたUSドルの一部をエジプトポンドに変え、添乗員さんに予め払って買っていただいた15ドルのビザをパスポートに貼る。そして、予め記入しておいた入国カードとともに差し出して入国審査を通ります。
入国審査は、何も質問されることも無く簡単ですが、ビザは形式的かも知れないが受入国が、入国を許可しても良いか身元審査をして発行するもので、お金のみで発行とは、何だかおかしい気がします。観光収入を相当に当てにする国としては、お金を取りたいのは当然で、ビザと言っていても入国税の収入印紙みたいな考えなのでしょう。それでも、成田の施設使用料、保安サービス料の2,540円の半額ですね。
入国審査を済ませると、預けておいたスーツケースをピックアップして、税関をスルーパスで通れば、迎えのバスが外で待っていて、ポーターが荷物を運んでバスに積み込んでくれます。
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バスで向かうホテルは、空港から10分ぐらいの”Iberotel”というホテルです。入り口でまた、空港と同じセキュリティーゲートを通ります。なかなか良さそうなホテルでしたが、もう夜の11時で日本時間なら徹夜明けの朝の6時です。皆疲れて鍵を貰ったら、部屋に入ってシャワーを浴び直ぐに眠りにつきます。何せ、明日のモーニングコールは5時です。
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