2010.11.09
トルコとエジプトの旅(3日目:10/31)・・・(旅行)
三日目は、ダーダネルス海峡をフェリーで渡って、トロイ遺跡を見学し、アイワクルで宿泊です。全部で500Kmもの移動です。
まだ、体は日本時間とみえて、6時のモーニングコール前に目が覚めます。6時15分には、スーツケースを扉の前に出し、ホテルレストランで朝食です。食事を終わっても、時間に余裕があるので、ホテルの正面玄関をはじめ、周囲の写真を撮りました。入り口脇には、昨日の結婚式の花輪が立てかけられて残っています。雲ひとつなく晴れ渡っています。
マルマラ海を左に見ながら2時間走り、道路沿いにあるレストランで停止してトイレ休憩です。
観光用のバスは、ベンツ製の同じタイプのものばかりが走っています。
ここで、お店の右側にあるトイレで、50クルシュ払って入ります。チップでなく使用料なので1リラ払ったらお釣りをくれます。水洗ですが、典型的なトルコスタイルのトイレでした。
休憩ポイントを過ぎると、マルマラ海はダーダネルス海峡になり、2時間ほど走って11時30分に、フェリーの出るGelibolu(ゲリボル)と言う港町に着きました。ここのレストランで昼食ですが、焼きさばにポテトと春巻きのような揚げ物がついたものでした。飛行機の食事で確保しておいた、小さな容器に入った醤油が役に立ちます。小さい容器ながら、周りの人にも醤油を分けました。
レストランを中にして、フェリーの停泊岸壁の反対側は、小型船舶のハーバーになっていました。エンジン付の小型船で、ヨットは無いようです。
食事の後、休憩して12時20分にフェリーに乗ります。バスは先に乗っています。隣り合う桟橋にも別のフェリーが泊まっています。我々はLapseki(ラプセキ)に渡りますが、どこか違う港に向かうのでしょうか。
いよいよ出向して、街が遠ざかって行きます。
デッキを上に上がって行くと、操舵室(出港前に撮影したもの)があります。
40分ほど走ると、Lapseki(ラプセキ)が見えて来て、バスに乗り込みます。
LapsekiからCanakkale(カナッカレ)を通り、1時間弱でトロイの遺跡に着きます。ドイツ人のシュリーマンが子供の頃より、ホメロスの書いたイリアスに登場するトロイの発見を夢見て、終に発見し、西洋社会を驚かせて有名になったトロイです。世界遺産でもあり、今回のトルコ旅行で期待を高めていた人の多い遺跡です。
古い石垣を巡って進むと、見晴らしの良い場所に出ます。
現在では、海岸線は堆積により5Kmほど遠ざかっていますが、昔は直ぐ前が海であったとのことです。
トロイはヒッタイト以前のBC3000からAD400のローマの支配の時代まで、栄えては滅びるという歴史を繰り返し、トロイは全部で9層にわたる都市遺跡を形成しています。すなわち、新しい王朝が進出して来たとき、旧来の遺跡を壊して新しく造るのではなく、遺跡の上に堆積された土の上に、手っ取り早く新しい都市を造ったのです。この構造が見える場所がありました。(下の左の写真)
さらに進むと、古代に動物を生贄にして神を祀った場所があり、丸い井戸のように見えるところに、動物の血が溜まったことが分かっているとのことです。
これで、遺跡は終わり後は、トロイの木馬の余興です。
ガイドのケレム氏によれば、シュリーマンはトルコ人から見れば、泥棒のようなもので、考古学者でもないのに、9層に重なった遺跡を宝物欲しさに、時代の積み重なりなど無視して、無茶苦茶に堀りまくり、遺跡を取り返しがつかないまでに破壊し、見つかった宝はドイツに持ち帰りました。第二次世界大戦後は、ロシアがドイツより持ち出しロシアの博物館が所蔵しています。現在では、トルコ人だけでなく、考古学者もシュリーマンを遺跡の発掘者でなく、遺跡の破壊者と見なしているとのことです。それでも、まだまだ西洋社会ではトロイはシュリーマンの功績との考えが根強く、遺跡としてもはや価値もさほどでないトロイを世界遺産に指定し、明日訪問するエフェスの遺跡の方がはるかに価値が上と思われるのに、世界遺産に認定されなていないと、憤っていました。
トロイの遺跡を後にして、バスは今日の宿泊地のアイワルクに向かって走ります。
2時間ほど走って、TOROI Olive Houseと書かれたお土産品店でトイレ休憩です。
その後、1時間弱で今日の宿泊のGrand Temizel Hotelにつきました。まだ5時です。
キーを貰い、部屋でシャワーを浴びて、7時から夕食になりました。
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