2008.11.30
分倍河原から高尾・・・(甲州街道)
本日の万歩計36,950(24.0Km)
今日の甲州街道は、先週の続きの分倍河原からであるが甲州街道側とは南武線の分倍河原駅の反対側(西側)の新田義貞の銅像前で待ち合わせ、2人で歩き始めた。
新田義貞の銅像は府中市が建立したもので、元弘3年(1333)5月8日に兵を挙げた新田義貞が北条泰家率いる幕府軍を破って鎌倉に攻め上がり、終に140年余り続いた鎌倉幕府を滅亡させた史実を後世に伝えるために建立したと説明板にあった。甲州街道に戻ると、直ぐに京王線の踏切を渡る。ちょうど電車の通過に遭遇した。
今日は、雲ひとつ無い晴天で清々しい空の下を歩いて行くと、とんでもなく立派な冠木門の家に遭遇した。内藤家である。屋敷も広く、これほど立派な門は、東海道、中山道を歩いてもお目に掛かれなかった。旧家なのであろうが、現在に到るまで家勢を保ち続けているのはすごいことだと思う。
本宿町(ほんじゅくちょう)の交差点で、国道20号に合流する。合流点の三角地帯には本宿の碑が建っていた。200mほど進むと道の右側に「熊野神社」があり、緑がかった色彩の注連縄(しめなわ)が鳥居にぶら下がっていた。この注連縄の材料は木材パルプを原材料にした天然成分繊維(レーヨン)のアンダリアで、土に還る環境に優しいものであるが、雨にも強い全天候型である。正直なところは、稲藁が最近手に入り難いことから採用されたものであろう。
神社本殿裏には、全国で最大最古の上円下方墳とされた古墳の発掘が始まっていたが、まだまだ一般公開するかしないか、するとしても何時か全てが予定もたっておらず、長い期間を要するものであるらしかった。本当に今日は良く晴れている。南武線を越えて国道を進むと富士山も白く輝いて見えた。
国道は国立インター入口交差点で、左に離れて行き500mほど進むと、左手に「谷保天満宮」がある。ここの天満宮の本殿は街道から下った、多摩川の河岸段丘の崖下に建っているが、平安時代の頃は街道も崖下を通っていたとのこと。また、多摩川の河岸段丘の崖下はハケと呼ばれていたそうで、湧き水も多く、まず人々が住みついたところであったとのことである。階段を下りて行くと、湧き水を模した流水もある。
谷保天満宮は菅原道真の3男の道武朝臣が建立して、父道真の像を刻みここに祀った。しかし、その像の出来が今ひとつであったため谷保天(野暮天)と呼ばれるようになったとのこと。それにしても、流石に合格祈願の絵馬の数がすごい。写真のような絵馬を掛ける場所が4箇所も設けられていた。それに、天満宮と言えば牛の像があるが、これは菅原道真が亡くなったとき、牛が悲しんで遺体を乗せた車を引こうとせず、動かなくなったとの伝承によるものである。
天満宮本殿の左には、道真公が5歳のときに詠んだ「紅わらべの歌碑」があり、「美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある」とある。毎年この歌を元に作られた巫女舞が2月末に小学校低学年の女の子によって行われるとのこと。
歩いて行くと、立派な家が多く、その中でも目を引いたのは手入れの行き届いた庭木の間に、つるべまで置いてある井戸が見えたことである。もう使ってはいないのだろうが、昔の井戸を潰さずに大事に残してあるのだろう。そして、矢川駅の入口の交差点の手前で左に入ると、長い参道の南養寺がある。
この寺は臨済宗建長寺派の古刹で、庭の木々が紅葉していて綺麗であった。寺を後にして進むと直ぐに矢川の小さな流れを渡るが、住宅地にあって、綺麗な水の流れを保っていた。
矢川を渡ると、道の右側に「五智如来」がある。道路の向こう側で車の通りもはげしく、道路の反対側から写真撮影を行った。五智如来とは仏教で言う五種類の智を備えた仏様で大日如来の別称とのこと。江戸時代に八王子在住の越後人数人がこの地に移り、郷土で信仰していた「五智如来」を祀るため建立したと書かれていた。500mほど街道を進むと、元青柳村の秋葉常夜燈がある。植え込みに囲まれ大事にされている。
左側に「至誠学舎」の施設を見ながらさらに進むと、日野橋の交差点である。ここは五叉路になっているが、奥多摩街道の方に進む。200mほどで左に曲がる十字路に出るので旧甲州街道と道標の出ている通りの方に左折する。
100mほどで、右側に柴崎市民体育館があったので、お手洗いを借り、根川緑道の綺麗な流れを眺めて進むと、日野の渡し場のモニュメント。「多摩川の渡し場跡なる我が住まい河童ども招びて酒酌まむかな」の歌碑があった。
多摩川の堤防に出て、右折して立日橋(たっぴばし)を渡る。多摩川モノレールが同じ橋を高架で渡る。
橋から川面を見ると、釣り人が櫓に乗って川面に腰を下ろし、鯉を狙って糸をたれていた。この立日橋からも富士山が綺麗に見えた。
立日橋を渡ると、日野市街が近づいてくる。国道にぶつかり左折すると、直ぐに「日野本陣」がある。甲州街道に3つ残っている本陣の内の1つである。以前は「蕎麦屋」としても使われたとのこと。見学料を払って内部を見学する。上段の間が無いと思ったら、別棟になっていて今は別のところに移設されたという。このため国の文化財に指定されないのだという。正面の入口の構えなど、立派なのにと案内人は、残念がっていた。本陣を出ると向い側にある図書館には問屋場跡の碑が建っている。
300mほど進んで日野市役所入口の交差点をすぎると、八坂神社がある。説明板によれば、「むかしむかし、この付近の土淵と言うところで多摩川の洪水の後、淵に妖しい光が数夜に渡って見えたので、故老が拾い上げると、金色燦然と輝く牛頭天王の神像であったという。その像を祀ったのがこの神社の起源で寛政十二年(1800)のものです。」とある。9月中旬の例大祭の千貫神輿は近県でも有数な神事で絢爛豪華な祭り絵巻が繰り広げられるとのこと。
八坂神社を過ぎて、次の信号を左折し、宝泉寺にぶつかったら右折して日野駅横のガードを潜る。ここで、昼食をとり、しばし休憩して、大坂の急な坂を上って行く。坂を上りきると国道20号と合流して、ここから、日野自動車、コニカミノルタ、オリンパスなどの大きな工場が続き、3kmほど進んで石川入口の交差点に達すると、とうふう料理で有名な「うかい」がある。
国道16号線との交差点を過ぎると、左に300mほど続く旧道への入口があり、久々に静かな旧道の雰囲気を味わう。そして、大和田橋のたもとに出て橋を渡る。昭和20年8月2日に日野市全体では2時間で1600トンもの焼夷弾を受け、80%の家屋が消失し450名の人が亡くなった。このとき多くの人がこの橋の下に逃げ込み助かったが、もちろん、この橋も50発もの焼夷弾を受けたとのこと。橋を渡って振り向くと「ホテルニューグランド」付属の結婚式場「グランド ビクトリア」で挙式したカップルが大勢の人達に祝福を受けているのが見えた。焼夷弾が降り注ぐ時代とは正反対の平和な光景だ。
大和田橋を渡って右折し、八王子五中を過ぎた角で細い通りに入って行くと、100mほどで右側に小公園があり、竹の鼻一里塚跡がある。公園の名前は竹の花だが、武蔵名勝図会などには竹の鼻と書かれているとのこと。直ぐ隣には永福稲荷神社があり、大きな力士像がある。説明板によると、八光山権五郎という力士で江戸中期に全国を遊歴して相撲を取り、終に敵するものがなくなり、天皇から御盃と錦のまわしを賜った。帰郷後に、稲荷神社で相撲を興行し、それ以来毎年8月2日に近郷の力自慢によって相撲が奉納されるようになったと記されていた。
道は突き当たって、左折すると200mほどで国道20号線に突き当たり左折する。八王子駅入口の交差点を過ぎて進む。流石に賑やかな通りであるが、昔の面影はほとんど残っていない。わずかに、八日市宿跡の石碑があり、説明板も設けられていた。
そして、古い蔵と「なかのや」の染め抜きの暖簾のある「こんにゃくや」が見つかった。しかし、今日は休みか閉まっていた。
国道を2Kmほど進むと、合流していた陣馬街道と別れて国道20号は左斜めに進む。ここからは街路樹として銀杏が植えられていて、この銀杏並木は高尾駅までの4Kmほども続く。
西八王子駅入口を過ぎて300mほどの長房団地入口で右折し、僅か7?80mで左折する。この左折の場所には二基の石碑が建っていて、一つには右高尾山、左新覚寺と書かれていて、もう一基には昭和2年に国道が出来た当時の様子がイラストで書かれていた。
旧道は300mほどで終わり国道に再び合流するが、ここで珍しくもチンドン屋に出くわした。最近は見ることもなくなり、本当に珍しい。そして国道を渡れば「長安寺」である。家康の命を受け五街道を敷設した大久保長安が眠っているとあっては、ご挨拶して行く必要がある。長安はもと武田信玄の家臣で大蔵藤十郎と言ったが、家康に仕えるようになって大久保長安と称した。計数に明るい才能を家康に認められ、金山、銀山の開発、五街道の敷設などを行い、総奉行として権勢を誇ったが、本多正信の陰謀で金山経営で不正があったとされ、一族ことごとく処刑された。長安も、もちろん罪人で葬式すら許されなかったが、この寺の草創が1626年の長安十三回忌の年であるので、その頃には許されたのか、お寺には葵の御紋まで付いているのを見ると、本多正信との政争が見直され、功績が再評価されたものと思われる。
また、銀杏並木の国道を1Kmほど進むと、多摩御陵入口に達し、直ぐに右に旧街道の入口がある。
この残っている旧街道も立派な家が多く、600mほど続く。だいぶ日も傾いてきて、旧道が尽き、国道に合流して400mほど進むと今日の目的地の高尾駅である。時刻は4時で、駅の近くでコーヒーを飲んで休憩して帰路に付いたが、今日は天気も良くミシュランに紹介された高尾山への登山客の帰りにもぶつかり、高尾駅のホームは賑わっていた。
コメント
コメントフィードを購読する
コメント投稿