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2010.06.01

大田原から鍋掛・・・(旧奥州街道)

本日の万歩計41,367(27.3Km)・・・芦野まで

大田原から芦野の歩行ルート

西那須野駅に9時1分に着き、9時10分発のバスに乗り、前回終えた那須与一の銅像前から歩行を開始した。時刻は9時25分くらいである。
進んで、金燈籠の交差点に来たが、肝心の金灯篭が見あたらない。後でゆっくり探すこととして、とりあえず左折して江戸時代から続く、味噌・醤油製造の和泉屋を見に行く。古い土蔵には貫禄がある。
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さて、金燈籠の交差点に戻ったが、やはり「金燈籠」が見つからない。通りかかった人に尋ねたら、もと金燈籠があった場所は整地の工事中で、ブロック塀で囲われた中に仮置きされていると教えてくれた。文政2年(1819)に建立されたものであるが、太平洋戦争末期に供出され、旧会津中街道の三斗(さんど)小屋にあった同型の灯籠を譲りうけたが、その後昭和54年に造り直したものである。台座は往時のもので、「江戸」、「白川」と大きく彫られており、道標を兼ねている。
金燈籠の交差点を過ぎ、次の信号で左折して進むと、「旧奥州街道 大田原 寺町」と書かれた新しい道標が建っているので、ここで右折する。300mほど進むと、左に真新しい本堂の「龍泉寺」がある。
左脇の道路に入って行くと左にカーブして、仁王を配した「光真寺の山門」がある。
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光真寺は、天文14年 (1545)大田原資清が建てた大田原藩主の菩提寺で、流石に立派な本堂であり、本堂の左には大田原資清像がある。
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さらに、左奥には、歴代の大田藩主の墓が並んでいる。中山道の鴻巣で見た関東郡代の伊那氏の墓と同型である。山門の方に引き返すと、その脇に33体の観音像が並んでいた。
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元の街道に復帰して、進むと左に大田原神社の階段が見えてくる。大田原神社の創建は大同2年(807)に勧請され当初は温泉神社と称していたが、大田原資清が大田原城築城に際し、城内の鎮守社として遷座し、代々の崇敬社なったとの由である。急な階段を上ると、左に折れ曲がって木々の茂った参道が続き本堂がある。
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街道に戻り、右にカーブしている道を下ると大田原城址である龍城公園の上り口がある。大田原城は、天分14年(1545)大田原資清によって築城された城である。大田原氏は関が原の戦いで戦功があり、5,000石加増され12,000石となって大田原藩が形成され、明治維新まで続いた。石垣は無いが、見事に急峻な土手を形成した城であり、奥州の要路の城として家康、家光も重視した。また、木立を通して大田原の街並みも良く望見される。
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蛇尾川(さびがわ)を渡り、かなり時間を使った大田原市街から離れて行く。橋の名前も蛇尾橋である。蛇尾川は、那須塩原市の大佐飛山地に源を発する支流、大蛇尾川と小蛇尾川が山地を抜けた地点で合流して蛇尾川となり、那須塩原市を南東に流れ、扇状地で熊川を合わせ、大田原市片府田で箒川に合流する。
なお、「サビ」とは栃木の方言で、斎日(さび)のこと。祭日を決めて神様に身を清めてもらう行事を行った流域を流れる川の意味とのこと。
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川を渡って直ぐに左折し、大きく右にカーブして進む。少し先の左手には富士電機の広大な工場がある。配線用遮断器、漏電遮断器、高圧真空遮断器などの製造を行っている。そして、700mほど先で「巻川」を渡る。
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「巻川」を渡ると少し先に、セブン・イレブンがありその駐車スペースの隅に「中田の一里塚」がある。当初は道の両側にあったが、南側の方は宅地建設の際に取り壊された。北側は道路拡幅の際、平成12年に約1.5メートル後方に移築されたとのこと。
さらに、1Kmほど進むと市野沢小入口の交差点で、右方向が棚倉街道であり、その追分である。寛永6年(1629)に起こった「紫衣事件」で上山と棚倉に流罪になった沢庵と玉室がこの追分で別れたところである。古道標と聖徳太子碑があり、古道標は風化して文字は読み難いが、正面は「南無阿弥陀仏」と彫られており、側面には「右たなくら、左しらかわ」と彫ってあるとのこと。
最初に目に付くのが、「黒羽刑務所、お気軽にお寄りください」と書かれた看板であるが、この看板は、ブラックユーモアかと街道歩きの人々の間で話題になっているものである。もちろん、お気軽にお寄りくださいは、その下に書かれている「刑務所作業製品の展示場」のことである。
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次の大きな交差点である市野沢交差点には、与一の里おおたわら名木に指定されている、高野槙(こうやまき)がある。目通り3.1m、樹高17m、推定樹齢400年である。しかし、昭和36年3月22日の指定では樹高30mとなっている。台風で折れたのだろうか。
1.5Kmほど先の左側には「弘法大師碑」があり、その先で相の川を高野橋で渡る。
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道の左の草生した中に、新しく建て替えられた「麻疹地蔵堂」があり、周辺には石仏が並んでいた。時刻は11時30分を回ったが、食事処は見つからず、地蔵堂の軒下を借りてコンビニで買ったパンを食した。
しかし、歩き始めると、直ぐにラーメン屋があったが、街道歩きでは往々にして起こることである。
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練貫十文字に到達した。この辺りでは交差点を十文字と言う。直接的な表現で分かりよい。那須塩原駅に行くには左折して4Kmほどだが、まだまだ早い時刻で、先に進んで行く。進むと道標を兼ねた「永代常夜燈」(左側)があり、正面に永代常夜橙、側面に右奥州海道、左原方那須湯道と刻まれているとのこと。その後ろには2つの念仏碑があり、十九夜塔がある。そして最後尾に真新しい「旧奥州道中」の石碑が建っていた。今後も旧奥州道中を大事にする現れであろうか。
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進んで行くと、左側に「明治天皇駐輦記念碑」が建っていて、やがて大田原市と那須塩原市の境界の表示板が見えてくる。那須塩原市は、平成17年に黒磯市と西那須野、塩原町が合併して出来た新しい市である。
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那須塩原市に入って1Km程行くと「大野牧場」の大きな文字が目に入る。「口蹄疫」が流行っているため、牧場に通じる道には石灰が撒かれている。
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樋沢(ひざわ)地区に入ると、左に「樋沢神社」がある。思っていたより小さな神社である。最近建てられた鳥居をくぐり、階段を上ると、大きな石が2つお堂の左に鎮座している。前方の大きい方の石は「八幡太郎義家愛馬馬蹄の石」であり、後方は「葛篭(つづら)石」である。後三年の役(1083年?)で、源義家が奥州に向かう途中、源氏の氏神であるこの神社の坂を馬で一気に駆け上ったところ勢いの余り、石に蹄の跡が岩に付いたという。葛篭石の方は、形が似ているから義家が名付けたというが、似ているようには見えなかった。
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周辺には、石仏が幾つも配置されている。しかし、お堂はコンクリートブロック造りで、いささか貧弱である。歴史は時に疎しと言うことであろうか。
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500mほど先の左の上の方に「鍋掛の一里塚」の表示が見える。道路が掘り下げられて、一里塚が高い場所に残ったのであろう。階段を上ると、「鍋掛神社」への参道が続いているのが見える。
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鍋掛十字路に到達した。コンビニがあったので少し休憩を取り、交差点を横断すると直ぐの左に「清川地蔵尊」がある。延宝7年(1679)建立で、子育て地蔵として女性の信仰を集め、毎年4月には集落の女性が集り念仏会が行われるという。周辺には数体の石仏も見られる。
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鍋掛十字路を通過して、鍋掛宿に入ると、歩道と車道の境界に、自然石を荒く加工したのが並んでいる。鍋掛宿は、那珂川の渡しの直前で、川留めなどで大いに賑わい、本陣1、脇本陣1、旅籠23、総戸数100余戸であったとのことだが、面影は残っていない。那珂川は、防御ラインとして徳川幕府も重視しており、鍋掛は天領としていた。
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進んで行くと、左に「八坂神社」があり、その境内に「芭蕉句碑」が建っている。「芭蕉句碑」には、「野をよこに馬ひきむけよほととぎす はせお」と書かれていて、元禄2年(1689)3月(旧暦)、奥の細道行に旅立ち、4月16日に手綱をとる馬子の願いにより作ったと書かれていた。
その隣の「正観寺(しょうかんじ)」には、樹齢250年の見事な枝垂桜があり、参道の片側には火の見櫓、もう一方には蔵造りを模した「鍋掛宿消防小屋」がある。
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鍋掛宿は、那珂川の渡しで終わるが、現在では自動車道路は、左にカーブして「昭明橋」に向い、旧道は真っ直ぐに川に向って進む。「昭明橋」は、歩行者用と自動車用に別れているが、もともとは歩道者用の橋が両用であったのが、自動車専用橋を新規に架設したようである。
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今日は、6月1日で鮎釣りの解禁日である。早速、友釣りの竿を振る釣り人の姿が望見できた。
橋を渡って、今日の旅は、まだまだ続く・・・
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