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2011.06.13

吉岡宿から古川・・・(旧奥州街道)

本日の万歩計37,540(24.4Km)

吉岡宿から古川への歩行ルート

十分な睡眠を取り、快適な朝を迎えてホテルで朝食をとり出発した。昨日は、上町まで歩いたので、中町から歩き始める。古い蔵の前面に、空間情報展の案内が書かれていた。古い蔵を活用した催しであろうか。
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上州屋と書かれていた古い門構えの建物がある。その先で右折して、吉岡八幡神社を訪れる。吉岡八幡神社の創建は不詳だが信夫地方(福島県福島市)を治めていた飯坂氏の氏神であったといわれている。伊達政宗の三男宗清が鶴巣下草(しもくさ)に配されると、宗清の庇護のもと元和4年(1618)に黒川郡の総鎮守として現在地に移された。真っ赤な随身門が特に目を引く神社である。
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街道左側に、「大ケ森屋」の看板を掲げた旧家があった食料品店・酒屋・パン屋・ケーキ屋などを販売しているようだ。さらに、旧家が続く。
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街道を左に曲がって下町に入って行く。しばらく進むと、早坂酒造店の重厚な建物が眼に入る。ちょうど子供たちの登校時刻であった。
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吉岡宿出口の丁字路である。ここは、出羽海道との追分ともなっていた。
少し先に進んで、右折すると、曹洞宗中興寺がある。
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中興寺の前には、溜池がある。そして此処から先は大和町から宮城県で唯一の村の大衡(おおひら)村に変わる。
街道を左折して、国道4号線の信号機の方に進むと、左に階段があり、上ると山神宮がある。
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ここで、国道4号線を横切り、広い田圃のなかの道を進む。
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田植えも無事終わり、青々とした早苗が心地良い。途中に善川という小さな流れがあった。かつては悪川との名前であったというから面白い。渡るのは松本橋である。
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田圃の中の道を進んで突き当り右折すると、すぐ左手に昌源寺がある。ここは永禄4年(1561)仙台市北山輪王寺六世当山禅徹大和尚が開山し、寛永12年(1635)伊達家家臣戸田定隆の竹ノ内居住と共に現在地に開基された。山門は明和4年(1767)の建立となっている。
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昌源寺の右横の道は、土道となって進んでいて、少し先に案内板が立っている。
この案内板によれば、旧道は完全に損なわれ、第二仙台北部工業団地の造成で、村道奥田工業団地西線が作られようとしているのが分かる。右手方向に進み、杉林の中の道を上って新道に出る。
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新道は、まだ完全には舗装されていない。左のほうを見下ろすと、昌源寺を始めとして、遠くに今朝出発した吉岡宿が見える。
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手持ちの地図には、まだ描かれていないのだが、大きく右にカーブしている道を進むと、新しい住宅地区が作られていて、既に入居して子供たちの遊ぶ姿も見られた。住所は大衡村大衡となるのだろうか。さらに進むと、丁字路にぶつかり、右折して進んで行く。
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進んで行くと左に大きくカーブしていて、左には広いパークゴルフ場が見えてくる。大勢の年配の方が楽しんでいるのが見えた。そして、大きなY字路で左に進む。松の平2丁目の信号である。
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道は緩やかに下り、村道楳田(うるしだ)戸田線にでる。進むと、旧奥州街道が右から交わる地点に行き着いた。
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道路脇には、既に無くなっている旧奥州街道跡についての標識が立っていた。部分的にでも、復活させて欲しいところである。
更に進むと、戸口配水場があり、大きな貯水タンクが2基並んでいた。
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ようやく林の中の道を過ぎ、展望が開けるようになった。向こうの山際には、車の通行量も多い県道16号線も見える。
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県道16号線に出て、右折すると直ぐに、雲泉寺がある。1373年の開山で古川市の富光寺の末寺である。
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進むと、須岐神社がある。延喜式神名帳に記載されている黒川郡四社の一つで、祭神は素盞鳴尊(すさのをのみこと)である。始め宮高森上にあり、建久2年(1109)に当地に遷座して椚(くぬぎ)千本を植て神境とした。中世より支配領主の崇敬篤く、延享3年(1746)に藩主宗村が病気平癒の祈願に参拝し、社殿は宝暦10年(1760)に新築造営、明治5年(1872)3月に郷社となる。
本殿は流れ造りこけら葺きで立派である。なお、江戸時代は「赤崎大明神」と称していた。また、この辺りの駒場の地名は、源頼朝が兵を進めてきたとき、ここで駒を休め兵糧を取ったからとの伝承があるとのこと。
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また、須岐神社境内には、戦中戦後の燃料不足時代の亜炭の採掘による土地陥没被害、酸化鉄流れだしによる土壌被害の復旧事業の記念碑が立っていた。
駒場簡易郵便局があり、この郵便局を右手に見て進むと、右側に明治天皇御休所址碑がある。
明治9年に駒場村の和泉幾之助宅の離家にて休憩され、自家醸造の清酒1樽を献上した。
これに対し、金15円の下賜金があったとのこと。現在の貨幣価値では10万円程度であろうか。
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小さな流れの駒場川を渡り、右に曲がって行くと東北自動車道の下をくぐり、左折となる。
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東北自動車道を潜って、すぐに左折すると高速道路に沿って緩やかに上ってゆく道となっていた。大衡村から大崎市三本木伊賀に入って行く。
少し進んだところで、いきなり林の中からカモシカと思われる大型動物が飛び出してきて道路を横断したのには驚いた。慌ててカメラを構えたが、送電線の鉄塔のフェンスの向こう側で鮮明な写真が撮れなかったのは残念である。
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今は、ほとんど見られることのなくなった藁葺き屋根の家も残っていて、静かな三本木伊賀の集落であった。1Kmほど進むと、「市道南伊賀線」と書かれた道標が立っている丁字路があった。
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丁字路を過ぎると、道は緩やかに上って行き、今度は陸橋で東北自動車道を越す事になる。
そして、2Kmほど進むと、左側に一里塚跡の表示杭が立っていた。奥州街道で、一里塚の跡とはいえ表示されているのは珍しい。
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一里塚跡を過ぎると、もう一度自動車道を陸橋で越す。三本木パーキングエリアに近く案内標識板が見える。
陸橋を渡ると、しばらくして街道は長い下り坂になり、下り終えたところで国道4号線と交差する。三本木の大豆坂交差点である。写真は、大豆坂を下って交差点を渡ってから振り返って撮影した物である。
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大豆坂交差点を渡ると、大きな大豆坂地蔵尊がある。名和2年(1765)火刑者の後生を弔うために、仙台広瀬川産の高さ4mにおよぶ巨石で建立され、現在は、延命子育て地蔵として、地元住民の篤い信仰を集めている。また、毎年4月24日に例大祭が行われ、稚児行列などが催され子どもたちの健やかな成長が祈願されるとのこと。
地蔵尊の後ろ側には、三本木の道の駅があるので、立ち寄って昼食をとることにした。大震災に伴う各種工事に従事する人たちが多く見受けられた。
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進んで鳴瀬川に架かる国道4号線の三本木大橋をくぐり、三本木宿の南町に入って行く。
三本木宿は中世、大崎氏の家臣渋谷氏の居城桑折城の城下町として発展し、天正16年(1590)に行われた大崎合戦では桑折城が大崎氏側の重要拠点の1つとなり、大崎氏逆転勝利の役割を担った。大崎氏が奥州仕置きで改易になると渋谷氏も連座し桑折城は廃城となるが、江戸時代に入り、奥州街道が整備されると三本木は宿場町として発展し、鳴瀬川舟運の川港町としても重要な位置を占めるようになった。鳴瀬川周辺には蔵が立ち並び米を中心に多くの物資が運びこまれたとのこと。
右側に、「清水湊不動尊入口」の古くて大きな道標があった。清水湊不動尊とは、どこにあったのであろうか。
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更に進むと、右側に八坂神社がある。本殿への階段脇の馬頭観音碑が、真っ二つに割れていた。そして、急な階段を上って行くと本殿がある。ここで冬に行われる三本木どんと祭(裸詣り)は有名で、無病息災・商売繁盛を祈願して行なわれている行事とのこと。
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八坂神社の先で左折して鳴瀬川を三本木橋で渡るが、ここで三本木の南町は終わる。
橋の上から鳴瀬川の上流方向を見ると、国道4号線の三本木大橋が見える。
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橋を渡ると、北町である。左側に今回の震災で壁の一部が剥がれ落ちたと思われるが、重厚で往時の繁栄を伺わせる建物が残っていた。
次に現れた(下の右の写真)のは、明治6年創業の新澤醸造店である。
歴史は古いが、東京農大を卒業後、難関の利酒名人に25才という史上最年少で合格、平成14年に宮城県最年少杜氏となった「新澤巖夫」専務をはじめ、蔵人の平均年齢は24歳と若く活気に溢れ、今後の発展が期待される新星蔵元とのこと。銘柄は従来からの「愛宕の松」に加えて2002年に立上げた特約店限定の新銘柄「伯楽星」は、瞬く間に全国から注目を集め、引き合いの多い人気酒となっているとのこと。
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本当に重厚な蔵造りの建物が多い。そして、街道左側に三本木宿北町の鎮守の白鳥神社がある。日本武尊の白鳥伝説に基づく白鳥神社である。
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白鳥神社を過ぎて北町の中心部から遠ざかると、道の両側の家並みも現在風になってきて、最後は三本木北町信号で国道4号線に合流する。
国道に出ると、右側にYKK APの大きな工場があり、通りすぎると多田川を渡り、大崎市古川になる。
国道4号線の鴻巣交差点で国道から離れ、古川市街に向かうが、2Kmぐらいは特に歴史的な遺構もなく単調な道が続く。
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陸羽東線の踏切を渡る。陸羽東線(りくうとうせん)は、宮城県遠田郡美里町の小牛田駅から山形県新庄市の新庄駅までを結ぶJR東日本の鉄道路線で、「奥の細道湯けむりライン」の愛称が付けられている。
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踏切を渡ると、端川寺がある。瑞川寺の創建は明確ではないが、中世、大崎一帯を支配した大崎氏の庇護を受け、郡内第一と称されるほどであったが、豊臣秀吉に大崎氏は改易され、その後起こった「大崎・葛西一揆」により戦災に巻き込まれ被災し、廃寺となった。江戸期に大崎は伊達領となり古川城主となった鈴木和泉守元信が仙台の松音寺の六世松庵堅貞禅師を招いて中興開山とし堂宇を建立。現在、本堂の前にある山門は旧古川城の搦手門を鈴木氏が移築したといわれ、寺門風に改造したものであり、大崎市指定有形文化財となっている。
しかし、大震災による被害も大きく、山門、本堂は補強工事中であり、観音堂に至っては転倒していて、修復には時間を要する状況であった。
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街道を進むと、緒絶橋(おだえばし)がある。
「緒絶の橋」には、平安の昔に皇后の嫉妬から都を追われ、失望したお姫様が川に身を投じたという悲恋物語が伝説として伝えられており、古来より緒絶川に架かる緒絶橋の名は悲恋の歌枕として多くの歌に詠まれてきた。三十六歌仙の1人藤原道雅(みちまさ)は「みちのくの をだえの橋や これならむ ふみみふまずみ 心まどはす」と伊勢の斎宮当子内親王に歌を送った事から、勅撰和歌集に選ばれ、「緒絶の橋」は第一級の歌枕と認識されるに至った。松尾芭蕉は訪れる事はできなかったものの奥の細道「緒だえの橋」について言及している。
この緒絶の橋の袂で、橋平酒造は寛政2年(1790)に創業し、200余年の歴史を代々受け継いでいる。創業時は酒造りのみであったが、寛政5年から味噌,醤油の醸造を開始し,さらに天保5年頃には質屋も兼ねたと伝えられている。昭和60年まで酒造りを行い、以降は委託醸造による自社ブランド「玉の緒」を提供しているが、200余年の歴史を持つ建造物は、旧古川市の中心市街活性化基本計画のひとつとして再整備され,平成17年6月に商業施設「醸室(かむろ)」として生まれ変わり、数々の蔵を改修して地元大崎の食文化発信地となっている。
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緒絶橋を過ぎて、次の信号で右折する。古川七日町であるが、シャッターの閉まった店が多いのは、あながち大震災の為のみではない気がする。
十日町の信号を過ぎ、古川台町に入ると、ようやく通りも華やかさを帯びるようになってきた。
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新幹線古川駅には、14:30に着いた。駅ビル前の舗石がズレているなど、多少の被害はあるようで補修作業が行われていた。駅ビル内のコーヒーショップで休憩を取り、15:15発の「やまびこ」で帰宅の途についた。


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