2011.11.23
中欧の旅(3日目:11/17)・・・(旅行)
3日目になりました。今日は、プラハに向かい、プラハの街を観光します。
朝食を済ませて、8:00にバスで出発してチェコのプラハに向かいます。プラハまで約5時間のバスの旅です。
途中の森の中では、霧氷が木々を飾っていました。とても寒そうです。
森を過ぎて、田園地帯も霧で幻想的です。
プラハの市街に着きました。気温は3℃で少し上がって、霧氷などは見られません。
まずは、レストランに向かい、昼食です。メインは牛肉とタマネギ、パプリカなどから作られるシチュー料理のグヤーシュです。美味しかったです。
食事を済まし、プラハ城の北門に向います。聖ヴィート大聖堂の尖塔が見えてきました。
北門も両側に衛兵が直立不動で立っています。中に入ると第二の中庭で、正面に1764年に建てられ、1856年に建て直した聖十字架の礼拝堂とコールの噴水があります。
さらに、第三の中庭に進むと、大きな聖ヴィート大聖堂があります。大きくてカメラに収まりません。大きさは奥行き124メートル、幅60メートル、高さ96.6メートルもあり、14世紀のカレル4世の時代に現在のような堂々とした建物にする工事が始められ、最終的な完成は20世紀になってからというのも驚きです。
中に入りました。入り口上部には丸い「バラ窓」と呼ばれる窓があります。
大聖堂の入り口を出て、左にまわって行くと、聖ヤン・ネポムツキーの像がありました。聖ヤン・ネポムツキーの像は、プラハ市街のあちこちで見られるとのことですが、常に頭に5つの星を配して造られています。
南ボヘミアのネポムクの出身であったことから、聖ヨハネのネポムクとも呼ばれ、その殉教の背景には、当時のボヘミア王ヴァーツラフ4世とカトリック教会との対立があり、空席となっていた大修道院長の人選をめぐる問題があったとする説や、司祭として知りえた王妃の告解の内容を王に明かすことを拒んだからとする説などがあるそうです。いずれにせよ王を怒らせた聖ヨハネは拷問を受け、1393年3月20日に落命しました。その遺体はカレル橋の上から投げ捨てられましたが、同年4月17日、ヴルタヴァ川の川岸で発見されました。
大聖堂と間に第三の中庭を挟んで建つ旧王宮は、現在はチェコの大統領府として使用さています。そのため国旗が掲揚されています。衛兵の交代がありました。
プラハ城の正門に向かいます。正門の両側の門柱の彫刻は、戦う巨人たちでインパクトがあります。当然門柱には、衛兵が直立不動の姿勢で立っていて、観光客とよく一緒に写真撮影されます。
正門を出て、左に進むと、プラハの街の赤い屋根が美しく見渡せます。そして、階段を下って行きます。
下って行くと、英国大使館があって、チャーチルの胸像がありました。パイプをくわえていないのは、最近のご時世にならって禁煙したからでしょうか。
そして、トラムの走る道路に出て、さらに下るとカレル橋にでます。
午後4時ですが、夕闇が迫ってきた気配です。カレル橋(カルルーフ・モスト)は、観光客は必ず訪れるところで、大勢の人が歩いています。、プラハを流れるヴルタヴァ川(モルダウ)に架かっている橋で、ヨーロッパに現存する最古の石橋です。神聖ローマ皇帝カール4世の治世下1357年に建設が始まり1400年に完成しました。最初は単に石橋、プラハ橋と呼ばれていましたが1870年よりカレル橋と呼ばれるようになったとのことです。橋の長さは516mで、橋の欄干には15体ずつ、合計30体の彫刻が並んでいます。その中でも有名なのは聖ヤン・ネポムツキー像で、台座の左側のレリーフに刻まれた聖人をなでると幸運が訪れると信じられていて、皆が触るので金色に輝いています。
聖人の像の傍らには、物乞いの乞食もいました。寒いので同じ姿勢を保つのは厳しいことだと思います。生活保護制度からも漏れる人が居るのでしょうか。橋の下では、今日もヴルタヴァ川が豊かに流れています。
日本人には、馴染みの深い聖フランシスコ・ザビエルの像もあります。カレル橋を渡って行くと、向こう側の橋にも塔が建っています。
516mのカレル橋を渡り終え、旧市街広場に急ぎます。ひときわ高くそびえているのは時計塔です。時計塔と西に続く建物が旧市庁舎で、世界遺産です。
広場の東側にはティーン教会(正式にはティーン(税関)の前の聖母マリア教会)の2つの尖塔がライトアップされて美しく輝いて見えます。 |
広場の中央には、ヤン・フスの銅像があります。ヤン・フスは、チェコの宗教改革の先駆者として知られていて、ローマ教会の堕落を厳しく批判したため、1415年に火あぶりの刑になりました。銅像は、1915年フス没後500年を記念して造られたものです。
広場の西北の隅には、聖ミクラーシュ教会があります。18世紀に完成した豪華で壮麗なバロック様式の教会で、1787年、モーツァルトがこの教会で演奏したオルガンが現存しているとのこと。
カフカ( 1883 – 1924)が生まれた家が、聖ミクラーシュ教会の北側にあります。現在、カフカカフェが入っている建物です。
時間があるので、火薬塔を見に行きました。火薬塔は15世紀終わりごろにプラハの旧市街の入り口として建てられた門です。17世紀に火薬置き場として塔を使ったので塔はその時代から火薬塔と呼ばれています。19世紀に塔の建て直しが行われ、現在の塔の高さは65メートルです。
火薬塔の隣には市民会館がありました。アールヌーヴォー様式の建物で1906年に建設が始まり、1912年11月22日に完成しました。
1918年チェコスロバキアの独立宣言した場所であり、今は、プラハの春音楽祭のメイン会場として有名で、音楽祭は、1946年より始まり、毎年スメタナの命日5月12日に開幕します。
この近くのレストランで魚料理の夕食をとり、今晩のホテルに向かいました。