2009.11.07
2009.04.26
イタリア旅行(6日目:4/26)・・・(旅行)
今日は、イタリア旅行最後の日です。帰国の飛行機は午後発なので午前中は自由時間です。
それで、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の真実の口を見に行くことにしました。地下鉄をチルコ・マッシモ駅で降りて、パラティーノの丘の遺跡群を見ながら進みます。
遠くに、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂が見えます。アヴェンティーノの丘からは、サン・マルコ寺院も見えます。
ベンハーの戦車レースが頭に浮かぶチルコ・マッシモです。ここを通り抜けて進みます。
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会に到着しました。この教会の側壁の奥に「真実の口」があります。元々は下水溝のマンホールの蓋で、海神トリトーネの顔が刻まれています。ここもローマの休日で有名になりました。以前訪れたときは、自由に立ち寄れたのですが、今は柵が設けられ、行列に並ばなければなりませんでした。
コスメディン教会の中に入ると、ビザンチン風の聖母子のイコンが飾られていました。右の写真は、コスメディン教会前の広場に建つ釜戸の神様ヴェスタの神殿です。ローマ時代の多神教時代の神で、当時は一家の守護神として家ごとに祀られていたとのこと。
円形劇場上に建つ貴族の館
ローマ市庁舎のセナトリア宮に行きました。ここにもローマ起原のロムルス、レムスの像がありました。
フォロ・ローマノとセヴェルス帝の凱旋門です。古い遺跡が多数残っています。
フォロ・ディ・チェーザレ(カエザルのフォロ)と最後に、ユリウス・カエザルの像を見て、コロッセオ駅に出て、テルミニ駅に戻りました。なお、カエザル像の後ろに見えるのは、サンタ・ルーカ・エ・マルティーナ教会です。
2009.04.25
イタリア旅行(5日目:4/25)・・・(旅行)
イタリア旅行も5日目になりました。今日と明日はローマ観光です。
最初にヴァチカン市国を訪れ、サン・ピエトロ大聖堂の見学です。左の写真は、ヴァチカン市国の入り口の門で、右は、サン・ピエトロ寺院のドームです。
ドーム(クーポラ)には、エレベーターがあり、上ることができます。右の写真は、システナ礼拝堂への廊下ですが、随所にフレスコ画が描かれています。
廊下を進むと、ミケランジェロ作の有名な嘆きのピエタがありました。キリストの下に敷かれた布の質感が本物の布のようです。マリヤ様が若すぎるとの意見もあるそうですが、名作であることは疑う余地がありません。
サン・ピエトロ寺院の内部の様子と、ペテロの像(右の写真)です。ペテロの像は、多くの人が足を撫でるので磨り減ってしまっています。
左の写真は、法王がミサを行う祭壇です。右は聖人と天使の像ですが、一番右側の天使はイギリスを踏みつけています。英国国教会を立てた英国への恨みの凄さが伺われます。
左の写真は、スイス人の法王の衛兵です。スイス人の衛兵は、1505年6月、当時の教皇ユリオ2世は、傭兵として各地の戦争で活躍し、精強な兵としてヨーロッパ中に知られていたスイス人兵士200人を当時は教皇領だったローマに連れてきて、バチカンを守らせることにしたのに始まります。その後幾多の変遷を経て現在に続いています。右の写真は、サン・ピエトロ寺院前の広場の様子です。
サン・ピエトロ広場を後にして、コロッセオに向かいます。途中、バスの窓からパラティーノの丘の遺跡群が見えました。
コロッセオの前には、コンスタンティヌス帝の凱旋門があります。
そして、あまりにも有名なコロッセオ。
コロッセオからトレビの泉に向かいましたが、途中、車窓から水道橋の遺跡が見えました。
そして、これもあまりにも有名なトレヴィの泉です。ポーリ宮殿(Palazzo Poli)の壁と一体となったデザインで、中央に水を司るネプトゥーヌス(ポセイドーン)が立ち、左に豊饒の女神ケレース(デーメーテール)、右に健康の女神サルース(ヒュギエイア)が配置されています。
次は、スペイン広場に向かいました。オードリー・ヘップバーンのローマの休日で一躍有名になったところです。スペイン広場の階段の下には、舟の噴水(バルカッチャの噴水)があります。
スペイン広場を見て後は、ホテルに戻り自由時間になりました。まだ午後4時で夕食には時間があるので、テルミニ駅の方に散策に出かけましたが、近くにサンタ・マリア・マッジョーレ教会が有りました。写真は、教会の後方から見たところです。そして、右の写真はテルミニ駅全景です。
テルミニ駅構内とユーロエクスプレスの列車です。
2009.04.24
イタリア旅行(4日目:4/24)・・・(旅行)
4日目は、フィレンツェ観光です。ホテルを出て、まずミケランジェロ広場に行きました。ここに有名なダビデ像があるのですが、この像はレプリカで本物はアカデミア美術館にあります。また、この広場は小高い丘の上なので、フィレンツェの市街がよく見えます。特に、Duomoとヴェッキオ宮殿の尖塔が目をひきます。
フィレンツェの市街を眺めた後は、市街に戻りますが、端正な姿のサンタ・クローチェ聖堂がありました。この聖堂には、ミケランジェロ、ガリレオ、マキャヴェッリ、ジョヴァンニ・ジェンティーレ、ロッシーニといった有名なイタリア人たちの埋葬されています。
次に訪れたのはウフィッツィ美術館ですが、内部は撮影禁止なので、僅かに渡り廊下から撮ったヴェッキオ橋のみです。しかし、この美術館は、イタリア国内の美術館としては収蔵品の質、量ともに最大のもので、1982年に世界遺産フィレンツェ歴史地区の一部として認定されています。ともかく、美術の教科書でしか見たことのない、ボッティチェッリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロらのイタリアルネサンスの巨匠の絵画が生で見られて感激でした。
次に訪れたのは、ヴェッキオ宮殿である。1299年から1314年にかけてフィレンツェ共和国の政庁舎として建築され、一時、メディチ家もピッティ宮殿へ移るまでここを住居としていました。1550年から1565年の間に、部分的に改築された。現在でも、フィレンツェ市庁舎として使われています。
ヴェッキオ宮殿の前の広場は、シニョリーア広場と呼ばれ、ネプチューンの噴水(左)、ダヴィデ像等があります。
次は、単にDuomoと呼ばれているサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂です。外装は白大理石を基調とし、緑、ピンクの大理石によって装飾されて威容を誇っています。建設が開始は、1296年で、1461年に完成しましたが何と160年ほど要しています。
左のは、大聖堂付属のジオットの鐘楼です。右の上側の写真は、やはり大聖堂と向かい合わせのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の東側の扉(1452年完成)で、ミケランジェロが「天国への門」と呼んで賞賛したものです。現在設置されている扉はレプリカで、本物はドゥオーモ付属博物館に所蔵されています。
市街の道路から見た大聖堂。