2010.09.22
興福寺、薬師寺、唐招提寺・・・(旅行)
奈良に立ち寄る機会があり、興福寺の国宝展、今年秋に解体され修復に10年を要するとされる薬師寺の東塔ならびに唐招提寺を訪れることにしました。
1. 興福寺とその周辺
宿泊に選んだホテルが「猿沢池」の近くでした。着いたのは9月21日でしたが、22日には、采女祭(うねめまつり)とのことで、池の周りには提灯が灯されていました。采女祭は、奈良時代に帝の寵愛が衰えたことを嘆いて猿沢池に身を投げた采女(後宮の女官)の霊を慰めるために行われる祭りです。
池の周りに配置されたベンチでは、若いカップルが提灯の照らす明かりの中の楽しい時間を過ごしています。
猿沢池からは、ライトアップしている興福寺の五重塔が見えていました。階段を上って行くと、5人ばかりの人が撮影を試みていましたが、三脚を使っている人はともかく、夜間の撮影なのでうまく撮れません。何枚か試みて比較的良好なのが下の写真です。昨日は満月で、今日も丸い月が輝いてよい感じです。この塔は、天平2年(730)に興福寺の創建者藤原不比等(ふひと)の娘光明(こうみょう)皇后の建造ですが、その後5回の被災・再建をへて、応永33年(1426)頃に再建されたのが現存する塔で、高さは50.1mです。
一夜明けました。今日は9月22日です。猿沢池も昨日夜とは違った姿を見せています。魚7分に水3分と言われる池です。
階段を上って興福寺の南円堂の前にでました。創建以来4度目の建物で、寛政元年(1789)頃に再建されたお堂です。堂内には本尊不空羂索観音菩薩像(ふくうけんさくかんのんぞう)、四天王像が安置されていていずれも国宝です。
興福寺五重塔と東金堂です。なお、中金堂は、再建中で平成30年落慶予定とのことです。
2. 薬師寺
国宝館での余韻を引きずりながら、ホテルに戻り、チェックアウトして近鉄電車で西ノ京駅に向かい、薬師寺の興楽門に着きました。天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い718年に現在地に移されたとのことです。
最初に目に付く大きな建物は、大講堂です。修学旅行と思われる大勢の生徒が訪れていました。大講堂には、重要文化財の弥勒三尊が鎮座しています。また、仏像の裏手の方に回って行くと、国宝で天平勝宝5年(753)に刻まれたことがわかる日本最古の仏足石があります。さらに、中村晋也作の釈迦十大弟子が立っていますが、顔は仏像的でなく、アーリア人の骨格や、顔相、その当時の修行の様子などを、すべて現地に出向き、調査研究して、原形態に近付ける努力をしたものとのことでした。
国宝の大講堂の次には、金堂です。金堂の両側には東塔と西塔が建っていますが、すっかり色が褪せてしまった東塔は、今年の秋には解体され、10年ほど掛けて修理再建されるとのことです。10年間は見られなくなるので、今のうちに見ておきたいと思ったのが訪れた最大の理由です。ともかく、現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもので、総高34.1メートル(相輪含む)です。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇るとのことです。
また、金堂の中には、国宝であり、美術史の本などに良く登場する薬師三尊像があります。薬師如来が中心に鎮座し、右に日光菩薩、左に月光(がっこう)菩薩が屹立しています。ブロンズ作りで黒光りした像で世界でも最高の仏像と云われています。
講堂と金堂、東塔、西塔を見学した後は、少し離れた場所にある玄奘三蔵大伽藍に向かいます。途中、萩の花が咲いていましたが、満開には少し早いようです。
玄奘三蔵院の回廊に囲まれて中央に八角形の玄奘塔が建っています。薬師寺は法相宗ですが、その始祖である玄奘三蔵の遺骨を真身舎利(しんじんしゃり)として奉安し、須弥壇には玄奘三蔵訳経像を祀っています。
また、回廊の裏面に当たるところには、大唐西域壁画殿があり、平山郁夫画伯が30年かけて完成させた玄奘三蔵求法の精神を描いた壁画が掲げられています。
3. 唐招提寺
薬師寺を後にして、唐招提寺に向かいます。狭い道路ですが車の通りが多く注意が必要です。それにしてもまだまだ残暑が厳しくこたえます。途中の蕎麦屋で昼食を取りしばし休憩を取りました。
唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)に天武天皇第7皇子の新田部親王(にいたべしんのう)の旧宅跡を朝廷から譲り受け寺としたもので、晩年を過ごしました。
南大門を入ると、正面に金堂が見えます。世界遺産登録の表示のある大きな寺名碑の前を通り金堂正面に達します。
金堂には、中央に本尊の盧舎那仏坐像が安置され、右に薬師如来立像、左に千手観音立像が配置されていますが、いずれも国宝で木心乾漆の作りです。
金堂の諸仏にお参りをして左手に回って行くと、舎利殿とその後方の長い建物の東室・礼堂(らいどう)が見えてきます。
また、金堂の後ろには講堂があり、中央に弥勒菩薩坐像、左右に持国天立像と増長天立像が配置されています。弥勒菩薩は鎌倉時代の作で左右の仏像は8世紀の作で、いずれも重要文化財です。
東室の北側の旧開山堂の手前に松尾芭蕉の句碑があります。元禄元年(1688)ここで、鑑真和上坐像を拝した際に芭蕉が詠んだ「若葉して御目の雫拭はばや」の句が刻まれています。
また、旧開山堂の裏に回ると、北原白秋(1885-1942)が唐招提寺の開祖である鑑真和上像に感動した時に詠んだと云われる歌「水楢(なら)の柔き嫩葉(わかば)はみ眼にして花よりもなほや白う匂はむ」の歌碑があります。
北原白秋の歌碑を過ぎて進むと、左手に鑑真和上の御廟があります。参道は苔が生していて厳かな雰囲気が漂い、一番奥に石造りの廟が建っています。
鑑真和上の御廟から引き返す途上に土塀に囲まれた、非公開の御影堂があり鑑真和上坐像が安置されています。建物は興福寺の有力な子院であった一乗院(廃絶)の遺構で、慶安2年(1649年)の建立で、1962年までは地方裁判所の庁舎として使用され、1964年に唐招提寺に移築されたもので、重要文化財に指定されています。
東室・礼堂の裏側に至る道を戻ると、正倉院より古い校倉造(あぜくらづくり)で国宝の宝蔵があります。
ここから、東室と礼堂の間にある通り抜け通路の馬道(めどう)を通って講堂横に戻りました。
まだまだ暑くて、暑さに弱い家内はまいっています。タクシーで西大寺駅に行き、京都に出て15時32分の新幹線で帰宅しました。