2013.12.04
富士山の鳴沢氷穴・・・(旅行)
富士山の鳴沢氷穴を見に行ってきました。昨日は、激しい雨で今朝出発時も激しく降っていたのですが、幸いにも鳴沢氷穴に到着したときはほぼ止んでいました。富士山が世界遺産になったことも影響して、真夏は、氷穴に入るのに2時間待ちになるくらい混み合うようですが、今日は雨模様の天気のためか。貸し切り状態で、全く待つことなく入れました。
貞観6年(864)富士山の側火山長尾山の噴火の際、古い寄生火山の間を灼熱に焼けた溶岩流(青木ヶ原丸尾)が流れ下ってできた洞窟とのことです。
今日現在の内部の温度は0℃とのことです。15分程度のことですが、半袖のシャツでは寒いので皆んな上に何か羽織って入って行きます。
階段を下って、しばらく木の歩道を進むと、更に急な階段を下ります。
下りきると、高さ90Cmのトンネルです。腰を屈めて進むのは、かなり辛いです。昨日の雨のせいか足元は濡れていて、上からは水滴がポタポタと落ちてきます。
何度か頭も打ち付けながら通り抜け、もう一度急な階段を降りると、小さな祠が祀られていました。氷穴は江ノ島に通じていると言われ神聖な洞窟とされていたと書かれていました。
そして、この洞窟で一番深い場所は、氷の貯蔵場所です。江戸期には、夏に馬でここから氷を将軍様に届けたのです。大変貴重なものだったと思われます。
氷の貯蔵場所をを過ぎると、入ってきたときとは別の急な階段を上って外に出ます。
外には、遊歩道が整備されていて、富士山樹海の中を散策できるようになっています。
2013.06.18
六義園(りくぎえん)・・・(散策)
六義園(りくぎえん)は、元禄8年(1695)、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園です。
幕末まで、柳沢家の江戸下屋敷として使用され、明治の初めに岩崎弥太郎(三菱創始者)の手にわたり、昭和13年(1938) に東京市に寄贈されて、以後一般公開されるようになりました。東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、昭和28年(1953)に特別名勝に指定されています。
学生時代に一度訪れただけで、40有余年ぶりの再訪となりました。美しい庭園であったという記憶だけは残っていましたが、どのような庭園であったのかと言う記憶は、全く残っていませんでした。
池の中央に島を配し、和歌で名高い場所の風景を模したつくりになっているとのことで、和歌が書かれた案内板が、数多く立っています。
このレンガで造られた六義園を囲む長い塀は、岩崎家の持ち物となったときに作られたそうです。