2012.06.24

日運寺・・・(旅行)

南房総の「日運寺」に行って来ました。
寺の由来書きによれば、むかし勝栄坊と称する真言宗の小堂でした。文永元年(1264年)9月頃に日蓮聖人が鎌倉から小湊に帰る途中、この堂に止宿し当時の堂主の行然法印は日蓮聖人の人得と高説に敬服し日蓮宗に改宗した寺です、とあります。
しかし、今回は寺の由来に興味を持ったわけでも何でもなく、単純に「紫陽花」の写真を撮るために訪れました。

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山門を入ると、推定樹齢600年の「カヤの木」が参道に倒れ掛かかっていました。
カヤは雌雄異株で、雌株にのみ実がなり、食用となる。また、カヤの木で作った、碁盤、将棋盤は最高級品です。

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参道のみならず、本堂の裏山にも紫陽花が一面に植えられています。

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2012.03.22

和歌山市内の名所を尋ねて・・・(旅行)

国民休暇村で一泊した次の日の3月20日は春分の日でした。10時頃にチェックアウトして、和歌山市の何箇所かを回ることにしました。意外に近場は、行ったことのない場所も多いものです。

1. 淡嶋神社

最初に訪れたのは、加太港に面して建っている「淡嶋神社」です。祭神 は、少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おほなむじのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后(じんぐうこうごう)を祀っています
淡嶋神社系統の神社は日本国内に約1000社余りありますが、ここはその総本社であり、和歌山県内でも屈指の歴史を誇っています。社伝によれば、三韓出兵の帰途瀬戸の海上での突然の嵐に遭遇した神功皇后が、船中で祈りを捧げたところ、「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めるように」とのお告げにより友ヶ島に無事入港できたことを感謝し、持ち帰った三韓渡来の宝物を先述の二神に奉納しました。その数年後、神功皇后の孫である仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来た際、その事実を聞くにおよび、島では不自由であろうと考え、社を対岸の加太に移し、現在のような社殿を建築したことが淡嶋神社の起こりとされるとのことです。
なお、苫(とま)とは、菅(すげ)や茅(かや)などを粗く編んだむしろのことです。

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また、この神社は人形供養の神社としても有名で、境内には供養のために納められた、無数の雛人形や市松人形、はてはフランス人形までもが所狭しと並べられています。そのため心霊スポットとしてマスコミに取り上げられることがあり、髪の毛が伸びることで話題を集めたお菊人形も安置されているとのことです。

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2. 養翠園

次は、紀州藩第10代藩主徳川治寶(はるとみ)によって、文政元年(1818)から文政9年(1826)にかけて造営された西浜御殿内の広大な大名庭園である養翠園(ようすいえん)です。
和歌山湾沿いの立地を利用して、海水を引き込んだ「汐入り」の池が特徴的で、潮の干満に応じて細波が立ち、水面が上下する独特の風情があります。この池には、日本庭園としては珍しい直線状の三ツ橋を渡しており、背後の天神山と章魚頭姿山(たこずしやま)を借景としたこの構図は、中国の西湖を模したものと伝えられています。また、藩主は、舟を用いて来園し、そのための船着場が園内に設けられています。したがって正門はもっぱら客人のためであったようです。
なお、日本の大規模な庭園で汐入の池をもつものは、これらの他には東京都港区の浜離宮恩賜庭園だけとのことです。

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3. 和歌浦

次は、山部赤人が「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」と詠み、「万葉集」にも載せられていることで有名な「和歌浦(わかのうら)」です。現在の地名では「わかうら」と呼ばれていますが、子供の頃に親に連れられて訪れたときと比べても、あまりにも衰退して、廃屋となった旅館も多く、また跡地には老人ホームなどの施設が見られました。雑賀孫市で有名になった雑賀崎も有るところなのですが、和歌山市政の貧困さのためか、山部赤人の歌碑も、雑賀孫市に纏わる記述を見ることもなく、海岸べりの工場や商業施設などで景観を完璧に破壊し、折角の遺産を完膚なきまでに壊してしまっています。

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4. 和歌浦天満宮

延喜元年(901)に菅原道真が大宰府に向かう途中、海上の風波を避けるために和歌浦に船を停泊しました。その時、神社が鎮座する天神山から和歌の浦を望み、2首の歌を詠みました。
「老を積む身は浮き船に誘はれて遠ざかり行く和歌の浦波」
「見ざりつる古しべまでも悔しきは和歌吹上の浦の曙」
その後、村上天皇の康保年間(964 – 968)に参議橘直幹が大宰府から帰京する途中に和歌浦へ立ち寄り、この地に神殿を建て道真の神霊を勧進して祀ったのが始まりとされます。また、道真が立ち寄った際に、敷物がなく、漁師が船の艫綱を敷物(円座)にして迎えたといい、綱敷天神とも称せられています。天満宮は和歌浦天神山(標高約93m)の中腹に位置し、菅原道真を祀り、和歌浦一円の氏神として尊崇されています。もちろん、受験生も合格祈願に多く訪れることでしょう。また、和歌浦天満宮は、藤原公任卿の詠歌「和歌の浦の天満宮や日の本の三の名だる一つとぞきく」にもあるように、大宰府、北野と並んで、”日本の三菅廟”といわれているとのことです。

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5. 紀州東照宮

元和7年(1621)に徳川家康の十男である紀州藩祖・徳川頼宣により南海道の総鎮護として創建され、関西の日光とも称される。本殿は伝・左甚五郎作の彫刻や狩野探幽作の襖絵があるとのことです。

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元和5年紀州初代藩主として入国した徳川頼宣(1602?71)により、東照大権現を祀る東照社として建立されました。頼宣の紀州入国とともに計画され、元和6年(1619)起工、元和7年(1620)に竣工・遷宮式が行われました。『紀伊続風土記』によれば、境内は方八町で、宮山周囲50町余りであったといいます。現在は頼宣も合祀されています。

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6. 琴の浦 温山荘園

最後に訪れたのは、明治21年に日本で初めて動力伝動用革ベルトを製作し、その後、世界有数のベルトメーカーとなった新田帯革製造所(現 ニッタ株式会社)の創業者、新田長次郎翁により、この地に大正初期から造園された「温山荘園」です。
子供の頃、親に連れられて来た記憶がかすかにあるのですが、情景は完全に忘れていました。また、新田長次郎の造園なので大人達は「新田の別荘」と呼んでいて、長く「新田義貞」の別荘と思い込んでいました。

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紀州の名園として名高く皇族らがしばしば来訪し、随行した桂太郎、清浦奎吾、東郷平八郎、秋山好古らの扁額が主屋「温山荘」に掲げられているそうです。
造園は、大正初期から昭和初期にかけてで武者小路千家家元名代の木津宗泉により作庭された潮入式池泉回遊庭園です。この潮入り庭園は、先に紹介した「養翠園」にヒントを得たと思われ、個人の庭園としては日本最大です。
また、「温山荘」の名称は”温山”の雅号を持つ翁の求めに応じて、東郷平八郎元帥により命名されました。当初は翁の健康維持のために使用していましたが、在世中に一般人にも解放されるようになり、翁の没後はその遺志により、「財団法人 琴ノ浦 温山荘園」を設立し、その財団が管理にあたっています。

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なお平成10年には建造物が、文化庁文化財部より「登録有形文化財」の指定を受け、平成22年2月に庭園が国名勝の指定、平成22年6月に建物が重要文化財指定を受けています。

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駆け足で和歌山市内の名所を回りましたが、まだまだ和歌山城も紀三井寺もあります。
最近では、熊野古道のみが喧伝されていますが、もっと訪問客を誘う材料があると思えるのですが・・・。


紀州加太国民休暇村・・・(旅行)

春の彼岸も終えた3月19日に94歳の母と2人の妹と私の4人で、紀州加太国民休暇村に行きました。高齢の母を連れてなので、あまり遠くには行けないと選び初めての訪問でした。

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海に面した小高い丘の上に建っていて、部屋の窓からは「友ヶ島」とその向こうに「淡路島」がよく見えました。素晴らしい眺めです。
大阪湾への海路なので、第二次世界大戦の時には砲台が築かれ、その弾薬庫跡が保存状態もよく残っていました。

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目の前の友が島周辺は、鯛の良好な釣り場とのことです。
淡路島に沈む夕日を見ながらの夕食も、鯛を中心とした献立てで美味しくて堪能しました。

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2012.02.28

美術館(中川一政、MOA)訪問・・・(旅行)

今日は、真鶴にある「中川一政美術館」と熱海の「MOA美術館」を訪問します。寒い朝ですが、よく晴れています。途中、バスの窓から富士山が綺麗に見えました。
多少の渋滞がありましたが、中川一政美術館には、11:00ごろには着きました。

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観光バスが3台ほど停まっていて、美術館が混雑しているので、先に別の建家に移設された一政のアトリエなどを見学し、その後美術館に進みました。一政は、98歳の長寿を全うするのですが、晩年には白内障のためほとんど色が判別できなくなり、家政婦に絵の具の色の名を大きく書かせて描く時に見分けたとのことです。

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5つの展示室があり、油絵、新聞小説の挿絵、書などが展示されています。絶筆となった薔薇の絵も展示されていました。
当然ながら、写真撮影は禁止なので「絵葉書」を買い、何枚かをスキャナーで取り込みました。下は、福浦突堤と箱根駒ヶ岳です。

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一政が最も描くことを好んだ薔薇の絵と向日葵の絵です。

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お昼になり、12:20に磯料理を出すお店に着きました。いけすの魚を使ったお刺身は、流石に美味しかったです。

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食事のお店は岩忠と言い、場所は真鶴ブルーラインの橋が眼前に見える場所でした。

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今日の最後の訪問の「MOA美術館」に向かいました。山の斜面に建てられた美術館で、入り口から延々とエスカレータで上って行きます。エスカレーターは山の斜面に掘られたトンネル内に造られており、刻々と照明の色が変わるなど美しい空間になっています。

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エスカレーターで上り切ったフロアーに能楽堂があり、解説を含め1時間ほど狂言を鑑賞しました。その後、東洋美術を中心とした展示物を見学しましたが、モネの睡蓮の絵もありました。
この美術館の一番の展示物は国宝の尾形光琳の「紅白梅屏風図」ですが、CG技術で作られたレプリカも飾られていて、これは写真撮影が出来ました。

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高い山の上に造られた建物なので、眺望は素晴らしいものでした。初島もよく見えました。

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上のフロアーから見下ろしたときに見えた、王と女王のモニュメントも見に行きました。

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また、別のフロアーから外に出ると、尾形光琳の屋敷が復元されていました。宝永年間の数年の江戸滞在の後、正徳2年(1712)ころ京都新町通り二条下るの地に屋敷を新築するが、自ら書いた図面と大工の仕様帖(いずれも重要文化財)が現存しており、それを元に復元したものとのことです。軒先の紅梅も綺麗に咲いていました。

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本当に眺めの良い場所でした。

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午後4時30分に閉館なので、その後は帰路に向かいました。楽しい1日が過ごせました。


2011.12.18

鰤づくしのディナー・・・(仲間)

久しぶりに、音楽好き仲間が集まり、以前から利用しているお店でディナーの会を開きました。10人の出席の予定が、3人が風邪でダウンして7人になりました。
ここは、もともとイタリアンレストランだったのですが、どうもレストランだけでは営業的に苦しいのか、パン屋さんに模様替えして、パンの販売とカフェになっていました。料理も一応定番的なものは出すとは、言っていましたが、いずれにしろ、テーブルスペースは、8人程度でいっぱいになる小さなものになってしまいました。
さて、今日のテーマは「鰤(ブリ)」で、マスターが示しているように、寒ブリのニース風サラダ、内臓と冬野菜のミネストラ、クリビヤック、ブイヤベース、それにリゾットとアップルパイのデザートとコーヒーが出ました。

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以前からおいしいパンを出していましたが、パン屋さんになって今日もまず、パンが出て続いて、一つ目の料理の「寒ブリのニース風サラダ」です。ブリの料理は、なんとなく和風なものとの印象がありましたが、こうするとイタリアン風になります。ドレッシングも自家製でしょうが、美味しいサラダでした。

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次はブリの内臓も使って冬野菜を加えたミネストラです。多少クセがあるのですが、とても美味しかったです。以前にも内臓料理の会を開きましたが、内臓料理は得意で腕の見せ所なのでしょう。
続いて、クリビヤックです。クリビヤックは、ロシア料理で、パイ生地に魚を包んで焼いたもので、サーモンを使うことが多いようですが、今日はブリの切り身を使ったものでした。
中のブリも美味しいが、パイ生地も美味しかったです。

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クリビヤックの次は、ブイヤベースです。これも美味しかったですが、皆さんもう満腹です。

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満腹なので次のリゾットは、量を減らして出してもらいました。これもしっかりとブリの味がしみ込んだリゾットでした。
そして、本当に最後のデザートとコーヒーです。デザートはアップルパイでした。

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ブリといえば、ブリの照り焼きかブリ大根ぐらいしか知らなかったのですが、腕のよい料理人のおかげで、色々な料理を堪能することができました。いやー、本当にどれもこれも美味しかったです。いささか食べ過ぎの状況でありましたが・・・。


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