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2010.11.20

日光・・・(仲間)

毎年の恒例になっている、大学時代の仲間と一泊旅行にでかけました。
今年は、今市から日光まで歩き、日光東照宮を見物して、日光湯元温泉で一泊し戦場ヶ原を歩いて中禅寺湖に出て、その後華厳の滝を見物して帰宅しました。
今回の参加者は、当初6人の計画が、2人に急用ができ4人の参加となりました。
まず、2人がJR今市駅から9:00に出発しました。直ぐに、例幣使道との追分に出ます。
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追分にある、大きな地蔵に手を合わせ旅の無事を祈って、二宮神社に進み、ここで東武日光線で下今市駅に降り立った2名と合流して、4名全員揃いました。
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神社本殿の裏に回って、二宮尊徳の墓にお参りします。銅像も立っています。二宮尊徳は小田原の百姓の生まれですが、奉公先の小田原藩家老の服部家で財政建て直しを成功させて名前が知られるようになり、晩年は日光山領の農業振興を依頼され、下野国今市村(現在の栃木県日光市)で安政3年10月20日(1856年11月17日)に没したのです。墓はいらない、木を1本だけ植えてくれと言っていたそうですが、神社ができ、墓も作られたのは、やはり稀有な人物であったのでしょう。尊徳先生、現在の日本の農業の実態を知れば、何と思われるでしょう。そう言えば、昔は小学校の校庭で見られた二宮金次郎像もあまり見かけなくなりました。
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二宮神社の西隣には、室町時代中期の創建の浄土宗の如来寺があります。
寛永9年(1632)、三代将軍家光が東照宮造営の時ここに壮大な御殿を建設し逗留したとのことです。また、二宮尊徳の葬儀も、このお寺で執り行われました。
日光街道の119号線に復帰して進むと、会津西街道の追分があります。この道は、鬼怒川、大内宿を通って会津若松に通じています。江戸中期まで、参勤交代で利用された道です。
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さらに、進むと、道の左側に有名な「日光みそのたまり漬け」の店が見えてきました。
皆さん、試食して思い思いの漬物を買い込みます。
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春日町の交差点を過ぎると、次の信号の左側に「瀧尾神社」が見えてきます。由来の案内板には、天応2年(782)勝道上人、日光二荒山(男体山)上に、二荒山大神を祀ると同時に当所琵琶ヶ窪笄の森に之を祀ると書かれています。境内には願い事の書かれた風車が沢山立っています。そして、境内にある桜の木が花を付けているのには驚きました。
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瀧尾神社を過ぎると119号線に沿って杉並木が続いていますが、今回はその右にある「杉並木公園」を進むことにしました。ここには、色々な水車が回っていて、ゆったりと楽しめるようになっています。
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もう、紅葉のピークは過ぎていますが、まだまだ鮮やかな色で楽しませてくれます。
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杉並木公園の終わり付近に藁葺の家がありましたが、これは名主の家(旧江連氏宅)を移築したもので、もう一つ綺麗な家は、二宮尊徳の報徳仕法農家を復元したもので、報徳庵と呼ばれ、報徳蕎麦が美味いお店になっています。蕎麦好きの4人ですが、まだ時間も早く、準備中でした。
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杉並木に復帰して進みます。時々鮮やかな紅葉が見られます。
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進むと、並木道の右側には、野口薬師堂があり、釣鐘の形をした大きな石が置かれています。昔ここには青雲山蔵寺という寺があったが、資力の乏しい寺のため金属製の釣り鐘を造ることが出来ず、日光廟造営にたずさわった石工に頼んで造らせたという説と、明和5年(1770)村人たちが太郎山の月山大権現に銅の釣り鐘を奉納し、同時に地元の山王権現には石の釣り鐘をおさめたところ、竜頭が鐘の重みで壊れてしまった。村人たちは後難をおそれ、この失敗を口にすることを嫌い、薬師堂に放置されたままにしてあるという伝承もあるそうです。なお、お堂の裏には、金精様が祀られており、前立腺肥大と診断された、私としてはお詣りしない訳にはまいりません。
その後、どんどん進んで、ようやく日光市街に達しようとするところでも、美しい紅葉が見られました。
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東武日光駅前で昼食を取り、途中羊羹の店に寄ったりしながら、神橋に着きました。
天海大僧正の像が立っています。本当の神橋は、最近有料なので写真を撮って済ませます。
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橋を渡って信号を渡ると、東照宮の神域です。表参道の急な坂を上って行きます。
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坂道を上り詰めると、日光を開いた勝道(しょうどう)上人の堂々たる銅像が迎えてくれます。ここでも、真っ赤に色づいた紅葉が美しい姿を見せていました。
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輪王寺の金堂は修復中で、その前を通り、重要文化財指定の黒門を抜けて、いよいよ東照宮に向かいます。かなり混雑していて、入場券を買うにも長い行列を並ぶ必要がありました。
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陽明門を潜り、左甚五郎作と言われる眠り猫を見て、207段の急な石段を上って、鋳抜門の前を右に進み、家康の墓所である奥宮御宝塔を一周しました。普段の運動不足が堪えます。
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その後、東照宮の拝殿の中を見学したり、薬師堂で鳴龍を経験しました。
さらに、二荒山神社の庭園を見学し、かなり時間を費やしたので、3時半が門限という大猷院に大急ぎで向かいました。ここは、三代将軍の家光を祀っているところです。
東照宮より、規模は小さく作られていますが、その精緻な作りは、なかなかのものです。

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大急ぎで見学した後は、バスで今日の宿泊地の日光湯元に向かい、「奥日光高原ホテル」に着きました。

2010.09.04

東京湾クルーズ・・・(仲間)

大学時代の仲間で10人乗りのボートを持っている人がいて、今日は乗せてもらって東京湾クルーズです。朝10時に三浦半島の付け根の鳥浜にある「横浜ベイサイドマリーナ」に集まり、ボートの持ち主のキャプテンを含めて6人で出発しました。

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最初は横浜のベイブリッジを目指します。昨年は、波が荒く残念したのですが、今年は穏やかな海でした。

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ベイブリッジをくぐると、「みなとみらい地区」です。ベイブリッジの下には、スカイラウンジ見えます。

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左よりの一際高く、よく知られているランドマークタワーは296.33 mで、写真中央部で次に高いのが横浜メディアタワーで253mの高さです。メディアタワーはみなとみらいに建てられたNTTドコモとNTT東日本の神奈川支店のビルの屋上に立てられたアンテナ塔です。

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下の左の写真で、左の方に写っているのは、「くじらのせなか」と愛称が付けられた横浜大桟橋です。
右の写真は、観覧車とインターコンティネンタルホテルですが、観覧車から足下の湾を眺めたことは何回かありますが、今日は逆に海面から観覧車を見上げます。

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何度も眺めた建物も、海から見ると新鮮です。夜景が有名なところですので、夜に湾内から眺めてみたい気がします。

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疾走するボートの動画もどうぞ!!

インターコンティネンタルホテルの特徴のある建物の姿を後にしながら、全速力で「海ほたる」に向かいました。「海ほたる」も海上から見るのは、もちろん初めてです。

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横浜からトンネルをくぐってきた東京湾アクアラインは、ここから千葉の木更津までは、海上の橋で続いています。

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マリーナに引き返す途中で、日本丸?世が停泊していました。帆船は、やはり姿が美しいですね。

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もう昼時間をだいぶ過ぎています。マリーナに戻ってシャワーを浴び食事です。キャプテンの奥様手作りのおにぎりは、本当においしかった。次の行事などを中心に仲間どうしの愉快なおしゃべりで時間が過ぎて行きます。 イャー、楽しい一日でした。

2010.08.22

動物いろいろ内臓料理の会・・・(仲間)

さて、8月21日(土)の夜の、いろいろな動物の内臓料理を食べる会です。メンバーは何時も集まる、音楽好き、色々な話題好きの仲間9人です。江戸東京博物館を見学した女性メンバーの一人は、内臓料理はどうもと不参加で帰りました。
残ったメンバーは、美食家(悪食家?)揃いです。小さなイタリアンレストラン(店名:茂ル木)で、3ケ月毎ぐらいの頻度で集まります。しかし、イタリアンのレストランで「モツ料理」は珍しいのではないでしょうか。
本日のメニューは各席に並べられていて、最初にマスターのメニューの説明がありました。聞きなれない「豚のガツ」とは、胃袋のことです。牛は胃が4つあるが、豚は一つで「ガツ」のみです。子牛マメとは、子牛の腎臓で匂いもきつく超マニアックなもので、マスターも2回しか食べたことはなく、もう二度と食べたくないと、強烈な先制パンチです。我々以外にも訪れていた客も含めて、一同「うゎーーーー」と声が上がります。
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4種類の料理からなるアンティパストが出てきました。特に問題はありません。美味しいです。
次に、牛テールとほほ肉、子牛の骨髄のミネストラ(具たくさんのスープ)が、テーブルが狭いからとナベごと出てきました。これは特に美味しかったです。
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次にニョッキ(この日唯一のパスタ)と牛の4種類の胃の料理です。これも美味しい。皆さん食べ終わってから、パンの追加をもらってお皿をぬぐって、ソースまできれいに食べました。
次は焼きナスに挽肉ようのものを詰め、オクラと細いインゲン豆ようのつき合わせの料理で、全く普通に美味しい一皿です。
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そして、いよいよマスターも二度と食べたくないという子牛マメ(腎臓)のフリット(揚げ物)と牛ハラミのビステッカ(ビフテキ)が出てきました。ビステッカは当然美味しいのですが、子牛マメもマスターの脅しにも拘わらず、美味しいです。拍子抜けでもあり、ホッとした時でもありました。
むしろ、一緒に出てきた牛ハツのカルネクルーダの方が生肉であり、人によっては抵抗があるのではないでしょうか。
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dinner_09.jpg最後に、デザートを食べ、コーヒーを追加注文(グラッパ注文も1人いました)して終わりです。
マスターに子牛のマメのフリットも問題なく、美味しかったと言ったら、腎臓は鮮度で味が劇的に変わるので、今回、ほとんど生きているほどの新しいのを持ってきてくれと注文を付けたのが成功だったのかも知れないと言っていました。また、匂いがきついので、丹念に下ごしらえをやったとのことでした。
さて、7時から初めて、気がつくと終電車を気にする人がいるほどの時刻になっていました。気の合った仲間とおしゃべりしながらの食事は、ほんとうに楽しいものです。帰りがけにマスターが、秋になったら熊を食わせられるかもしれないと言っていました。とても、美味しいとのことでした。

2009.11.19

オフ会・・・(仲間)

今日は、MLの仲間とのオフ会でイタリアンの店に9人で集まりました。
前菜は、牡蠣とポルチニの焼いたものと、牛の第2胃(ハチノス)と豆の料理で始まり、パスタは「カラスミ」のスパゲティーでした。立派な自家製のカラスミで、ハンドグレータ(おろし器)で好きなだけパスタにふりかけます。普通は、とても自分でやらせて貰えないですよね。
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メインは鹿の肉をパイで包んで焼いたものです。長野で取れた鹿とのことでした。
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特に、癖も無く美味しかったです。鹿害が増えていると聞きますが、もっと手軽に食べられるようになればと思いました。
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最後のデザートはリンゴのタルトのバニラアイスクリーム添えでした。
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いやー、気の合った仲間と気の利いた料理を頂くのは、素晴らしいの一語に尽きます。

2009.11.08

勝沼・・・(仲間)

石和温泉で一泊して、2日目です。電車で「勝沼ぶどう郷駅」に来ました。
駅前から、「ぶどうの丘」が見えます。行ってみることにしました。
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蔦の葉も真っ赤に色づいています。
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「ぶどうの丘」に着きました。この後、勝沼市街に行って古い街並みを見学して帰ってきて、バーベキューの昼食を楽しみ、帰宅の途につきました。
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