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2011.10.31

安曇野の旅(1日目)・・・(仲間)

安曇野に別荘を建てた大学の同級生がおり、これを契機に気の合った仲間で安曇野を訪問することにしました。一泊することにして、最初の日は、ゴルフを楽しむグループと安曇野を散策するグループに別れ、夕刻に宿泊ホテルで合流する予定です。
散策チームは、私ともう一人の2名のみで、11:34にJR大糸線穂高駅に着き、駅前の「しなの庵」というレンタル自転車屋で荷物を預け、初めて乗る電動自転車を借り、出発しました。
出発すると、直ぐに「穂高神社」がありました。この神社は上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮があり、「日本アルプスの総鎮守」として親しまれています。祭神は、本宮中殿に穂高見神(ほたかみのかみ)別名「宇都志日金析命(うつしひかなさくのみこと)」、 左殿に綿津見神(わたつみのかみ)、右殿に瓊瓊杵神(ににぎのかみ)で、穂高見神と綿津見神は共に海人族である阿曇氏の祖神とされる海神です。信濃国に海は無いが、安曇野に定着した安曇氏と神社の関係がうかがえるとのことです。拝殿は平成21年(2009)に遷宮が行われ、真新しくなっています。
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境内では、菊花品評会が行われており、拝殿の前に位置する神楽殿にも菊の鉢植えが飾られていました。また、木曽駒をモデルとしたという、御神馬の像もありました。
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阿曇連比羅夫(あづみのむらじひらふ)の像が立っていました。船上で槍を持ちすくっと立った姿です。説明板によれば、「阿曇連比羅夫は、天智元年(662)天智天皇の命を受け、船師170艘を率いて百済の王子豊璋(ほうしょう)を百済に護送、救援し王位に即かす。天智2年、新羅・唐の連合軍と戦うも白村江(朝鮮半島の錦江)で破れ、8月申戌27日戦死する」とあります。

穂高神社境内の端には、沢山の道祖神の像が集められていました。貴人の服装の男女の双体の道祖神で、安曇野には多く見られるものですが、1体のみ餅搗きの姿の道祖神がありました。この餅つきの道祖神は、杵を男性、臼を女性に見立て、夫婦円満の神として祀ったものとのことでした。
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穂高神社を後にして、電動自転車で快適に進み、東光寺に向かいました。
曹洞宗の寺院で、武田信玄の5男の仁科盛信に仕えた等々力家が、天正18年(1590)に貝梅(穂高貝梅)の北城からここへ移築した東龍寺が前身で、その後曹洞宗となったものとのことです。山門の前には、大きな仁王様の下駄があり、仁王様に願い事をしてから、この下駄を履くと願いが叶うそうです。
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東光寺の直ぐ先には、本陣等々力家屋敷がありました。等々力氏は、武田信玄の5男仁科盛信に随身し、穂高地方を領有したが、江戸時代に入ってからは郷士になり、庄屋で松本藩主の本陣を勤め、殿様の野行の際の休憩所になっていたものです。建物は、安曇野市有形文化財(旧・穂高町文化財)に指定されていて、長い長い長屋門が道路に面しています。
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長屋門を潜ると、正面に殿様が籠で通る門があり、大きな松の2つの枝が中から門の上に被さっています。左側の飛び石通路を通って進むと通用の入り口があり、見学料を払うと建屋内を案内してくれます。右側には、桃山中期の様式の須弥山石組の庭園があり、庭の向こうにも離れの家屋が見えました。
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玄関を入った最初の間には、お嫁さんが輿入れで乗ってきた籠が置いてありました。座敷・書院は江戸時代中期の作とのことです。
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太鼓橋風の渡り廊下があり、映画撮影もなされたそうです。この渡り廊下を通って中に入ってゆくと、書院があり中庭を挟んで蔵造りの建家も見えました。殿様は、一番奥の書院で休憩を取られたそうです。
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次に「大王わさび農場」に向かいました。入って最初に目に付くわさび畑は、掘り取りを終えた小石を盛り上げた畝の状態で、全く緑は見えませんでした。
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左のほうに進むと、大きな道祖神がありました。
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更にその先には、綺麗で豊富な水がゆったりと流れていました。
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流れには、黒澤明監督の短編8作品のオムニバス映画「夢」の中の「水車のある村」の撮影に使われて有名になった、3連の水車があります。
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奥のほうに進むと、青々とした「わさび畑」も見ることができました。流石に日本で一番大きなわさび園で、畑は広大です。
農場内にはこの農場の名前の由来となった、大王神社があります。此の地一帯は、延暦年間(782?805)に安曇平野に繁栄した原住民族の王「魏石鬼八面大王」が治めていたと云います。そのころ全国統一を目指す天孫族が南方より侵攻し熾烈な戦いが行われ、大王は一族を率いて勇戦敢斗したが、優勢な天孫族に捕らえられ処刑されました。大王があまりに強かったため、その復活を恐れた天孫族は大王の遺体バラバラにして埋め、その大王の胴体が葬られているのが大王神社だとのことです。
また、今上天皇が皇太子時代の昭和51年(1976)に、美智子妃とともに訪れ、休憩のために造られた茶室もありました。
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大王が住んでいたといわれる有明山の麓の宮城の岩屋を再現したと言う洞窟もありました。
本当に広いわさび農場です。わさびを利用したアイスクリーム、お土産等を売るお店もあります。
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大王わさび農場の見学を終え、「水色の時」道祖神に向かいました。
安曇野は道祖神の数が日本一だそうですが、これは、NHKの連続テレビ小説「水色の時」(1975年4月?10月)の放送のために製作されたので、この名前がついています。おそらく安曇野でも最も新しい道祖神だと思えます。その少し先の穂高川堤防脇には、早春賦の歌碑があります。大正2年(1913)に吉丸一昌が安曇野のこの地を訪れ「春は名のみの風の寒さや・・・」の『早春賦』を作詞したと言われていることから、平成5(1993)に碑が建てられたとのことです。作曲は中田章で、太陽電池の電力で早春賦を奏でるオルゴールが設置されていました。
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友人の奥様がご指定という、井比わさび店に寄りました。注文する都度カメから出して量り、包装するので新鮮で評判も良いとのことで、私も「わさび漬け」を買いました。
進むと、蔵の前に「二十三夜塔」、「庚申塔」、「道祖神」の大きな石碑が並んでいました。
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安曇野には数多くの美術館がありますが、その中でも代表的な「碌山美術館」を訪れました。つたのからまる教会風の美術館で、日本近代彫刻の扉を開いた荻原守衛(碌山)(1879‐1910)の作品と資料を 永久に保存し、一般に公開するために開館されたものです。荻原碌山の作品以外にも高村光太郎、戸張孤鴈、中原悌二らの作品が展示されています。
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碌山美術館の後は、今夜の宿泊の「和野(なごみの)」に向かうことにしました。約4Kmの距離ですが、電動自転車では全く苦になりません。宿に到着して電話を掛け、自転車の引き取りに来てもらい、預けた荷物を届けてもらいました。宿の周りは、まだ紅葉には早いが、多少は色づいた木々も見られました。ゴルフ組みは、まだ到着していませんが、先に入館しました。
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