2011.10.17
三渓園・・・(散策)
久しぶりに三渓園に行って見ました。何十年かぶりです。
入場券の販売は、自動販売機です。お寺は、まだ自動の入場券販売機はみかけませんね。雰囲気が壊れると思っているのでしょうか。
三渓を造ったのは、原 三渓ですが、原 三溪(本名富太郎)【慶応4年(1868)-昭和14年(1939)】は、岐阜県厚見群佐波村(現在の岐阜県柳津町)で庄屋の青木家の長男として生まれ、幼少の頃から絵、漢学、詩文を学び、東京専門学校(後の早稲田大学)に入学、政治・法律を学び、明治21年(1888)に跡見女学校の助教授になり、その後、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿(やす)と結婚し、原家に入籍します。長男を入婿に出した青木家はどうなったのかわかりませんが、原家の家業を継ぐと、経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として大成功を収めました。実業家以外にも様々な面を持ちあわせた三溪は、住まいを本牧・三之谷へ移すと古建築の移築を開始し、明治39年(1906)三溪園を無料にて開園するほか、近代日本画家の支援・育成を行ったといいます。
三渓園で、まず最初に目に飛び込んでくるのは、大きな池です。この池を中心に色々な建家が集められていると言えます。大勢の方が、池の周りの思い思いの場所で写生をしています。
順路に従い歩いてゆくと、最初に鶴翔閣(旧原家住宅)横浜市指定有形文化財があります。明治35年(1902))三溪が建て、三溪園造成の足がかりになった家屋で、上空から見た形があたかも鶴が飛翔している姿を思わせることから、”鶴翔閣”と名づけられました。 現在は、フォーマルな宴会の会場などとして貸出を行なっています。
手入れの行き届いた順路を進むと、三重の塔が目に入ってきます。この三重の塔は、今は廃寺となった京都の燈明寺から大正3年(1914)に移築されとのことです。
大池の小島にある涵花亭とそこに渡る観心橋が見えます。観心橋では、結婚式場のパンフレットに使うためか、和装の2人の写真を撮影していました。
内苑に入る御門をくぐると、大正9年(1920)建築され、三渓が家族と暮らした鶴翔閣から離れ、亡くなるまでのおよそ20年を夫人と過ごした隠居所の白雲邸があります。ここも横浜市指定有形文化財で、貸出施設となっています。
次にあるのは、三渓園でも最も重要な家屋の臨春閣です。紀州初代藩主徳川頼宣が慶安2年(1649)に、夏の別荘巖出御殿(いわでごてん)として和歌山県岩出市の紀の川沿いに建築したものと言われています。8大将軍吉宗は、子供の頃、祖父のこの別荘で川に張り出した座敷から川に飛び込み遊んだそうです。数寄屋風書院造りで、桂離宮と我が国別荘史上の双璧とされ、重要文化財指定です。三渓園には大正6年(1917)に移築されました。
建屋内部も庭からですが見学できます。亭樹と名付けられた、途中に屋根付きの休憩所のある、小さな橋を渡って、臨春閣を横に見ながら進みます。
一番奥まで進むと、建長寺の近くにあった心平寺の地蔵堂の天授院があります。大正5年(1916)に移築され、三溪園では原家の持仏堂とされていました。慶安4年(1651)建築で、重要文化財です。
天授院の横には、月華殿があります。徳川家康により、京都伏見城内に建てられたものといわれています。 大正7年(1918)に春草廬(茶室)と共に移築されました。三溪が建てた小さな茶室の金毛窟とつながっています。慶長8年(1603)の建築で重要文化財です。右の写真は、金毛窟です。
内苑から出て、また大池のほとりに出ます。入り口とは、反対側です。鴨が泳いでいました。
大池から少し西に入ると、横笛庵があります。建築年不明ですが、草庵風の茶亭で素朴ながら風趣のある建物です。 平安末期に横笛と呼ばれる、高倉天皇の中宮 建礼門院に仕え、平清盛の従者である斉藤時頼(滝口入道)と悲恋に終わった女性がおりましたが、横笛が、他の人々の恋が実ることを願って、時頼から寄せられた千束の恋文で作った己の像は、「縁結びの像」として知られており、建物内に横笛の像が安置されていたことから横笛庵と称されています。横笛の像は、戦争の際に失われたのは、まことに残念です。2人の悲恋話については、高山樗牛による”滝口入道”という小説が有名とのことですが、まだ読んだことはありません。
横笛庵の先には、鎌倉の東慶寺にあった旧東慶寺仏殿があります。明治40年(1907)に移築された禅宗様の特色を色濃く残す建物です。
更に奥に進むと、旧矢箆原(やのはら)家住宅があります。岐阜県大野郡荘川村岩瀬(白川郷)にありましたが、ダム建設により三溪園に寄贈されることになり、昭和35年(1960)に移築されました。 大きな茅葺屋根が印象的な合掌(がっしょう)造という屋根に特徴がある構造の民家です。1750年頃宝暦年間の建築で、重要文化財となっています。
時期的には、萩の花がほぼ終わり、紅葉には早い時期で撮影には恵まれていたとは、言えない時期でした。是非、紅葉の最盛期に再訪したいと思いました。
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