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2012.11.05

釈迦堂口切通し(鎌倉)・・・(散策)

今日は、以前から行こうと思っていた鎌倉の釈迦堂口切通しを歩くことにしました。
まず、鎌倉駅から小町通を通って鶴岡八幡宮の方に向かいます。

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鶴岡八幡宮に寄りたかったのは、台風で倒れた大銀杏のその後がどうなっているか気になっていたからです。
切り株からは、ひこばえ(若芽)が1本だけ見られました。切断した太い幹にも僅かに緑の葉らしいのが見られましたが、いずれも厳しい状況のように思えます。倒れた年には、沢山のひこばえが出ていたのですが。
なお、七五三の親子連れがちらほら見受けられました。

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鶴岡八幡宮の前を東に進み、岐れ路(わかれみち)の信号の手前で左折して頼朝の墓所に寄り道をしました。真っ直ぐな道が墓所のある丘に続いていて、200mほど進むと墓所への石段があります。

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階段の上は法華堂跡です。源頼朝が聖観音像を本尊として持仏堂を建立し、頼朝の死後この堂に葬られ「法華堂」と呼ばれるようになったものです。法華堂は後に廃絶されましたが、江戸時代に島津氏によって、高さ186cmの五層の石塔が建てられました。
また、平治の乱で頼朝が13歳で伊豆に流され、頼朝と同母で3歳の稀義(まれよし)は土佐に配流されましたが、2人は生きて再会することは叶わなかったのです。そこで近年、両者の墓所の石と土を交換して再会としたとのことです。

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元の道路に戻って進み、「大御堂橋」の信号で右折すると、橋の袂に「釈迦堂口切通」の道標が立っていました。橋を渡って左折して進むと再び道標が立っていて、通行禁止と書かれていましたが、ともかく道標にしたがって進みました。

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進んで行くと、通行禁止と書かれて柵が設けられていましたが、柵の横を通る踏み跡道が通じていたので進みました。自己リスクで進むしかありません。柵を過ぎると、急に山道同然の道となり、切り通しが見えてくると、また2重に通行禁止の柵が設けられていました。ここまで来て諦める気にはなれず、かなり乱暴と思えたのですが柵の横をすり抜けました。全くお勧めできません。

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ようやく、切通しを前にしましたが、切通しというより「洞門」の様です。確かに落石の危険があるのかも知れませんが、それほど危険なようにも見えません。
無事通り過ぎましたが、通り抜けてからの2重の柵の方が、前の柵より越すのは大変でした。絶対に通さないとの意思を持って設置したように思えました。切通しの落石より、柵を超える方が危険です。本当にお勧めできません。
事故を恐れるあまりに通行禁止としているのでしょうが、歴史的な遺構であり、何とか見学できるようにできないものかと思いました。

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なお、この切通しは、鎌倉の外の地域とを結ぶ切通しではないため鎌倉七切通し(七口)には数えられてはいません。 後は、鎌倉駅まで歩き、お昼時であったので食事をして帰りました。


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