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2012.07.04

大船フラワーセンター・・・()

2012/7/3 大船のフラワーセンターに行って来ました。
大船駅で降りてフラワーセンターに向かう途中に、「玉縄首塚」があります。由来書きによると、大永6年(1526)11月12日に、南房総の武将里見義弘が鎌倉を攻め落とそうと進軍し、鶴岡八幡宮に火を放ち鎌倉内に乱入しました。このことを知った当時の玉縄城主北條氏時(早雲の孫)は、 大船甘糟と渡内福原の両軍と協力して里見の軍勢をこの戸部川辺にて迎え撃ち、数度の合戦で敵を打ち破り鎌倉を守りました。この合戦において甘糟氏以下35人は戦死し、福原氏は傷を負い、里見軍の死者は数がわからないほどでした。  戦闘が終わった時、城主の氏時は敵と味方の首を互いに交換し、これらを葬り塚を築いて塔を建てました。そして郷里を死守した霊を慰めると共に、怨親(おんしん:敵味方)平等という考え方の例としました。 これを玉縄首塚と呼んでいます。
フラワーセンターに入ると、大勢のお母様方が小さなお子さんを遊ばせています。また庭園内を歩くと、歳を重ねた方々が重そうなマクロレンズを付けたカメラを三脚に乗せ、花を撮影している姿が多く見られました。年配のご婦人(おばあさん)方も大勢撮影をなさっていました。

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最初に行き着く撮影ポイントは、睡蓮の花です。

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バラ園には、多くの種類の薔薇が咲いていました。
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