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2010.11.11

トルコとエジプトの旅(8日目:11/5)・・・(旅行)

今日は、午前中にピラミッド、スフィンクスなどを見学し、午後はオプショナルツアーか自由行動で夜にはナイル川ディナークルーズです。
6時のモーニングコールの少し前に目を覚ましました。今日はこのホテルでもう一泊するので、荷物の整理をする必要がないので、余裕を感じます。昨日、直ぐに寝てしまったのでシャワーを浴びて、窓の外を眺めるとプールはハッキリ見えましたが、少し向こうのビルは霧に霞んでいました。乾燥しているカイロで霧は予想外ですが、後で聞くと、良くあることのようです。昼と夜の温度差が大きいせいでしょうね。
ホテル内に銀行の出張オフィスがあるのですが、昨日の夜は遅くて閉まっていたので手持ちドルをエジプトポンドに両替に行きました。ロビーはまだ、人はいません。
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7時40分にバスで出発し、ピラミッドに向かいます。
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8時にクフ王のピラミッドの入場券売り場に着き、現地ガイドが入場券を買いに行っているのを待っています。ようやく、入場券が配られ入って行きますが、ピラミッドは霧で霞んでいます。
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クフ王のピラミッドに近づくと、大きくてカメラを向けても全体は入りません。高さ146m、一辺の長さは233mのピラミッドです。正規な出入り口は、ピラミッド完成時に硬く閉じられているので、少し下に盗掘者(冒険家?)が開けた穴から入ります。
なお、下部の石一つの大きさは、高さ約2mで重さ約2.5トン。頂上部にいくと石は40cmほどに小さくなるとのことです。そして、使われている石の総数が約230万個です。
turkey_226.jpgピラミッド内部には、カメラの持ち込みは厳禁なので、添乗員が用意した大きな布袋に入れ、預けてから進んで行きます。厳粛な場所として、撮影を許さないためと解釈していたのですが、後で調べたら、入場者が増えて撮影を許すとより混み合うからのようです。
かなり厳格で、私の後ろに一眼レフを持って並んでいるフランス人がいたので、カメラ持ち込みは禁止ですよと教えてあげたのですが、何とかなるだろう的な雰囲気で入り口まで来ましたが、追い返されていました。長く行列を待って入り口にたどり着いたのに、入れて貰えません。

turkey_227.jpg中は幅が狭く、途中までは高さも低くて相当低く腰を屈めで進みます。その後は大回廊に出て天井は高くなりますが、手すりがないと上れないほど急な上りで、幅は降りてくる人と辛うじてすれ違える程度で、しかも長い距離です。湿度も外よりは高く、入った人は皆汗ビッショリになります。女王の間に入る手前から、また腰を屈めて進みますが、ここまで来ると、最後の力を振り絞って山頂を目指している登山者の気分です。ようやく女王の間と呼ばれる玄室に達すると、30畳ほどの広さで、蓋のない石棺がある他は何もありません。この石棺に入って写真を撮る不届き者がいるそうですが、後でファラオの呪いを受けるに違いありません。

日本に帰ってからも膝の筋肉痛で階段を下りるのに悩まされるピラミッドの内部見学から無事帰還して、預けておいたカメラを受け取り、写真を撮りまくります。それにしても、物売りのうるさいこと。
そして、バスに乗って3つのピラミッドが並んで見える地点に移動です。ここで、また写真を撮りラクダに乗ったりします。
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カフラ王のピラミッド、メンカウラ王のピラミッド前にも行ってみます。だいぶ霧が晴れてきて、写真を撮るのが楽になりました。
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次にスフインクスを見に行きます。スフィンクスは、近づけば見えてきますが、クフ王のピラミッドの入場券にはスフィンクスの入場料も含まれているので、より良く見られる場所に入れます。
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特に、スフィンクスを横から見られる絶好の場所なので、ここでカメラで遠近差を利用して、スフィンクスの頭を撫でたり、キスをしている写真を撮ったりできます。
その様な変わったポーズの写真を撮ってあげようと寄って来る子供も多く、次々にポーズをとらせて写真を撮り、チップを要求して来ます。同じグループで5ドル払った若い女性もいました。とにかく、小学生の年齢でも働いてお金を稼がざるを得ない国なのです。トルコも貧しく大人は懸命に働いていますが、子供が働いている姿はありません。
スフィンクスは、胴が異様に長いのは途中の岩が軟らかく、下手に終えると崩れる恐れがあったためではと考えられているそうですが、お尻の方に進んで見ますと、ちゃんと尻尾が丸まってお尻を包んでいるのが見えます。なかなか芸が細かいですね。なお、スフィンクスの鼻が欠けているのは、自然崩壊が研究者の見方で、ナポレオンの軍隊が射撃の的にしたためでは無いとのことです。
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スフィンクスを見たからではないですが、SPHINXと言う名のパピルスに印刷した絵を売るお店に行きました。最初にパピルス紙の作り方を解説(実演)をしてくれました。パピルスの外側の緑の皮を取り、中の白い部分を薄く剥ぎ、水にさらした後に、篭を編むように立て横に編んで強い圧力を掛けて数日置けば出来上がりとのことです。確かに古代でも簡単に行える方法だったのですね。トルコでは、このパピルスの紙をエジプトはなかなか譲ってくれないので、羊皮紙を生み出し、革をなめす技術を確立して現在に至るまで革製品を得意としています。
家内は、安いものでよいからエジプトではパピルスが欲しいと言っていて、1枚買いました。
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パピルスのお店を出ると、レストランに行って昼食です。
昼食の後は、ホテルに戻り、午後は、メンフィス・サッカーラ・ダハシュールへオプショナルツアーに出かける人達と自由行動を選ぶ人達に分かれます。
自由行動派の中でもカイロ市街に出かける人と、ホテルのプールサイドでのんびりという人に分かれます。家内は、かなり疲労が溜まってきたと、部屋で昼寝を希望です。
大雑把に言うと、若い人たちは市街に出かけて買い物、熟年夫婦はオプショナルツアーが多く、3組6人だけがホテルでのんびりでした。
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夕方になって、自由行動派もオプションツアーの人達もホテルに帰ってきて、揃って夜のナイル川ディナークルーズに出かけます。家内も昼寝のおかげで元気を取り戻しました。
少し時間に余裕があると見えて、途中で香水のお店に寄りました。ここでも達者な日本語で、香水について講釈してくれます。最近は日本女性は、香水を使う人はあまりいないと思うのですが、香水容れのガラス容器は綺麗なので何人かは買っていたようです。しかし、若い女性達は、昼間の自由行動でカイロ市街に出かけ、香水用ガラス容器を買い込んでおり、ここの1個の値段で5個買えたなどささやいているのが聞こえました。
皆が香水のお店で時間を過ごす間、バスの運転手はお店の前に置かれた水パイプをふかしていました。お店がサービスとして誰でも吸えるように置いてあるのでしょうか。私は4年前に禁煙しましたが、そうでなければチョット吸わせて欲しい気持ちになったと思います。
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ナイル川の河畔に着きました。相当に大きな船で2フロアーあり、300人ぐらい乗れそうな感じです。7時30分から乗り込み、8時に出港で、まずディナーです。バイキングスタイルで、高級料理ではありませんが種類も多く、今回の旅行で一番美味しかったです。
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フロアーの周りは、支柱以外は全てガラス張りなので、川岸の光が良く見えます。一通り、食事が終えた頃を見計らって、男性歌手と女性歌手が2人で交互に歌い始めます。男性歌手は60年から70年に掛けてのスタンダードナンバーで、女性はアラブ圏のポピュラーソングのような感じでした。
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2階に後方のデッキにでると、酔いを醒ましている人たちが夜風に吹かれています。流れ行く景色を見ながら心地よい涼しさでした。
そして、席に戻ると、今日のメインイベントのベリーダンスが始まりました。トルコのパムッカレのホテルのバーのダンサーより、歳は取っていますが技量はだいぶ上です。
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客も盛り上がってきます。踊りながら客の席のを回り、それをカメラマンがどんどん撮影しています。後で売りつけるためですが、会場全体が盛り上がってきます。
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終に、客を数人づつ引っ張り出して、一緒に踊ります。ここで、パムッカレでも見事な踊りを見せた我々のグループの女性客の一人が引っ張り出されました。他の客もビックリの上手さです。ここのダンサーよりうまい踊りを披露します。プロのダンサーもちょっと焦ったと思います。恐らく、衣装も調えていたら、プロのダンサーも真っ青でしょう。
後で聞いたら、ベリーダンスを人に教えているとのことでした。
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ベリーダンスのダンサーが引っ込むと、男性の踊り手が大きなスカートのようなものを身につけて現れ、ぐるぐると回り続ける踊りを披露します。タンヌーラダンスと言うのだそうです。
永遠に回り続けるのかと思ったほどでしたが、スカートを2枚とも外し、自分は回らず頭の上スカートを回し始めると、客席を回り始めます。これでまた写真を撮って売りつける機会が生まれるのでした。
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    タンヌーラの踊り!!    

次に2人の男性の棒を使った踊りだと思っていたら、ベリーダンスのダンサーの女性が衣装を変えて加わり3人の踊りになりました。
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しかし、だんだん踊りが激しくなり、客もどんどん呼び込まれてベリーダンサーを囲んで、全員興奮状態で踊り狂うことになりました。客をのせるのも上手いのですね。
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そして、皆大いに満足して帰路に着いたのですが、帰りのバスで、エジプト人の現地ガイドが、今日はビックリしましたと話し始めました。ベリーダンスでプロのダンサーより上手い人がお客さんの中にいたのですから、と言っていました。

2010.11.10

トルコとエジプトの旅(7日目:11/4)・・・(旅行)

七日目です。今日は、カイセリの空港から空路でイスタンブールに戻り、ボスポラス海峡のクルーズの後、エジプトのカイロに移動し、宿泊です。
モーニングコールの直前に目を覚まし、ホテルの4階まで上り、周りの写真を撮りました。
周りも岩山で、他にも洞窟ホテルがありますが、規模はここの33室より、小さいようです。
気温は、誰かが温度計を見て、2℃と言っていました。相当に寒いです。
しばらく外にいると、寒くなってくるので、レストランに入り朝食です。レストラン内は暖かく快適です。
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7時30分にバスでカイセリ空港に向かいます。1時間ほどで空港に着きました。
エジプトもそうですが、トルコもまず、空港ビルに入るのにセキュリティーチェックです。上着、ベルト、時計を外し、エックス線検査トンネルを通します。もちろん、手荷物もスーツケースもベルトコンベアーに載せるのですが、ベルトコンベアーの位置が腰の位置の高さなので、重いスーツケースは持ち上げるのが大変です。女性では、持ち上げられない人もいるのではと思っていたら、添乗員(女性だが強そう)が機械の横に立ち、手伝っていました。
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国外に出るのでは無いので、航空券を受け取りトルコ航空カウンターでチェックインします。これで終わりと思いきや、搭乗ゲートでもう一度セキュリティーチェックです。スーツケースは既にチェックインで預け済みですが、ベルト、時計を外して手荷物とともにベルトコンベアに載せます。もちろん、液体は水を含めてその場で廃却です。1時間30分のフライトですが、水平飛行に移ると、飲み物を配って、サンドイッチとヨーグルトが出ました。思ったよりも美味しかったです。

イスタンブールの空港では、外国からの入国でないので、ターンテーブルでスーツケスをピックアップすれば終わりで、後はポーターが台車で運んでバスに積み込みます。バスは直ぐに出発して、旧市街への途中のレストランで昼食となります。昼食の後、再びバスに乗りブルーモスクとアヤソフィアの間あたりで2手に分かれます。すなわち午後自由行動を希望するグループは、ここでバスを降ります。ボスポラス海峡クルーズのオプショナルツアーに参加するグループは、まずグランドバザール入り口まで行き、ここで解散して1時間ほど自由に歩き回り、その後クルーズの船の発着港にバスで向かいます。
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グランドバザールで買い物するのは、お勧めしないとの現地ガイドの忠告に従った訳ではないですが、特に欲しいものもなく1時間を過ごして、バスで港に向かいます。
300人は乗れそうな船で、わずかに19人の客を乗せての出港でした。
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金角湾のガラタ橋の近くが船着場なので、イェニ・ジャーミィが良く見えます。
出港して直ぐにガラタ橋を潜り、ボスポラス海峡の方に進みます。
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112,000トンの豪華クルーズ船のCOSTA SERENAが泊停泊していました。
船はヨーロッパ側に近い方を黒海の方に進んで行きます。
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ドルマバフチェ宮殿が見えてきました。オスマン朝スルタンの最後の居城として、また初代大統領のアタチュルクも官邸として使用したところです。
岸と反対側を見ると、鈴なりに人が乗った船が進んで行きます。明らかに大きいこちら船は19人なのです。何故19人で出港したのだろう。
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オルタキョイ・ジャーミィと第1ボスポラス大橋に近づきました。
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ボスポラス海峡クルーズの動画もどうぞ!!


石川島播磨重工が建設した、第二ボスポラス大橋とルメリ・ヒサルが見えてきました。ここで船はUターンです。今度はアジア側に近い航路を辿ります。アジヤ側にある別荘が見えます。
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修復中の建物?が見えます。そしてアジア側唯一のスルタンの宮殿のベイルベイ宮殿でしょうか。
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それにしても閑散とした船内です。ボスポラス海峡入り口の乙女の塔が見えてきました。
乙女の塔には刑務所や灯台として使用され、多くの伝説があるとのことです。
その一つに、皇帝が娘が蛇にかまれる夢を見てこの塔に避難させた。ところが、寂しい思いをさせている娘に贈った果物の折り詰めの中に蛇が潜んでいて悲劇を招いた。この伝説から乙女の塔と名づけられたという。
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turkey_210.jpg1時間10分のボスポラス海峡クルズを終え、午後4時20分に帰ってきました。
これから、バスでブルーモスク前に行き、自由行動グループと合流して、アタチュルク空港に着きエジプトに向かいます。
アタチュルク空港で荷物のセキュリティーチェックをして空港ビルに入ります。ここで、抜き打ちで10人に1人の割合でスーツケースを開けて調べられます。
我々も29人の旅なので、3人の方が調べられました。じろじろ見るのは悪いので、それとなく見ていると、スーツケースの底のほうまで、丁寧に調べています。当たる、当たらないは全くの偶然なので、当たらなかった人は、当たった人に感謝する必要がありますね。
そして、エジプト航空のカウンターでチェックインしてスーツケースを預け、出国審査です。その後、搭乗ゲートで再度のセキュリティーチェックを受けて飛行機に乗り込みます。このとき、エジプトへの入国カードが付いている小冊子をくれました。このカードを記入してエジプトの入国審査で出せと言う事です。
2時間のフライトでカイロに着き、日本から着いたときと同じ手続きを踏んで入国して、バスでGrand Pyramid Hotelに向かいます。1時間ほどでホテルに着き、ここでも空港と同じセキュリティーゲートです。日本人はブザーが鳴ってもフリーパスです。ホテルに入った後は、シャワーも浴びずに寝てしまいました。

トルコとエジプトの旅(6日目:11/3)・・・(旅行)

六日目です。今日は、途中昼食を挟んでキャラバンサライと絨毯のお店に寄り、カッパドキアまで215Km走り見学して宿泊です。
モーニングコールは6時でした。6時15分に泊まっている8階の部屋からガラス窓越しに外を眺め、まだ明けきらないコンヤの市街方面を撮影しました。市街の中心辺りは、まだ薄い霞に沈んでいます。一方、カメラを右の方に振ると、真下にはプールがあり、その先には乾いた川、さらに向こうの彼方に山が見えました。
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7時30分にバスで出発です。25階建てのRIXOSホテルが、青い空にそびえています。
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1時間30分でスルタンハンという小さな町にあるキャラバンサライ(隊商宿)に到着です。
隊商は金目のものを運んでいるので、夜に襲われないように、このような丈夫な壁で守られたところに、泊まったのです。希望者は3リラ払って中に入れるが、さほど見るべきものもないというので、外から撮影するに留めました。
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キャラバンサライと道路1つ挟んで反対側に土産屋さんがあり、トイレ休憩にもなります。
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1時間40分ほど走って、Golden Yarn Carpetという絨毯の製造販売のお店に着きます。
中に入ると、数人の若い女性がカーペットを編んでいます。1枚織り上げるのに、3ケ月から長いときは6ケ月もかかるものもあるそうです。
女性客から、私なら1日どころか、1時間で逃げ出すとの声が聞こえてきます。
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次の部屋に進んで、繭をお湯に浸し糸として巻き取るところを見せてもらいます。
かつては、日本でも蚕を飼って繭を取るなどは、広く行われていたのでしょうが、始めて見る作業に興味深げです。繭から出る糸を触ってもみました。
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    繭から糸を紡ぐ    


後は、見事な口上での売り込みです。母娘(おやこ)で参加した旅行客がお父さんには内緒だよと娘に言いながら、かなり高価な絨毯を買っていました。また、玄関マットとして小型のものを買い込む人もいました。
それにしても、ここの絨毯のお店に限らず、トルコ石の店でも革製品の店でも店員は、見事に日本語を話します。添乗員の言うには、日本語に限らず、英語、フランス語、ドイツ語なども流暢にしゃべるそうです。トルコの田舎ではバスで通る観光客相手の商売が生きる手段で、人は、生きるためなら必死に何でも身に付けられるのでしょうと言っていました。
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30分ほど走って、ネビシェヒルという町のEVRANOSという洞窟レストランに着きました。
普通のレストランと違って、テーブルも長椅子も、そのまま岩を彫り残して、作られています。
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食事は、豆のスープが2種類出て、メインは鱒の焼いたものにポテト、ライス、レモンが添えてありました。そして、デザートは見た目には白い豆スープと似たもので、味はプリンのようで甘いものでした。
なお、テーブル上には、醤油が既に置かれていて、ナイフとフォークであることを除けば、焼き魚を食べるのに問題はなく、美味しくいただけました。
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また、30分ほど走ってカイマクルの地下都市に着きました。カッパドキアには多くの地下都市が存在するそうですが、その中でもここは2番目の規模とのことです。
バスを降りて、土産物屋が並ぶ道を歩いて、入口に向かいます。内部に入ると、いくつもの部屋がアリの巣のように繋がっていて、複雑で迷子になってしまうため、見学コースが決められています。地下都市は1960年代に偶然発見されたそうで、全体の構造はまだ把握されていないが、現時点では、地下8階まであり、数千人が暮らせる広さがあることが分かっているそうです。

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見学できるのは、地下8層の内4層までですが、軟らかい岩で、雨水が浸み込み、ひび割れて崩落の危険性もあるために限定しているとのことです。
とにかく幅が狭く、高さも腰を屈めて歩く必要があるため、大変疲れます。

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中には、ぶどう酒を造るための容器となるように岩を彫った場所もあり、粉を挽く石臼もありました。
キリスト教徒が隠れ住んだ場所ですので、十字架が刻まれ、礼拝のための場所もあります。
一箇所、最下層から地上まで真っ直ぐに貫く穴が明けられていましたが、これで全体の深さが分かります。これは通気坑で、岩を掘ったクズを外に運び出すのにも使われたことでしょう。
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30分で、ウチヒサールの要塞に着きます。左の写真の中央にそびえているのが要塞で、内部は頂上まで上ることが出来、絶景パノラマが眺められるとのことです。岩の表面に開いた多くの穴は鳩の巣で、火山性で痩せた土地のブドウ畑の肥料として鳩の糞を役立てていたのです。
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要塞の周囲には、岩をくりぬいた住居があり、現在もなお使われているとのことです。
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6?7分でギョレメ村が見渡せる展望台に着きました。村全体が大パノラマとして見渡せます。
それにしても、このような奇景の中に現在でも住んでいるのが驚きです。
右の写真の中央遠くに見える山は、海抜3,916mのエルジェス山です。
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また、10分ほどでパシャバー地区に着きます。ここでは、キノコ状の岩が見られます。
パシャバーとはパシャのブドウ畑という意味で、かつて、偉い人のための、特別のブドウ畑があったとのことです。
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次は、デヴレント渓谷で、ラクダ岩を見ました。ここも観光スポットです。
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最後は、エセンテペ地区の、三姉妹、親子岩、妖精の煙突などと呼ばれている岩です。
だいぶ日も暮れてきて、土産物店も店じまいを始めていました。
我々も、ホテルに向かいます。15分ほどで洞窟ホテルのAlfina Hotelに着きました。まだ午後5時近くでした。寒くなっていましたが、ディナーにはまだ間があるので、厚着をしてホテルの前の道に出て散策してきました。
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ホテルは、岩肌を掘り込んで作ってあり、電灯の光で美しく浮かび上がっていました。なんだか、メルヘンチックです。
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部屋の造りも洞窟の雰囲気が出ています。最近は洞窟ホテルと言っても、その感じがしないホテルも多いと聞きます。
最後に夕食ですが、葉物の野菜サラダと、色々な野菜と肉を煮込んだものに、ご飯が添えられたもので、温かくとても美味しかったです。日本人の口に合う味付けと言った方が適切かも知れません。また、自由に取って食べられる豆の煮物が大皿に盛られて置かれていました。
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トルコとエジプトの旅(5日目:11/2)・・・(旅行)

五日目です。今日は、午前中にヒエラポリス遺跡と石灰棚を見学し、410km走ってコンヤに着き、メヴラーナ博物館を見学して宿泊です。
Thermal Colossaeは大きなホテルで860人も収容できますが、この地域は建物の高さが制限されているので、長い廊下から横に幾つも張り出すように2階建ての客室が建っています。
相変わらず早く目が覚めるので、6時30分には朝食を食べ終わります。今日も快晴です。ロビーを見渡しても、まだ誰も居ません。
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敷地内を見るとプールがあり、その向こうの室内には温泉プールがあります。
エントランスを写すと、流石に5つ星ホテルの美しさです。
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さて、7時半にバスで出発して、20分ほどでヒエラポリス遺跡と石灰棚の入り口に到着です。
南ビザンツ門を潜って進んで行くと、右側の遠くに円形劇場が望見できます。
ヒエラポリスと石灰棚と言いながら、ヒエラポリスは、円形劇場を望見するくらいで、ほとんどは石灰棚観光に費やされる旅でした。団体旅行ではやむを得ないことでしょう。
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進んで行くと、木の歩道になっていて、温泉が流れ出しています。最近は、温泉の量が減り、流量を制限しているので、これほど多く流しているのは珍しく、運がよいとガイドのケレムさんが言っていました。
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木の歩道が終わって、左に曲がって行くと靴を脱いで素足になれば、石灰棚に入って行けます。靴とソックスはビニール袋に入れて持って入ります。石灰棚表面を薄く流れる部分は、暖かくはないが、溝になっていて勢い良く流れているお湯に足を入れると暖かいです。
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石灰棚表面です。左は痛くないが、右のような形状の場合は素足で歩くと痛みを感じます。
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遠くを見ると、かつて温泉が流れ石灰棚が形成され、今は干上がってしまった棚が見えます。また、一番下にはパムッカレ村の池があります。
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素足で歩いた石灰棚から出て、さらに先端方向に進むと、まるで雪が積もったような雄大な景観が望めます。
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青いお湯を湛えた、絵葉書にあるような場所はないのかと、ヒエラポリス博物館の前を通り、石灰棚の領域の反対側に回ってみました。すると、ようやく青いお湯を湛えた綺麗な石灰棚が撮れました。昔は、どこもこのような景観であったのではと思います。
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集合時間が近づいてきたので、急いで戻りながら、もう一度ヒエラポリス遺跡の中心部分を撮りました。
この遺跡も、ゆっくりと見学したかったですね。
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石灰棚を後にして、コンヤに向かいます。車の窓からは、山も見えますが圧倒的に広い畑の広がりが多いです。しかし、今は取入れが終わったあとか、たまに野菜が植えられているのが見えることもありましたが、作物は見えません。
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2時間弱走って、例によってトイレ休憩です。ここは、「ヨーグルトにハチミツとケシの実をかけた」のが名物のようです。食べてみると、なるほど美味しかったです。
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また、2時間ほど走って昼食です。時刻は12時50分です。前菜は豆の料理で、パンの他にもトルコ風ピザが出ました。メインは、ポテトとピーマンを焼いたものに、ご飯と肉です。いずれも美味しい良い昼食でした。
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2時間ほど走ったところで今日泊まるRIXOSホテルの傍を通りましたが、バスはさらに20分走り、コンヤの市街に入って行き、インジェ・ミナーレ神学校の前で停車します。写真撮影のための短時間の停車です。コンヤを代表する建築美といわれる神学校で、1267年の建造とのことです。
なお、コンヤは、トルコでいまだ宗教色の色彩が濃い町で、伝統的なイスラム風の衣装を身につけた女性も多く見られます。
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コンヤの街をバスの中から撮りました。窓ガラスに反射して見難いですが、なかなか賑やかです。
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次に、メヴラーナ博物館に行きました。この博物館は元々、メヴラーナ教というイスラム教の一派の教会でした。メヴラーナという人が創始者で,旋回舞踏といわれる踊りで,くるくる回りながらどんどん恍惚の世界に入って行き、悟りの境地に入るとのことです。
トルコ共和国の創立後,初代大統領のアタテュルクが解散を命じ,この本拠地である寺院を博物館としたのです。これは、異端の宗教が争いの元になるのを廃し、しかもメヴラーナを否定することまではしないという、賢明な策とされているようです。
内部には、靴にビニールのカバーを着けて入ります。博物館内には、メヴラーナその人の柩の他、聖職者の柩、金箔の装飾を施された古いコーランなどが陳列されています。
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博物館の外に出ると、老夫婦が孫を抱いていました。イキ、イキと言っていたのが聞き取れたのですが、イキはトルコ語で2なので、双子だと言っていたのでしょうか。それにしても、孫が可愛いのは、万国共通のようで、ニコニコしています。
バスで20分ほど戻り、RIXOSホテルに5時過ぎに着きました。入り口の回転扉が、メヴラーナの旋回舞踏を表しています。ここを潜ると、無粋にも空港と同じようなセキュリティーゲートを通る必要がありました。ブザーが鳴っても日本人はフリーパスのようですが。
25階建ての大きなホテルなので、夕食のレストランも大勢の宿泊客で混み合っていました。レストランの隅では、トルコ音楽の生演奏が奏でられていました。
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2010.11.09

トルコとエジプトの旅(4日目:11/1)・・・(旅行)

四日目になりました。今日は、エフェスの遺跡を見学するのが主で、途中 トルコ石と革製品の店により、パムッカレまで450Kmほどの旅です。
やはり、モーニングコールの前に目が覚めます。出発は7時30分ですが、朝食を終え、部屋に戻ると、窓からバスが駐車していて、その向こうにはエーゲ海が広がっています。今日も快晴です。
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昨夜撮れなかったホテル正面です。Grand Temizelのロゴが輝いています。
出発してしばらくは、海を見ながら走ります。
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1時間ほどで、トルコ石の店に寄ります。店員は皆な日本語が堪能で、チャイまで出してくれますが、女性陣はともかく29人中6人の男性陣は、全く興味なしです。何人かの女性が水酸化銅アルミニウム燐酸塩である鉱物を手に入れるために高額な支払いをしていました。家内も手ごろなものと、1つ買ってしまいました。
なお、トルコ石は、今の国名で言うならイランであるペルシャで多く産出され、トルコ経由でヨーロッパに広まったためトルコ石と呼ばれるようになったとのこと。また、古き時代に遊牧生活を行っていた人達に根ざすトルコでは、空が青く見える天気の日は、移動生活を行うにも楽であり、スルタンに至るまで殊更に青を愛する気持ちを持っていたとのことです。
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トルコ石のお店で30分ほど費やし、2時間ほど走ってトイレ休憩です。
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その後30分ほど走ると、セルチュク(Selçuk)の町に近づき、山の上にビザンツ時代の城塞が見えてきます。
そして、左手側に豊穣の女神アルテミスの遺跡の柱が1本だけ見えてきます。
古代の7不思議に数えられ、紀元前7世紀頃から120年かけて建てられたもので、直径1.2m、高さ19mの円柱が127本もあった壮大な神殿だったのですが、ローマ皇帝がキリスト教を受入れて以降、エフェスの住民もキリスト教に改宗する人が多く、アルテミス神は魅力を失い、神殿は破壊され、大理石の柱などは、教会建設に利用されたといいます。
なお、世界7不思議の不思議の意味は、不可解なものとのニュアンスはなく、必見すべきものといった意味だとのことです。
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アルテミス神殿跡の柱が見える通りから、右の方を見ると穴の開いたドームが重なったような建造物がありました。古く、崩壊しつつあるハマムの建物だとのことでした。
この通りは、歩道にライオンを模した柱も立っていて、遺跡の町らしい工夫をしています。
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お昼時になり、レストランでチョップシシの昼食です。チョップシシとは、羊の肉をあたかも焼き鳥のように串に刺して焼いたものです。飲み物は、石榴(ざくろ)ジュースを注文してみました。
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10分余しで、エフェスの遺跡に着きました。トルコ最大の遺跡で、紀元前12世紀に建設された都市国家です。最盛期はローマ時代で、小アジア属州の首都でした。
下の左の写真は、ヴァリウスの浴場です。
円柱の間を歩きながら、シンプルな構造のイオニア式、左右対称な渦巻きのドリア式、複雑な構造のコリント式などの説明を聞きながら歩いて行きます。
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1,400人収容のオデオン(音楽堂)です。右の写真は、音楽堂の上から見た市公会堂跡です。
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石柱と壁の間の石畳の道を進むと、右側に「メミウスの碑」が建っています。ローマの独裁官であった祖父のスッラを称える言葉が彫ってあるとののことです。
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道の左側に、いわくありげな石柱がありました。ヘラクレスの門のアーチ部分とのこと。石柱の右側には蛇が描かれていて、救急車のシンボルマークで、ギリシア神話の医神のアスクレピオス(Asklepios)の象徴とのことです。
道の突き当りには「NIKEの神」のレリーフがあります。写真の人気スポットだそうです。
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ヘラクレスの門と、それに続くクレテス通りです。住民の家が立ち並んでいました。
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ガイドのケレムさんが、町の有力者の像が良く建てられていて、台座に言葉が刻んである。私は、ギリシャ語はよく分からないが「角のパン屋のイスメトは、奥さんが余りにもうるさいので自殺した。うそです」と言って笑わせる。
右の写真は、トラヤヌスの泉です。
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ハドリアヌス神殿です。前のアーチの中央には幸運を司る女神ティケが彫られていて、後ろの門の中央上にはメデューサが彫られています。
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古代の公衆トイレがありました。前には木も植えられ人が集まる場所であったようです。座ってみましたが、直ぐに50クルシュとケレムさんの声がかかりました。確かに、トルコでは有料トイレの料金は大体が50クルシュですね。でも、下の水の流れる溝まではずいぶん深く、現在のトイレより快適そうです。
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ローマ帝国時代アジア州執政官だったケルススの息子が父の墳墓の上に築いたケルスス図書館です。現在残っているのは、列柱と正面部分だけですが、ローマ帝国のアジア州では、アレクサンドリア、ペルガモンにつぐ蔵書1万2000冊の大図書館でした。
正面の彫像は、知恵、運命、学問、美徳の寓意像のレプリカです。(本物はウィーンの博物館にある)
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ケルスス図書館の右にある門を潜って、直ぐ右に金網で覆われた小部屋の中に、豊穣の神のアルテミスの像がありました。胸には、豊穣を表す沢山の乳房が付いています。金網の目が粗いので、写真撮影が可能でした。美術史の本でしか見たことがない像が直接見られて感激でした。でも、アルテミス像は、エフェス考古学博物館にあるとの記述を見た記憶があるので、レプリカかも知れません。
そして、24,000人収容の大劇場です。今は3段に分かれた座席が残っていますが、当時はもう一段あり、全体で4段あったとのことです。
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大劇場は、近くではとても全体が写せないので、遠くからも撮影しました。
最後に、トロイが世界遺産でエフェスが世界遺産に指定されないことに憤りを感じているガイドのケレムさんが、日本に帰ったらエフェスを宣伝してくださいと言っていました。確かに、エフェスは世界遺産に指定されて当然に思います。
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エフェスの遺跡を見て、バスで30分ほどのところにある、革製品の店に連れて行かれました。革製品と言っても、革のジャケットやコートを売る店です。
チャイを飲みながら、ファッションショーを見ますが、一当たり済んだところで、客が3人引っ張られて奥に入って行きます。舞台裏で革の上着を着せられてモデルと一緒に舞台に出てのファッションショーです。犠牲になったのは、若い女性二人と、78歳の男性です。
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ショーが終わって、店の奥に通され、沢山の陳列品を見せられ購入を勧められると言う訳です。店員は、皆流暢な日本語を話し、言葉巧みに勧めます。
先に、ファションショウーのモデルに選ばれた、78歳の男性は、ワインカラーの革のジャケットを買うはめになり、他にも何人かの女性客が購入していました。家内も勧誘には抗し難くでした。
1時間ほどで、またバスに乗りパムッカレのホテルThermal Colossaeに向かいます。
3時間走って、夜の7時にホテルに着きました。
皆疲れて、添乗員がホテルから皆の鍵を受け取るまでロビーのソファーでぐったりです。
それでも、鍵を受け取り部屋にスーツケースを入れたら、食事です。定員が860人の大きなホテルで、レストランも大勢の人が食事をしていて、賑やかです。
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大半の人は、食事を済ませたら、お風呂に入って直ぐにベットに入ったと思われますが、中には温泉プールでひと泳ぎする元気な人もおり、また9時半からバーで始まるベリーダンスを見に行く人もいました。私もご多聞に漏れずです。
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面白いのは、男性客4名と女性客4名を引っ張り出し、4人一緒に踊った後は、1対1でも踊ります。これには客席は爆笑でした。
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turkey_129.jpgしかし、女性客の中で一人だけ踊り子よりも上手いのではと思われる人がいました。
この秘密は、後でエジプトのナイル川ディナークルーズで明らかになるのでした。

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