2012.10.16
仙台駅から旅館の迎えのバスで約30分で仙台の奥座敷秋保温泉に着きます。
秋保温泉は古い温泉で、第29代・欽明天皇(531年?539年)が、小瘡(皮膚病)を患った時、秋保から運ばせた湯で湯浴みしたところ、それが完治したと云われている温泉です。
温泉のあたりで、名取川が急に狭くなり、磊々峡(らいらいきょう)と呼ばれる石英安山岩質・凝灰角礫岩の見事な峡谷があります。
畑山崇一の歌の石版(右の写真)
更にバスで30分ほど上流に向かうと、西光寺(秋保不動尊)と秋保大滝があります。
秋保不動尊の縁起は平安時代初期に慈覚大師が山形県の山寺へ行く途中、秋保大滝を眺めたとき、比例なき霊地と定め、1体の不動明王を安置し山寺の奥の院とした事が始まりだとされています。
また、秋保大滝は、落差55m、幅6mで「日本の滝百選」に選ばれています。
2012.08.02
妹夫婦が、いままでに尾瀬に行ったことがないので一度は行きたいと誘われ、2012/7/31に日帰りのバス旅行で尾瀬ヶ原に行って来ました。
私は、1965年とその4年後に訪れています。当時は便利なバスツアーもなく、テント、シュラフ、食料を担いで電車とバスを乗り継いでの旅でした。今は、出発して3時間ほどで鳩待峠まで一気にバスで到着です。
下のモノクロ写真は1965年の時のものですが、鳩待峠の標高は1615mとなっていて、現在の標識の1591mと異なります。表示板の立っている場所が少し移動されたのでしょうか。
出発して石畳の階段樣の道を下ると、直ぐに尾瀬のシンボルとも言える木道が現れ、山の鼻に向かって進みます。下り坂で樹林帯の中を通る道は、涼しく気持ちが良いです。名前は知らないが、可愛い花も咲いていました。
鐘が立っていました。「ご通行の皆様へ クマと出会わないために、人が通ることを知らせて鐘を鳴らしてください。」と書かれていました。今日はかなり大勢の人が訪れているので大丈夫でしょう。そして、澄んだ沢の水には魚が泳いでいました。ヤマメでしょうか。
1時間ほどで「山の鼻」に着きました。ここには、ビジターセンター、国民宿舎、キャンプ場があります。ちょうどお昼です。バスの中で配られたお弁当を食べ出発しました。少し進んで振り返ると「至仏山」が美しい山体を見せていました。
進行方向には「燧ケ岳」が見えます。歩行の木道を1965年当時と比べると、上下区分のない一般道が中央分離帯のある高速道路に変わったように思えます。
尾瀬ヶ原に点在する池には浮島が浮かび、スイレン科の「ヒツジグサ」が咲いていました。
なお、ヒツジグサの名は、未(ヒツジ)の刻(午後2時)頃に咲くから名付けられたとのことです。
尾瀬は、本当に癒される景色です。もう咲き終わった「ニッコウキスゲ」もわずかに残っていました。
竜宮小屋に到着して、休憩を取りました。午後1時を過ぎたので、ここから引き返すことにしました。鳩待峠の駐車場に15時40分までに帰る必要があります。
山の鼻には、14:10分に着き、14:30分まで休憩の後、無事15:40分には鳩待峠に帰って来ました。最後の10分の石畳の階段の上りは、かなり堪えました。歳は争えません。
16時にバスは出発して、途中ホテルでお風呂に入り、サッパリして帰りました。なかなかに充実した一日でした。
2012.06.25
2012/6/24、野島崎灯台を後にして、昼食です。
海の幸いっぱいの食事で、蓋の閉まったお重も中は刺身が乗っかったものでした。
食事のデザートは、枇杷(びわ)の食べ放題で、山盛り枇杷が積まれた大皿が2つ置かれ、少なくなると継ぎ足されました。流石に2回りで皆さん堪能したようです。
食事を終えて、袖ヶ浦公園に向かいました。花菖蒲を見るのが主目的でしたが、先日の台風でかなり傷んでしまったとのことでした。
それでも、絣の着物と赤い前掛けのお姉さんの花がら摘みが色を添えます。
小高い山陰には、紫陽花も植えられていて、風が遮られる地形であったためか、綺麗な写真が撮れました。
公園内では、花菖蒲、紫陽花の他にも黄色い百合の花、マリーゴールドなどが見られます。
後は、横浜に帰りましたが、アクアラインはかなり渋滞していました。
2012/6/24、日運寺で紫陽花の撮影を行った後は、房総半島最南端にある野島崎灯台を訪れました。
灯台の入口には、明治2年に作られ、震災による被害の改修を大正14年に行った旨のプレートが掲げられていました。
この灯台は開国の歴史を飾る慶応2年にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四ヶ国と結んだ「江戸条約」によって建設を約束された八ヶ所の灯台の一つで、フランス人技師ウェルニーによって設計されたものです。関東大震災で倒壊し、大正14年に再建されたました。
らせん階段を上って行くと、最上部の電灯室には入れませんが、大きなレンズが透けて見えます。そして、外の回廊に出ると天気の良い日は伊豆七島まで見えるという眺望が広がっています。
灯台の脇には展示室があり、灯台設計者のフランス人技師ウェルニーの胸像、灯台の心臓部であるレンズ等が展示されていました。
灯台の手前には、厳島神社がありました。境内には、安房の生んだ幕末の優れた石工の武田石翁(本名:小滝周治)が19歳の時に刻んだという七福神の像がありました。何故か弁財天のみ社殿に入っています。また、子宝に恵まれると、巨大な木造の男根も祀られていました。