« Previous | Next » (Home)     [カテゴリー:旅行 ]

2013.04.14

信州と越後の桜(高田城址公園)・・・(旅行)

本日(12日)最後の桜鑑賞は、新潟県高田市の高田城です。ここは、長野より直江津の方が近い位置で、豪雪地帯です。
高田城は、徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請によって造られた城で、城地の縄張りと工事の総監督は伊達政宗です。伊達政宗の長女の五郎八姫(いろはひめ)が忠輝に輿入れした縁ではと思います。
夜のボンボリとライトアップを見るため、夕刻に訪れたのですが、本格的な雨降りとなったことも相まってとても寒かったです。しかし、夕暮れ時に照らし出される桜は、期待に違わず素晴しいものでした。

takada_01.jpgtakada_02.jpg

再建された三重櫓です。美しい景観です。

takada_03.jpgtakada_04.jpg

takada_05.jpgtakada_06.jpg

takada_07.jpgtakada_08.jpg

takada_09.jpgtakada_10.jpg

takada_11.jpgtakada_12.jpg

takada_13.jpgtakada_14.jpg

信州と越後の桜(臥竜公園)・・・(旅行)

3つ目は、長野県須坂市の臥竜公園です。
残念ながら雨が降ってきて傘を差しながらの見学となりました。それに、大変寒くなってきました。それでも、臥竜池の湖畔に植えられた桜が見事です。

garyu_01.jpggaryu_02.jpg

garyu_03.jpggaryu_04.jpg

garyu_05.jpggaryu_06.jpg

garyu_07.jpggaryu_08.jpg

信州と越後の桜(あんずの里)・・・(旅行)

2つ目は、桜ではないのですが、3日後の15日に天皇皇后両陛下も訪れられる予定の「あんずの里」です。この千曲市のあんずの里が形成されたのは、元禄時代、伊予宇和島藩主伊達宗利候の息女豊姫が、松代藩主真田幸道候にお輿入れの折り、故郷の風情をしのぶよすがにと杏の種を持参したのが始まりといわれています。
今では、日本一のあんずの里です。

anzu_01.jpganzu_02.jpg

anzu_03.jpganzu_04.jpg

anzu_05.jpganzu_06.jpg

2013.04.13

信州と越後の桜(上田城址公園)・・・(旅行)

東京、横浜などでは桜見物の時期が過ぎてしまいましたが、4月12、13日に長野県の桜の名所と新潟県の高田城を巡ってきました。最初に訪れたのは、真田昌幸の築城した上田城です。 40,000を有する徳川秀忠が3.000の真田軍にさんざん翻弄され、秀忠が関が原の戦いに間に合わない大失態をおかすこととなった上田城です。
東虎口櫓門から場内に入ります。入る前から一面に咲く桜が迎えてくれます。

ueda_000.jpgueda_001.jpg

城門右手の堀に立つ枝垂桜がことのほか見事です。
城門右の石垣には、真田石と呼ばれる大石があります。真田信之が松代城に移封となったとき持ち去ろうとしたが、不動であったとの伝説があるそうです。

ueda_002.jpgueda_003.jpg

城門を入るとすぐに真田神社があります。真田神社を後にして本丸跡の桜を右に見て進むと、堀の両岸に植えられた桜が見事な景観を示しています。

ueda_004.jpgueda_005.jpg

上田城の堀は素掘りのままなので、桜を植えるのには都合がよかったのではないでしょうか。

ueda_006.jpgueda_008.jpg

ueda_007.jpg

最後に西櫓を見て、その横の急な坂道を下って城外に出ました。

ueda_009.jpgueda_010.jpg

2012.10.17

仙台(青葉城、瑞鳳殿他)・・・(旅行)

仙台の青葉城は昨年の6月に訪れたときは、3.11の大震災のため石垣を修復中で大手門から入れなかったが、今回もまだ修復は終わっておらず入れなかった。
東北大の前を通り、大きく回りこむと青葉城址に行けるのでタクシーで行ってみた。大きな鳥居を潜って最初に訪れたのは、宮城県護国神社です。
日清戦争後の明治31年(1898)に組織された昭忠会を母体として、日露戦争中の明治37年(1904)8月27日、現在地に「招魂社」を建立し、大日本帝国陸軍・第二師団管下(仙台師管区:宮城県・福島県・新潟県)および山形県の戦死者の一部を祀ったのを起源とし、昭和14年(1939)の内務省令により内務大臣指定護国神社となり、「宮城縣護國神社」に改称しました。明治維新以降の諸事変、戦役における宮城県関係あるいは縁故のある戦死・殉難者、5万6千余柱の英霊を祀っています。

sendai_01.jpgsendai_02.jpg

次には、やはり伊達政宗の騎馬像です。大手門口に修復された櫓が建つのみで、在りし日の青葉城をうかがわせるものは何もないので、騎馬像とその前の広場から仙台市街を見ると、もう終わりです。
奥州で最も覇を競った伊達藩のお城であるが、拍子抜けするぐらい何もなかったです。おみやげ屋やレストランはあり、賑わっていましたが。

sendai_03.jpgsendai_04.jpg

実は、青葉城には10/15にタクシーで訪れ、16日に秋保温泉で一泊し、17日に仙台市観光の「るーぷる仙台」と称するバスに乗り、市街観光しました。

sendai_04a.jpg 最初に訪れたのは、明治4年(1871)生まれで、詩人、英文学者の土井晩翠が晩年を過ごした、「晩翠草堂」です。イーリアス、オヂュッセーアの翻訳の他「荒城の月」の作詞者としても有名で、島崎藤村とともに「晩藤時代」と称され、大きな足跡を残しました。

sendai_05.jpg

次に訪れたのは、伊達家の菩提寺の瑞鳳寺です。瑞鳳寺(ずいほうじ)は、臨済宗妙心寺派の仏教寺院で山号は正宗山です。開山は清岳、開基は伊達忠宗、本尊は平泉の毛越寺より遷した釈迦三尊像で江戸時代初期の寛永14年(1637)、仙台藩2代藩主・伊達忠宗によって、藩祖・伊達政宗廟「瑞鳳殿」が造営された際に香華院として創建されました。

sendai_06.jpgsendai_07.jpg

瑞鳳寺の山門前を通って進むと、進路は階段となり、伊達政宗公の霊廟の「瑞鳳殿」があります。政宗公は、この霊廟の地下に眠っているとのことです。本殿両脇には、殉死した家臣15名および陪臣5名の宝篋印塔が並んでいます。

sendai_08.jpgsendai_09.jpg

瑞鳳殿を後にして進路にしたがって進むと、二代藩主忠宗の霊廟の感仙殿があります。
本殿両脇には、殉死した家臣12名および陪臣4名の宝篋印塔が並びます。
また、その右隣には、三代藩主綱宗の霊廟の善応殿があります。三代藩主の頃には殉死は禁止されていたので、替わって14名の家臣が剃髪して百日間の弔いを行い、うち1人が出家し、没後に遺骸が善応殿の南側に埋葬されたとのことです。

sendai_10.jpgsendai_11.jpg

最後は、お世話になった「るーぷるバス」です。東北大学前を走っています。

sendai_12.jpg

« Previous | Next »