2016.02.05
今年のNHKの大河ドラマは真田丸ですが、和歌山県で九度山から比較的近いところで生まれ育ったのに九度山には行ったことはなかった。
そこで、今回帰省した機会に九度山に連れて行ってもらった。
最初に訪れたのは、真田庵です。真田昌幸、信繁(幸村)が住んだ屋敷ですが、いまは善名称院というお寺となっていて、県指定史跡です。
下の左は、雷封じの井戸で、真田屋敷に落ちた雷を信繁が雷を封じ込めたと言う。右は、善名称院土砂堂です。
真田昌幸、信繁の墓石が立っていて、隣には真田地主大権現があり、真田家の宝物である毘沙門天と真田三代の御霊が合祀されているとのこと。
次に、慈尊院に向かいました。慈尊院は、弘法大師が高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場としたものです。また、高齢となった空海の母は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していた。空海はひと月に9度は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられたとのこと。
高野山は、昔は女人禁制であったが、この慈尊院までは来ることができ女人高野とも呼ばれます。
それで、子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型の絵馬を奉納する女性が多く訪れます。また、近年特に多いのが、乳がん平癒の祈願で近くの病院と乳がん患者らが、乳がん撲滅と病気平癒を祈願して奉納した特大絵馬はニュースにも取り上げられ、乳がん撲滅の象徴であるピンク色のお守りは、全国から求める人が絶えないという。
なお、本尊の木造弥勒仏坐像は国宝です。
2015.07.18
今日は7月16日です。何も台風11号が四国に上陸する日に温泉旅行でもないと思ったのですが、仲の良い4組の夫婦で早くから予約してあって、キャンセルももったいないと集まりました。
新幹線で那須塩原駅に着いたときは、滝のような雨でしたが仙台在住のご夫婦が駅でピックアップしくれて一路塩原温泉郷に向かいました。
上野駅からホテルの送迎バスで出発した夫婦は既に着いていましたが、手持ち無沙汰な感じです。
4組の夫婦で男女各4人で合計8名でなにをするか、真っ昼間からカラオケでもないだろうと思い、お風呂も午後3時からとのこと。
それで、アララギ派の短歌をやられている奥さんも居ることから連歌でもやりませんかと提案し賛同を得て始めました。大いに盛り上がり大成功でした。 連歌の一部を下記に示します。
友と来て やまみちゆかし すみれ草 青葉も萌えて 温泉楽し
語らひは 無口な俺も やれ楽し 塩原に来て 雨に打たれつ
そうこうしている内に3時も過ぎ、温泉に浸かってその後は夕食までは、おしゃべりと酒盛りです。
一夜明けて、まだ台風は中国地方でウロウロしていて雨が止みません。
僅かに雨が小降りになったときを見計らって、車で15分ほどのところの、「もみじ谷大吊橋」を見に行きました。 全長320mの吊り橋で灌漑用ダムにかかっていますが、紅葉の頃の素晴らしい景観が想像されます。
吊り橋を渡るには300円ですが、65歳以上は200円です。
それで、吊り橋を渡ったところに「恋人の聖地」と書かれたモニュメントがあるのですが、吊り橋の途中でお会いしたのは全て200円で渡ってきたと思える人達で、「恋人の聖地」と、いまさら言われてもの感じです。
2013.09.05
鳴沢氷穴の後、富士山5合目に向かいました。富士山には、50年前に結婚直後の家内と山頂まで登りましたが、それ以降は5合目にも来たことはありませんでした。
到着したときは、一面に霧に覆われていましたが、風が強く5分後には霧が追い払われ、また霧がかかるような状態でした。ともかく、記憶に残る50年前の5合目の情景と全く変わっていました。良いのか悪いのか・・・
富士山は、わずかに裾をそれも極短時間見せただけでした。
北の方を見ると、空は晴れてきたのですが、まとわりつく雲に阻まれ、南アルプの山々も全く見えませんでした。
富士山の鳴沢氷穴を見に行ってきました。昨日は、激しい雨で今朝出発時も激しく降っていたのですが、幸いにも鳴沢氷穴に到着したときはほぼ止んでいました。富士山が世界遺産になったことも影響して、真夏は、氷穴に入るのに2時間待ちになるくらい混み合うようですが、今日は雨模様の天気のためか。貸し切り状態で、全く待つことなく入れました。
貞観6年(864)富士山の側火山長尾山の噴火の際、古い寄生火山の間を灼熱に焼けた溶岩流(青木ヶ原丸尾)が流れ下ってできた洞窟とのことです。
今日現在の内部の温度は0℃とのことです。15分程度のことですが、半袖のシャツでは寒いので皆んな上に何か羽織って入って行きます。
階段を下って、しばらく木の歩道を進むと、更に急な階段を下ります。
下りきると、高さ90Cmのトンネルです。腰を屈めて進むのは、かなり辛いです。昨日の雨のせいか足元は濡れていて、上からは水滴がポタポタと落ちてきます。
何度か頭も打ち付けながら通り抜け、もう一度急な階段を降りると、小さな祠が祀られていました。氷穴は江ノ島に通じていると言われ神聖な洞窟とされていたと書かれていました。
そして、この洞窟で一番深い場所は、氷の貯蔵場所です。江戸期には、夏に馬でここから氷を将軍様に届けたのです。大変貴重なものだったと思われます。
氷の貯蔵場所をを過ぎると、入ってきたときとは別の急な階段を上って外に出ます。
外には、遊歩道が整備されていて、富士山樹海の中を散策できるようになっています。
2013.04.14
上田城からあんずの里に向かう途中で、新田醸造所に寄り味噌蔵を見学しました。
味噌は、4トンもしくは6トン入る大きな樽で一年間かけて熟成させるとのことでした。また、大きな樽は、100年ほど前に作られたものを使い続けていると言っていました。
宿泊は斑尾高原にあるホテルでした。スキーのリゾートホテルで周りには、まだまだ雪が残っていました。
宿泊した部屋の窓から眺めるホテルの裏はスキー場で、雪もしっかりと残っていました。標高は1,300mぐらいですが、まだまだ寒いのですね。
バスの中から、妙高(左)と黒姫(右)がよく見えました。
高遠城にある絵島の囲い屋敷です。33歳の若さで、八畳一間のみ与えられ、この部屋から厠と台所に行く以外は許されず、紙、筆も与えられない厳しい幽閉生活でした。日蓮宗に帰依し、お経を読んで過ごす毎日であったとのことです。そして61歳で病で亡くなります。