2019.03.08
興国寺・・・(旅行)
醤油の発祥の地の和歌山県の湯浅町を訪れた後は、その醤油のもととなった金山寺味噌の醸造方法を宋より持ち帰った心地覚心(法燈国師)で有名な興国寺に向かった。
興国寺に関しては、全く予備知識もなく訪れたが、Wikipediaによると、
安貞元年(1227)、高野山金剛三昧院の願生(俗名・葛山景倫)が主君であった源実朝の菩提を弔うために創建したもので、創建時は真言宗寺院で西方寺と称していた。葛山景倫は承久元年(1219)、実朝の暗殺を機に出家。実朝の生母・北条政子は願生の忠誠心に報い、願生を西方寺のある由良荘の地頭に任命した。願生は親交のあった心地覚心(法燈国師)が宋から帰国すると、正嘉2年1258)に西方寺の住職に迎えて開山とした。覚心は宗旨を真言宗から臨済宗に改め、その後に後醍醐天皇より寺号の興国寺を賜ったとある。
また、国師は宋での修行中に坐禅の呼吸法として尺八を学び、帰国の際には名手4人を伴い帰国した。これが禅と尺八(普化尺八)の結びつきのはじまりで、深編み笠の虚無僧が尺八を奏しながら普化宗を諸国に広め、興国寺は虚無僧の本山として知られるようになった。現在も寺の行事などには必ず虚無僧が尺八を奏し、この伝統を伝えている。加えて、覚心は径山寺味噌(金山寺味噌)の醸造方法も会得して帰国したことは、先に述べた。
興国寺に着くと立派な山門が迎えてくれる。山門の先は石畳の上り坂になっており、上ると長い参道が続き途中には、後藤象二郎、伊藤博文、陸奥宗光らと交流し、明治4年(1871)、岩倉具視の欧米使節団に参加した由良守応(ゆらもりまさ)の顕彰碑がある。由良町の名も郷土の偉人としての由良守応にちなんで名付けられたとのこと。
長い参道を進むと石段が見えてきて、ようやく本堂到達する。本堂は、末寺143カ寺をもつ臨済宗法燈派の大本山として「紀に興国寺あり」と称された名刹の風格が感じられる。しかし、境内には人影は全く無い。
経済の左には、立派な鐘楼があり、本堂裏には、奥の院の建物がある。
本堂の左奥には、天狗堂があるが、年に1度の天狗祭りが盛大に行われるとのこと。
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