2010.08.05
暑い日が続きますが、家に閉じこもってばかりというのもどうかと思い、鎌倉の「朝比奈切通し」を訪れました。
初めての経験です。
横浜から京浜急行で「金沢八景駅」に行き、バスで朝比奈の停留所で降りて歩き始めます。
歩き始めると、右側に「イチイ」の大木があり、直ぐに「国史跡 朝夷奈切通」の説明板があります。朝比奈でなく朝夷奈切通(あさいなきりとおし)となっています。
鎌倉幕府は、仁治元年(1240)六浦津との重要交通路として、路改修を議定、翌年4月から工事にかかりました。執権北条泰時自らが監督し、自分の乗馬に土石を運ばせて工事を急がせた。鎌倉七口の中、最も険阻な路とのこと。


入り口には、庚申塔が並んでいて、古い路を歩く期待感が高まります。 直ぐに「横浜横須賀道路」の下をくぐります。 鎌倉時代の道と、現在の道である自動車専用道路が交わるポイントです。


市街地から一歩入ったところとは思えないほどうっそうと木が茂っています。進むと、ほどなく「朝比奈切通し」です。


「切通し」は短い間ですが、これでも鎌倉時代は大変な工事だったのでしょう。
鎌倉時代には、六浦に全国から種々な物資が集められ、これらを切通しの路を通って鎌倉に運び入れたのです。
経済的な価値が高い路であったのですが、一方、防衛上の配慮も十分に施された路でした。


しばらく樹林の中を進むと、左に「熊野神社」への道が分岐しています。


少し距離はありますが、熊野神社に参拝することにしました。鳥居の辺りには、一面に藪茗荷(やぶみょうが)が茂っていて、白い花が咲いていました。


人の気配が全く感じられない山道を進んで辿り着いた熊野神社は、新しい本堂で予想以上に立派なものでした。
二礼二拍手一礼でお参りします。 そして、元の分岐点まで戻って進むと直ぐに峠の頂上で、後は下りです。


下りに差し掛かると、湧き水で濡れた岩やぬかるんだ道で、歩き難く滑りやすくて、尻餅をつかなかったのが不思議なくらいの道でした。ようやく、樹林の密度も下がり明るくなってきて勾配も緩やかになり、山道も終わりが近づきます。


母親と二人の息子が川遊びをしていました。今日は特に暑いので、川遊びは楽しいことでしょう。
ここの滝は朝比奈切通しを一夜で切り開いたという伝説の剛力武士、朝比奈三郎に因んで「三郎の滝」と名付けられています。そして、日本語以外にも英語、中国語、ハングルで書かれた「朝夷奈切通」の説明版が立っていました。


約1時間の旧道歩きを終え、金沢街道にぶつかり、滑川沿いの道を進みます。

最初は鶴岡八幡宮まで歩く予定でしたが、あまりの暑さに恐れをなして十二所のバス停でバスに乗りました。10分ほどで鶴岡八幡宮に着きました。

鶴岡八幡宮の大木といえば、今年の春に倒れた大銀杏を思い浮かべますが、入り口の橋を渡ったところにも、樹齢700年の「マキ」の大木があります。参道の両側に細い棒が立ち並んでいるのは、ぼんぼり祭りの準備です。


鶴岡八幡宮を訪ねた目的は、春に倒れた大銀杏のその後を見るためです。4月13日に訪れたときは残った根からヒコバエが少し芽吹いた程度だったのですが、今回は残った根からも、移した太い幹からも元気に新芽が育っていました。倒れた直後は、芽吹くかどうか心配したものですが、驚くほどの育ち様です。


とにかく暑い日です。お昼の時間になりました。途中で昼食を取り、帰宅することとしました。

2010.07.31
Lumix DMC-G1の吊環が取れたからではないのですが、NIKONのD3000を買いました。
DMC-G1はマイクロフォーサーズで、持ち歩くには小さくて良いのですが、なにしろ交換レンズの種類が少なく、しかも純正のみでサードパーティーの廉価なものがないのが主な理由です。画像の切れも、いまいちと感じていました。
NIKONの入門機は今ではD5000ですが、D3000は最後のCCDの一眼レフカメラだろうということと、かつレンズキットが¥37,000-というお買い得値段で買えたことも購入動機です。CCDはCMOSに比べ、消費電力が大きいので、Live Viewも動画撮影もできないのですが、やはりCMOSとは違った色調が楽しめるのも魅かれた理由です。さて、これからどのような写真が撮れるか、楽しみです。


2010.07.27
奥州街道歩きで、郡山から二本松に向かっているときです。もうすぐ二本松というところでデジカメのLumix DMC-G1のストラップ取り付けの吊環が外れてしまいました。
幸い、背負っていたリュックにストラップが引っかかり地面へのカメラの激突は避けられましたが、カメラにとっては致命的と思われる事態でした。カメラを振るとカラカラと音を立てます。撮影すると、画像の上半分が真っ白になりましたが、2枚撮って3枚目から回復しました。予備のコンパクトデジカメをリュックに入れていましたが、今回の歩行の終了まで何とか撮影出来ることを願いながら歩いて行きました。
あとで、外れた吊環を見ると、写真のように小さなネジでカメラ内部から止めていることが分かりました。ストラップが外れるなどもっての外なので、カシメなどのもっと確実な方法で止めていると思っていたのですが、やはりパナソニックは電気メーカーでカメラメーカーでないということでしょうか。これでは、プロはパナソニックのカメラを使うことはないでしょう。
帰宅した翌日、カメラ屋に持ち込んで修理を依頼。3週間近く待たされましたが、無償で修理されて返ってきました。保証期間が過ぎていたのに、無償というのは、やはり後ろめたいところがあったのでしょうか。ネットで調べると、確かにリコールを指摘する声もありました。
修理では、ネジに二度と外せないほどの強力なロックタイトを付けたのでしょうか。それとも、また外れる可能性を心配しながら使う必要があるのでしょうか。

2010.04.13
昨日は、ダウンのジャンバーを着ていても寒かったのですが、今日は薄い上着で歩いていても汗ばむくらいです。お昼から鎌倉に出かけました。
今日は、源氏山公園の方に行ってみようと思い、鎌倉駅から歩いて行きました。源氏山に上って行くと、最初に行き着くのは「銭洗弁天」です。小さなトンネルを潜ると弁財天があります
。


皆さんお参りして、その後ざるにお金を入れて湧き出している清水で洗っています。洗ったお金の数倍が入ってくるそうです。


「銭洗弁天」を過ぎて、また急坂を上ってゆきます。振り返って見ても、かなりの勾配であるのが分かります。上り詰めると、「頼朝」の銅像が鎮座しています。


その後、「日野俊基」の墓所を見に行きました。「日野俊基」と言えば東海道を歩いたとき、大井川を渡って「金谷」を過ぎて「菊川宿」で、首を切られることを予想して、
「いにしえも かかるためしを菊川の 同じ流れに身をやしづめん」
の歌を詠んだのを知り、一度は墓所を訪ねたいと思っていました。


近年になって明治天皇の思し召しで、忠臣の「日野俊基」を祀る「葛原岡神社」が、建てられました。6月3日の命日には例大祭、墓前祭が行われると書かれています。


さて、源氏山からの下りは「化粧坂(けわいざか)」を下りて見る事にしました。通るひとは、あまりいないようです。距離は短いがキツイ坂です。滑らないように、転ばないように気をつけて下りて行きます。


坂を下りて、進んで行くと「海蔵寺の岩船地蔵」の八角形の端正なお堂があります。


次に訪れたのは、北条氏の帰依が篤かった「浄光明寺」です。端正で美しいお堂で、庭の手入れも行き届いています。


門前では、若いお母さんと小さな子供が遊んでいました。少し先には、鎌倉に10ケ所ある泉の一つの「泉の井」がありました。


鎌倉に来ると、今年の3月10日に樹齢800?1000年と言われる、大銀杏が倒れたのを見ないわけにはまいりません。 関東大震災にも耐えたが、根元付近は空洞になっていたとのことです。
倒れた太い幹は、4mほどの長さに切断され、少し離して植えつけられています。
ところが、残った株からは、もう新芽が出てきています。八幡宮関係者は、大いに喜んだとのことです。


以下は、関内に帰ってきて「横浜スタディアム」に植えられていた、チューリップの写真です。





