2010.11.20

日光・・・(仲間)

毎年の恒例になっている、大学時代の仲間と一泊旅行にでかけました。
今年は、今市から日光まで歩き、日光東照宮を見物して、日光湯元温泉で一泊し戦場ヶ原を歩いて中禅寺湖に出て、その後華厳の滝を見物して帰宅しました。
今回の参加者は、当初6人の計画が、2人に急用ができ4人の参加となりました。
まず、2人がJR今市駅から9:00に出発しました。直ぐに、例幣使道との追分に出ます。
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追分にある、大きな地蔵に手を合わせ旅の無事を祈って、二宮神社に進み、ここで東武日光線で下今市駅に降り立った2名と合流して、4名全員揃いました。
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神社本殿の裏に回って、二宮尊徳の墓にお参りします。銅像も立っています。二宮尊徳は小田原の百姓の生まれですが、奉公先の小田原藩家老の服部家で財政建て直しを成功させて名前が知られるようになり、晩年は日光山領の農業振興を依頼され、下野国今市村(現在の栃木県日光市)で安政3年10月20日(1856年11月17日)に没したのです。墓はいらない、木を1本だけ植えてくれと言っていたそうですが、神社ができ、墓も作られたのは、やはり稀有な人物であったのでしょう。尊徳先生、現在の日本の農業の実態を知れば、何と思われるでしょう。そう言えば、昔は小学校の校庭で見られた二宮金次郎像もあまり見かけなくなりました。
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二宮神社の西隣には、室町時代中期の創建の浄土宗の如来寺があります。
寛永9年(1632)、三代将軍家光が東照宮造営の時ここに壮大な御殿を建設し逗留したとのことです。また、二宮尊徳の葬儀も、このお寺で執り行われました。
日光街道の119号線に復帰して進むと、会津西街道の追分があります。この道は、鬼怒川、大内宿を通って会津若松に通じています。江戸中期まで、参勤交代で利用された道です。
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さらに、進むと、道の左側に有名な「日光みそのたまり漬け」の店が見えてきました。
皆さん、試食して思い思いの漬物を買い込みます。
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春日町の交差点を過ぎると、次の信号の左側に「瀧尾神社」が見えてきます。由来の案内板には、天応2年(782)勝道上人、日光二荒山(男体山)上に、二荒山大神を祀ると同時に当所琵琶ヶ窪笄の森に之を祀ると書かれています。境内には願い事の書かれた風車が沢山立っています。そして、境内にある桜の木が花を付けているのには驚きました。
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瀧尾神社を過ぎると119号線に沿って杉並木が続いていますが、今回はその右にある「杉並木公園」を進むことにしました。ここには、色々な水車が回っていて、ゆったりと楽しめるようになっています。
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もう、紅葉のピークは過ぎていますが、まだまだ鮮やかな色で楽しませてくれます。
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杉並木公園の終わり付近に藁葺の家がありましたが、これは名主の家(旧江連氏宅)を移築したもので、もう一つ綺麗な家は、二宮尊徳の報徳仕法農家を復元したもので、報徳庵と呼ばれ、報徳蕎麦が美味いお店になっています。蕎麦好きの4人ですが、まだ時間も早く、準備中でした。
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杉並木に復帰して進みます。時々鮮やかな紅葉が見られます。
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進むと、並木道の右側には、野口薬師堂があり、釣鐘の形をした大きな石が置かれています。昔ここには青雲山蔵寺という寺があったが、資力の乏しい寺のため金属製の釣り鐘を造ることが出来ず、日光廟造営にたずさわった石工に頼んで造らせたという説と、明和5年(1770)村人たちが太郎山の月山大権現に銅の釣り鐘を奉納し、同時に地元の山王権現には石の釣り鐘をおさめたところ、竜頭が鐘の重みで壊れてしまった。村人たちは後難をおそれ、この失敗を口にすることを嫌い、薬師堂に放置されたままにしてあるという伝承もあるそうです。なお、お堂の裏には、金精様が祀られており、前立腺肥大と診断された、私としてはお詣りしない訳にはまいりません。
その後、どんどん進んで、ようやく日光市街に達しようとするところでも、美しい紅葉が見られました。
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東武日光駅前で昼食を取り、途中羊羹の店に寄ったりしながら、神橋に着きました。
天海大僧正の像が立っています。本当の神橋は、最近有料なので写真を撮って済ませます。
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橋を渡って信号を渡ると、東照宮の神域です。表参道の急な坂を上って行きます。
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坂道を上り詰めると、日光を開いた勝道(しょうどう)上人の堂々たる銅像が迎えてくれます。ここでも、真っ赤に色づいた紅葉が美しい姿を見せていました。
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輪王寺の金堂は修復中で、その前を通り、重要文化財指定の黒門を抜けて、いよいよ東照宮に向かいます。かなり混雑していて、入場券を買うにも長い行列を並ぶ必要がありました。
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陽明門を潜り、左甚五郎作と言われる眠り猫を見て、207段の急な石段を上って、鋳抜門の前を右に進み、家康の墓所である奥宮御宝塔を一周しました。普段の運動不足が堪えます。
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その後、東照宮の拝殿の中を見学したり、薬師堂で鳴龍を経験しました。
さらに、二荒山神社の庭園を見学し、かなり時間を費やしたので、3時半が門限という大猷院に大急ぎで向かいました。ここは、三代将軍の家光を祀っているところです。
東照宮より、規模は小さく作られていますが、その精緻な作りは、なかなかのものです。

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大急ぎで見学した後は、バスで今日の宿泊地の日光湯元に向かい、「奥日光高原ホテル」に着きました。


2010.11.11

トルコとエジプトの旅(9,10日目:11/6,7)・・・(旅行)

今日は、カイロ歴史地区のオールドカイロを見学した後、エジプト考古学博物館を見学して昼食をとり、カイロ空港に向かい午後4時55分発のエジプト航空で成田に向かい帰国します。
6時起床で窓の外を見ると、今日も霧が出ています。今日は帰国なので6時30分ころスーツケースをドアの外に出し、朝食に行きました。トルコでコーヒーを頼むと驚くことに、レストランでも、ホテルでもネスカフェのインスタントコーヒーなので、コーヒー中毒の私も手が出なくて我慢していたので、今日はゆっくりとコーヒーを飲みました。上等なコーヒーでなくてもインスタントコーヒーより、はるかに良いです。
出発は8時なので、ロビーに座り込んで時間を持て余しぎみでした。
出発して、バスの窓から見ると、トルコより一段と貧しさが伺われます。GDPで見るとトルコの五分の一程度で、日本の三十分の一です。トルコはG20メンバーですから差があるのは当然かも知れませんが。
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オールドカイロ地域に入って行きます。歴史地区と言われ、歴史的に意味があると思える建物が見られますが、事前に勉強もしておらず、ガイドさんが説明してくれても頭に残りません。
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途中で、大勢の人が佇んでいるのを見かけました。ガイドの話では、今日の仕事にあり付こうと待っているとのことでした。日本も大変ですが、もっともっと大変な国があります。
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スルタンハッサンモスクに着きました。オバマ大統領も訪れたモスクで、マムルーク朝の1356年から1363年にかけてスルタン・ハッサンが建てたものです。マムルーク建築の傑作といわれています。建物の石材は、ギザのピラミッドのものを使っていて、高さ81mの尖塔(ミナレット)が立っています。建築を指揮したスルタン・ハッサンの治世は短く、完成を見ずにこの世を去ったそうです。
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9時20分にエジプト考古学博物館に着きました。収蔵点数が20万点のぼると言われています。事前に見たい物を系統別に決めておかないと、漠然と見ても限(きり)がない感じです。
誰でも見たい人気のあるものは、ツタンカーメンの黄金のマスク、人型棺、首飾りなどの装飾品であると思われます。ガイドがの後ろに付いて説明を聞き、ガイドは入れないというツタンカーメンの展示室をゆっくりと見てきました。特に、黄金のマスクは、日本に来たときに見逃していました。
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当然ながら博物館内は撮影禁止なので、博物館の外で、エジプトの若いお嬢さん方にカメラを向けました。皆にっこりと微笑んでくれました。
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この後、金のアクセサリーを売る店に行きました。ここでも巧みな日本語で講釈してくれます。
エジプトの象形文字で名前を刻んだペンダントヘッドがお勧めのようですが、刻む文字数によって値段も変わるようです。
エジプトで最後の食事の昼食を取るため、直ぐ隣にあるレストランに向かいました。ここで食事をしている間に、名前を刻んだペンダントヘッドが出来上がって届くという仕掛けです。
バイキングの昼食でしたが、なかなか美味しかったです。しかし、混んでいて席は少々窮屈でした。
昼食の後、車窓から街の風景を眺めながら、空港に向かいました。
道中色々と、歴史的な建物を見せてくれますが、解説を聞いても頭に残りません。
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厄介なセキュリティーチェックも慣れてきて、エジプト航空にチェックインして、時間があるので免税店をうろうろしましたが、ちょっとした小物のお土産を買ったぐらいで、特に欲しいものも見当たりません。そして、いよいよ搭乗して飛び立った頃には、日本は11月7日になっています。しばらくして食事が出て、その後は疲れのためか、ほとんど寝ていました。
日本時間の12時に無事成田に到着して、流れ解散のため入国審査、荷物ピックアップ、税関と通り抜けて、リムジンバスでYCATに向かい帰宅しました。
少し長かったが、楽しい旅行でした。参加したメンバーにも恵まれたと思っています。
11月になれば、トルコは雨が多くなり、雨が降れば内陸部は相当に寒くなると聞かされていて、旅行の時期を間違えたかと思ったりしましたが、全行程を通じてほとんど雲もない快晴にも恵まれました。


トルコとエジプトの旅(8日目:11/5)・・・(旅行)

今日は、午前中にピラミッド、スフィンクスなどを見学し、午後はオプショナルツアーか自由行動で夜にはナイル川ディナークルーズです。
6時のモーニングコールの少し前に目を覚ましました。今日はこのホテルでもう一泊するので、荷物の整理をする必要がないので、余裕を感じます。昨日、直ぐに寝てしまったのでシャワーを浴びて、窓の外を眺めるとプールはハッキリ見えましたが、少し向こうのビルは霧に霞んでいました。乾燥しているカイロで霧は予想外ですが、後で聞くと、良くあることのようです。昼と夜の温度差が大きいせいでしょうね。
ホテル内に銀行の出張オフィスがあるのですが、昨日の夜は遅くて閉まっていたので手持ちドルをエジプトポンドに両替に行きました。ロビーはまだ、人はいません。
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7時40分にバスで出発し、ピラミッドに向かいます。
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8時にクフ王のピラミッドの入場券売り場に着き、現地ガイドが入場券を買いに行っているのを待っています。ようやく、入場券が配られ入って行きますが、ピラミッドは霧で霞んでいます。
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クフ王のピラミッドに近づくと、大きくてカメラを向けても全体は入りません。高さ146m、一辺の長さは233mのピラミッドです。正規な出入り口は、ピラミッド完成時に硬く閉じられているので、少し下に盗掘者(冒険家?)が開けた穴から入ります。
なお、下部の石一つの大きさは、高さ約2mで重さ約2.5トン。頂上部にいくと石は40cmほどに小さくなるとのことです。そして、使われている石の総数が約230万個です。
turkey_226.jpgピラミッド内部には、カメラの持ち込みは厳禁なので、添乗員が用意した大きな布袋に入れ、預けてから進んで行きます。厳粛な場所として、撮影を許さないためと解釈していたのですが、後で調べたら、入場者が増えて撮影を許すとより混み合うからのようです。
かなり厳格で、私の後ろに一眼レフを持って並んでいるフランス人がいたので、カメラ持ち込みは禁止ですよと教えてあげたのですが、何とかなるだろう的な雰囲気で入り口まで来ましたが、追い返されていました。長く行列を待って入り口にたどり着いたのに、入れて貰えません。
turkey_227.jpg中は幅が狭く、途中までは高さも低くて相当低く腰を屈めで進みます。その後は大回廊に出て天井は高くなりますが、手すりがないと上れないほど急な上りで、幅は降りてくる人と辛うじてすれ違える程度で、しかも長い距離です。湿度も外よりは高く、入った人は皆汗ビッショリになります。女王の間に入る手前から、また腰を屈めて進みますが、ここまで来ると、最後の力を振り絞って山頂を目指している登山者の気分です。ようやく女王の間と呼ばれる玄室に達すると、30畳ほどの広さで、蓋のない石棺がある他は何もありません。この石棺に入って写真を撮る不届き者がいるそうですが、後でファラオの呪いを受けるに違いありません。
日本に帰ってからも膝の筋肉痛で階段を下りるのに悩まされるピラミッドの内部見学から無事帰還して、預けておいたカメラを受け取り、写真を撮りまくります。それにしても、物売りのうるさいこと。
そして、バスに乗って3つのピラミッドが並んで見える地点に移動です。ここで、また写真を撮りラクダに乗ったりします。
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カフラ王のピラミッド、メンカウラ王のピラミッド前にも行ってみます。だいぶ霧が晴れてきて、写真を撮るのが楽になりました。
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次にスフインクスを見に行きます。スフィンクスは、近づけば見えてきますが、クフ王のピラミッドの入場券にはスフィンクスの入場料も含まれているので、より良く見られる場所に入れます。
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特に、スフィンクスを横から見られる絶好の場所なので、ここでカメラで遠近差を利用して、スフィンクスの頭を撫でたり、キスをしている写真を撮ったりできます。
その様な変わったポーズの写真を撮ってあげようと寄って来る子供も多く、次々にポーズをとらせて写真を撮り、チップを要求して来ます。同じグループで5ドル払った若い女性もいました。とにかく、小学生の年齢でも働いてお金を稼がざるを得ない国なのです。トルコも貧しく大人は懸命に働いていますが、子供が働いている姿はありません。
スフィンクスは、胴が異様に長いのは途中の岩が軟らかく、下手に終えると崩れる恐れがあったためではと考えられているそうですが、お尻の方に進んで見ますと、ちゃんと尻尾が丸まってお尻を包んでいるのが見えます。なかなか芸が細かいですね。なお、スフィンクスの鼻が欠けているのは、自然崩壊が研究者の見方で、ナポレオンの軍隊が射撃の的にしたためでは無いとのことです。
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スフィンクスを見たからではないですが、SPHINXと言う名のパピルスに印刷した絵を売るお店に行きました。最初にパピルス紙の作り方を解説(実演)をしてくれました。パピルスの外側の緑の皮を取り、中の白い部分を薄く剥ぎ、水にさらした後に、篭を編むように立て横に編んで強い圧力を掛けて数日置けば出来上がりとのことです。確かに古代でも簡単に行える方法だったのですね。トルコでは、このパピルスの紙をエジプトはなかなか譲ってくれないので、羊皮紙を生み出し、革をなめす技術を確立して現在に至るまで革製品を得意としています。
家内は、安いものでよいからエジプトではパピルスが欲しいと言っていて、1枚買いました。
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パピルスのお店を出ると、レストランに行って昼食です。
昼食の後は、ホテルに戻り、午後は、メンフィス・サッカーラ・ダハシュールへオプショナルツアーに出かける人達と自由行動を選ぶ人達に分かれます。
自由行動派の中でもカイロ市街に出かける人と、ホテルのプールサイドでのんびりという人に分かれます。家内は、かなり疲労が溜まってきたと、部屋で昼寝を希望です。
大雑把に言うと、若い人たちは市街に出かけて買い物、熟年夫婦はオプショナルツアーが多く、3組6人だけがホテルでのんびりでした。
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夕方になって、自由行動派もオプションツアーの人達もホテルに帰ってきて、揃って夜のナイル川ディナークルーズに出かけます。家内も昼寝のおかげで元気を取り戻しました。
少し時間に余裕があると見えて、途中で香水のお店に寄りました。ここでも達者な日本語で、香水について講釈してくれます。最近は日本女性は、香水を使う人はあまりいないと思うのですが、香水容れのガラス容器は綺麗なので何人かは買っていたようです。しかし、若い女性達は、昼間の自由行動でカイロ市街に出かけ、香水用ガラス容器を買い込んでおり、ここの1個の値段で5個買えたなどささやいているのが聞こえました。
皆が香水のお店で時間を過ごす間、バスの運転手はお店の前に置かれた水パイプをふかしていました。お店がサービスとして誰でも吸えるように置いてあるのでしょうか。私は4年前に禁煙しましたが、そうでなければチョット吸わせて欲しい気持ちになったと思います。
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ナイル川の河畔に着きました。相当に大きな船で2フロアーあり、300人ぐらい乗れそうな感じです。7時30分から乗り込み、8時に出港で、まずディナーです。バイキングスタイルで、高級料理ではありませんが種類も多く、今回の旅行で一番美味しかったです。
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フロアーの周りは、支柱以外は全てガラス張りなので、川岸の光が良く見えます。一通り、食事が終えた頃を見計らって、男性歌手と女性歌手が2人で交互に歌い始めます。男性歌手は60年から70年に掛けてのスタンダードナンバーで、女性はアラブ圏のポピュラーソングのような感じでした。
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2階に後方のデッキにでると、酔いを醒ましている人たちが夜風に吹かれています。流れ行く景色を見ながら心地よい涼しさでした。
そして、席に戻ると、今日のメインイベントのベリーダンスが始まりました。トルコのパムッカレのホテルのバーのダンサーより、歳は取っていますが技量はだいぶ上です。
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客も盛り上がってきます。踊りながら客の席のを回り、それをカメラマンがどんどん撮影しています。後で売りつけるためですが、会場全体が盛り上がってきます。
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終に、客を数人づつ引っ張り出して、一緒に踊ります。ここで、パムッカレでも見事な踊りを見せた我々のグループの女性客の一人が引っ張り出されました。他の客もビックリの上手さです。ここのダンサーよりうまい踊りを披露します。プロのダンサーもちょっと焦ったと思います。恐らく、衣装も調えていたら、プロのダンサーも真っ青でしょう。
後で聞いたら、ベリーダンスを人に教えているとのことでした。
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ベリーダンスのダンサーが引っ込むと、男性の踊り手が大きなスカートのようなものを身につけて現れ、ぐるぐると回り続ける踊りを披露します。タンヌーラダンスと言うのだそうです。
永遠に回り続けるのかと思ったほどでしたが、スカートを2枚とも外し、自分は回らず頭の上スカートを回し始めると、客席を回り始めます。これでまた写真を撮って売りつける機会が生まれるのでした。
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    タンヌーラの踊り!!    

次に2人の男性の棒を使った踊りだと思っていたら、ベリーダンスのダンサーの女性が衣装を変えて加わり3人の踊りになりました。
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しかし、だんだん踊りが激しくなり、客もどんどん呼び込まれてベリーダンサーを囲んで、全員興奮状態で踊り狂うことになりました。客をのせるのも上手いのですね。
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そして、皆大いに満足して帰路に着いたのですが、帰りのバスで、エジプト人の現地ガイドが、今日はビックリしましたと話し始めました。ベリーダンスでプロのダンサーより上手い人がお客さんの中にいたのですから、と言っていました。


2010.11.10

トルコとエジプトの旅(7日目:11/4)・・・(旅行)

七日目です。今日は、カイセリの空港から空路でイスタンブールに戻り、ボスポラス海峡のクルーズの後、エジプトのカイロに移動し、宿泊です。
モーニングコールの直前に目を覚まし、ホテルの4階まで上り、周りの写真を撮りました。
周りも岩山で、他にも洞窟ホテルがありますが、規模はここの33室より、小さいようです。
気温は、誰かが温度計を見て、2℃と言っていました。相当に寒いです。
しばらく外にいると、寒くなってくるので、レストランに入り朝食です。レストラン内は暖かく快適です。
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7時30分にバスでカイセリ空港に向かいます。1時間ほどで空港に着きました。
エジプトもそうですが、トルコもまず、空港ビルに入るのにセキュリティーチェックです。上着、ベルト、時計を外し、エックス線検査トンネルを通します。もちろん、手荷物もスーツケースもベルトコンベアーに載せるのですが、ベルトコンベアーの位置が腰の位置の高さなので、重いスーツケースは持ち上げるのが大変です。女性では、持ち上げられない人もいるのではと思っていたら、添乗員(女性だが強そう)が機械の横に立ち、手伝っていました。
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国外に出るのでは無いので、航空券を受け取りトルコ航空カウンターでチェックインします。これで終わりと思いきや、搭乗ゲートでもう一度セキュリティーチェックです。スーツケースは既にチェックインで預け済みですが、ベルト、時計を外して手荷物とともにベルトコンベアに載せます。もちろん、液体は水を含めてその場で廃却です。1時間30分のフライトですが、水平飛行に移ると、飲み物を配って、サンドイッチとヨーグルトが出ました。思ったよりも美味しかったです。
イスタンブールの空港では、外国からの入国でないので、ターンテーブルでスーツケスをピックアップすれば終わりで、後はポーターが台車で運んでバスに積み込みます。バスは直ぐに出発して、旧市街への途中のレストランで昼食となります。昼食の後、再びバスに乗りブルーモスクとアヤソフィアの間あたりで2手に分かれます。すなわち午後自由行動を希望するグループは、ここでバスを降ります。ボスポラス海峡クルーズのオプショナルツアーに参加するグループは、まずグランドバザール入り口まで行き、ここで解散して1時間ほど自由に歩き回り、その後クルーズの船の発着港にバスで向かいます。
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グランドバザールで買い物するのは、お勧めしないとの現地ガイドの忠告に従った訳ではないですが、特に欲しいものもなく1時間を過ごして、バスで港に向かいます。
300人は乗れそうな船で、わずかに19人の客を乗せての出港でした。
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金角湾のガラタ橋の近くが船着場なので、イェニ・ジャーミィが良く見えます。
出港して直ぐにガラタ橋を潜り、ボスポラス海峡の方に進みます。
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112,000トンの豪華クルーズ船のCOSTA SERENAが泊停泊していました。
船はヨーロッパ側に近い方を黒海の方に進んで行きます。
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ドルマバフチェ宮殿が見えてきました。オスマン朝スルタンの最後の居城として、また初代大統領のアタチュルクも官邸として使用したところです。
岸と反対側を見ると、鈴なりに人が乗った船が進んで行きます。明らかに大きいこちら船は19人なのです。何故19人で出港したのだろう。
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オルタキョイ・ジャーミィと第1ボスポラス大橋に近づきました。
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ボスポラス海峡クルーズの動画もどうぞ!!

石川島播磨重工が建設した、第二ボスポラス大橋とルメリ・ヒサルが見えてきました。ここで船はUターンです。今度はアジア側に近い航路を辿ります。アジヤ側にある別荘が見えます。
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修復中の建物?が見えます。そしてアジア側唯一のスルタンの宮殿のベイルベイ宮殿でしょうか。
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それにしても閑散とした船内です。ボスポラス海峡入り口の乙女の塔が見えてきました。
乙女の塔には刑務所や灯台として使用され、多くの伝説があるとのことです。
その一つに、皇帝が娘が蛇にかまれる夢を見てこの塔に避難させた。ところが、寂しい思いをさせている娘に贈った果物の折り詰めの中に蛇が潜んでいて悲劇を招いた。この伝説から乙女の塔と名づけられたという。
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turkey_210.jpg1時間10分のボスポラス海峡クルズを終え、午後4時20分に帰ってきました。
これから、バスでブルーモスク前に行き、自由行動グループと合流して、アタチュルク空港に着きエジプトに向かいます。
アタチュルク空港で荷物のセキュリティーチェックをして空港ビルに入ります。ここで、抜き打ちで10人に1人の割合でスーツケースを開けて調べられます。
我々も29人の旅なので、3人の方が調べられました。じろじろ見るのは悪いので、それとなく見ていると、スーツケースの底のほうまで、丁寧に調べています。当たる、当たらないは全くの偶然なので、当たらなかった人は、当たった人に感謝する必要がありますね。
そして、エジプト航空のカウンターでチェックインしてスーツケースを預け、出国審査です。その後、搭乗ゲートで再度のセキュリティーチェックを受けて飛行機に乗り込みます。このとき、エジプトへの入国カードが付いている小冊子をくれました。このカードを記入してエジプトの入国審査で出せと言う事です。
2時間のフライトでカイロに着き、日本から着いたときと同じ手続きを踏んで入国して、バスでGrand Pyramid Hotelに向かいます。1時間ほどでホテルに着き、ここでも空港と同じセキュリティーゲートです。日本人はブザーが鳴ってもフリーパスです。ホテルに入った後は、シャワーも浴びずに寝てしまいました。


トルコとエジプトの旅(6日目:11/3)・・・(旅行)

六日目です。今日は、途中昼食を挟んでキャラバンサライと絨毯のお店に寄り、カッパドキアまで215Km走り見学して宿泊です。
モーニングコールは6時でした。6時15分に泊まっている8階の部屋からガラス窓越しに外を眺め、まだ明けきらないコンヤの市街方面を撮影しました。市街の中心辺りは、まだ薄い霞に沈んでいます。一方、カメラを右の方に振ると、真下にはプールがあり、その先には乾いた川、さらに向こうの彼方に山が見えました。
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7時30分にバスで出発です。25階建てのRIXOSホテルが、青い空にそびえています。
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1時間30分でスルタンハンという小さな町にあるキャラバンサライ(隊商宿)に到着です。
隊商は金目のものを運んでいるので、夜に襲われないように、このような丈夫な壁で守られたところに、泊まったのです。希望者は3リラ払って中に入れるが、さほど見るべきものもないというので、外から撮影するに留めました。
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キャラバンサライと道路1つ挟んで反対側に土産屋さんがあり、トイレ休憩にもなります。
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1時間40分ほど走って、Golden Yarn Carpetという絨毯の製造販売のお店に着きます。
中に入ると、数人の若い女性がカーペットを編んでいます。1枚織り上げるのに、3ケ月から長いときは6ケ月もかかるものもあるそうです。
女性客から、私なら1日どころか、1時間で逃げ出すとの声が聞こえてきます。
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次の部屋に進んで、繭をお湯に浸し糸として巻き取るところを見せてもらいます。
かつては、日本でも蚕を飼って繭を取るなどは、広く行われていたのでしょうが、始めて見る作業に興味深げです。繭から出る糸を触ってもみました。
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    繭から糸を紡ぐ    

後は、見事な口上での売り込みです。母娘(おやこ)で参加した旅行客がお父さんには内緒だよと娘に言いながら、かなり高価な絨毯を買っていました。また、玄関マットとして小型のものを買い込む人もいました。
それにしても、ここの絨毯のお店に限らず、トルコ石の店でも革製品の店でも店員は、見事に日本語を話します。添乗員の言うには、日本語に限らず、英語、フランス語、ドイツ語なども流暢にしゃべるそうです。トルコの田舎ではバスで通る観光客相手の商売が生きる手段で、人は、生きるためなら必死に何でも身に付けられるのでしょうと言っていました。
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30分ほど走って、ネビシェヒルという町のEVRANOSという洞窟レストランに着きました。
普通のレストランと違って、テーブルも長椅子も、そのまま岩を彫り残して、作られています。
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食事は、豆のスープが2種類出て、メインは鱒の焼いたものにポテト、ライス、レモンが添えてありました。そして、デザートは見た目には白い豆スープと似たもので、味はプリンのようで甘いものでした。
なお、テーブル上には、醤油が既に置かれていて、ナイフとフォークであることを除けば、焼き魚を食べるのに問題はなく、美味しくいただけました。
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また、30分ほど走ってカイマクルの地下都市に着きました。カッパドキアには多くの地下都市が存在するそうですが、その中でもここは2番目の規模とのことです。
バスを降りて、土産物屋が並ぶ道を歩いて、入口に向かいます。内部に入ると、いくつもの部屋がアリの巣のように繋がっていて、複雑で迷子になってしまうため、見学コースが決められています。地下都市は1960年代に偶然発見されたそうで、全体の構造はまだ把握されていないが、現時点では、地下8階まであり、数千人が暮らせる広さがあることが分かっているそうです。

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見学できるのは、地下8層の内4層までですが、軟らかい岩で、雨水が浸み込み、ひび割れて崩落の危険性もあるために限定しているとのことです。
とにかく幅が狭く、高さも腰を屈めて歩く必要があるため、大変疲れます。

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中には、ぶどう酒を造るための容器となるように岩を彫った場所もあり、粉を挽く石臼もありました。
キリスト教徒が隠れ住んだ場所ですので、十字架が刻まれ、礼拝のための場所もあります。
一箇所、最下層から地上まで真っ直ぐに貫く穴が明けられていましたが、これで全体の深さが分かります。これは通気坑で、岩を掘ったクズを外に運び出すのにも使われたことでしょう。
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30分で、ウチヒサールの要塞に着きます。左の写真の中央にそびえているのが要塞で、内部は頂上まで上ることが出来、絶景パノラマが眺められるとのことです。岩の表面に開いた多くの穴は鳩の巣で、火山性で痩せた土地のブドウ畑の肥料として鳩の糞を役立てていたのです。
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要塞の周囲には、岩をくりぬいた住居があり、現在もなお使われているとのことです。
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6?7分でギョレメ村が見渡せる展望台に着きました。村全体が大パノラマとして見渡せます。
それにしても、このような奇景の中に現在でも住んでいるのが驚きです。
右の写真の中央遠くに見える山は、海抜3,916mのエルジェス山です。
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また、10分ほどでパシャバー地区に着きます。ここでは、キノコ状の岩が見られます。
パシャバーとはパシャのブドウ畑という意味で、かつて、偉い人のための、特別のブドウ畑があったとのことです。
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次は、デヴレント渓谷で、ラクダ岩を見ました。ここも観光スポットです。
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最後は、エセンテペ地区の、三姉妹、親子岩、妖精の煙突などと呼ばれている岩です。
だいぶ日も暮れてきて、土産物店も店じまいを始めていました。
我々も、ホテルに向かいます。15分ほどで洞窟ホテルのAlfina Hotelに着きました。まだ午後5時近くでした。寒くなっていましたが、ディナーにはまだ間があるので、厚着をしてホテルの前の道に出て散策してきました。
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ホテルは、岩肌を掘り込んで作ってあり、電灯の光で美しく浮かび上がっていました。なんだか、メルヘンチックです。
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部屋の造りも洞窟の雰囲気が出ています。最近は洞窟ホテルと言っても、その感じがしないホテルも多いと聞きます。
最後に夕食ですが、葉物の野菜サラダと、色々な野菜と肉を煮込んだものに、ご飯が添えられたもので、温かくとても美味しかったです。日本人の口に合う味付けと言った方が適切かも知れません。また、自由に取って食べられる豆の煮物が大皿に盛られて置かれていました。
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トルコとエジプトの旅(5日目:11/2)・・・(旅行)

五日目です。今日は、午前中にヒエラポリス遺跡と石灰棚を見学し、410km走ってコンヤに着き、メヴラーナ博物館を見学して宿泊です。
Thermal Colossaeは大きなホテルで860人も収容できますが、この地域は建物の高さが制限されているので、長い廊下から横に幾つも張り出すように2階建ての客室が建っています。
相変わらず早く目が覚めるので、6時30分には朝食を食べ終わります。今日も快晴です。ロビーを見渡しても、まだ誰も居ません。
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敷地内を見るとプールがあり、その向こうの室内には温泉プールがあります。
エントランスを写すと、流石に5つ星ホテルの美しさです。
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さて、7時半にバスで出発して、20分ほどでヒエラポリス遺跡と石灰棚の入り口に到着です。
南ビザンツ門を潜って進んで行くと、右側の遠くに円形劇場が望見できます。
ヒエラポリスと石灰棚と言いながら、ヒエラポリスは、円形劇場を望見するくらいで、ほとんどは石灰棚観光に費やされる旅でした。団体旅行ではやむを得ないことでしょう。
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進んで行くと、木の歩道になっていて、温泉が流れ出しています。最近は、温泉の量が減り、流量を制限しているので、これほど多く流しているのは珍しく、運がよいとガイドのケレムさんが言っていました。
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木の歩道が終わって、左に曲がって行くと靴を脱いで素足になれば、石灰棚に入って行けます。靴とソックスはビニール袋に入れて持って入ります。石灰棚表面を薄く流れる部分は、暖かくはないが、溝になっていて勢い良く流れているお湯に足を入れると暖かいです。
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石灰棚表面です。左は痛くないが、右のような形状の場合は素足で歩くと痛みを感じます。
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遠くを見ると、かつて温泉が流れ石灰棚が形成され、今は干上がってしまった棚が見えます。また、一番下にはパムッカレ村の池があります。
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素足で歩いた石灰棚から出て、さらに先端方向に進むと、まるで雪が積もったような雄大な景観が望めます。
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青いお湯を湛えた、絵葉書にあるような場所はないのかと、ヒエラポリス博物館の前を通り、石灰棚の領域の反対側に回ってみました。すると、ようやく青いお湯を湛えた綺麗な石灰棚が撮れました。昔は、どこもこのような景観であったのではと思います。
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集合時間が近づいてきたので、急いで戻りながら、もう一度ヒエラポリス遺跡の中心部分を撮りました。
この遺跡も、ゆっくりと見学したかったですね。
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石灰棚を後にして、コンヤに向かいます。車の窓からは、山も見えますが圧倒的に広い畑の広がりが多いです。しかし、今は取入れが終わったあとか、たまに野菜が植えられているのが見えることもありましたが、作物は見えません。
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2時間弱走って、例によってトイレ休憩です。ここは、「ヨーグルトにハチミツとケシの実をかけた」のが名物のようです。食べてみると、なるほど美味しかったです。
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また、2時間ほど走って昼食です。時刻は12時50分です。前菜は豆の料理で、パンの他にもトルコ風ピザが出ました。メインは、ポテトとピーマンを焼いたものに、ご飯と肉です。いずれも美味しい良い昼食でした。
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2時間ほど走ったところで今日泊まるRIXOSホテルの傍を通りましたが、バスはさらに20分走り、コンヤの市街に入って行き、インジェ・ミナーレ神学校の前で停車します。写真撮影のための短時間の停車です。コンヤを代表する建築美といわれる神学校で、1267年の建造とのことです。
なお、コンヤは、トルコでいまだ宗教色の色彩が濃い町で、伝統的なイスラム風の衣装を身につけた女性も多く見られます。
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コンヤの街をバスの中から撮りました。窓ガラスに反射して見難いですが、なかなか賑やかです。
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次に、メヴラーナ博物館に行きました。この博物館は元々、メヴラーナ教というイスラム教の一派の教会でした。メヴラーナという人が創始者で,旋回舞踏といわれる踊りで,くるくる回りながらどんどん恍惚の世界に入って行き、悟りの境地に入るとのことです。
トルコ共和国の創立後,初代大統領のアタテュルクが解散を命じ,この本拠地である寺院を博物館としたのです。これは、異端の宗教が争いの元になるのを廃し、しかもメヴラーナを否定することまではしないという、賢明な策とされているようです。
内部には、靴にビニールのカバーを着けて入ります。博物館内には、メヴラーナその人の柩の他、聖職者の柩、金箔の装飾を施された古いコーランなどが陳列されています。
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博物館の外に出ると、老夫婦が孫を抱いていました。イキ、イキと言っていたのが聞き取れたのですが、イキはトルコ語で2なので、双子だと言っていたのでしょうか。それにしても、孫が可愛いのは、万国共通のようで、ニコニコしています。
バスで20分ほど戻り、RIXOSホテルに5時過ぎに着きました。入り口の回転扉が、メヴラーナの旋回舞踏を表しています。ここを潜ると、無粋にも空港と同じようなセキュリティーゲートを通る必要がありました。ブザーが鳴っても日本人はフリーパスのようですが。
25階建ての大きなホテルなので、夕食のレストランも大勢の宿泊客で混み合っていました。レストランの隅では、トルコ音楽の生演奏が奏でられていました。
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2010.11.09

トルコとエジプトの旅(4日目:11/1)・・・(旅行)

四日目になりました。今日は、エフェスの遺跡を見学するのが主で、途中 トルコ石と革製品の店により、パムッカレまで450Kmほどの旅です。
やはり、モーニングコールの前に目が覚めます。出発は7時30分ですが、朝食を終え、部屋に戻ると、窓からバスが駐車していて、その向こうにはエーゲ海が広がっています。今日も快晴です。
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昨夜撮れなかったホテル正面です。Grand Temizelのロゴが輝いています。
出発してしばらくは、海を見ながら走ります。
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1時間ほどで、トルコ石の店に寄ります。店員は皆な日本語が堪能で、チャイまで出してくれますが、女性陣はともかく29人中6人の男性陣は、全く興味なしです。何人かの女性が水酸化銅アルミニウム燐酸塩である鉱物を手に入れるために高額な支払いをしていました。家内も手ごろなものと、1つ買ってしまいました。
なお、トルコ石は、今の国名で言うならイランであるペルシャで多く産出され、トルコ経由でヨーロッパに広まったためトルコ石と呼ばれるようになったとのこと。また、古き時代に遊牧生活を行っていた人達に根ざすトルコでは、空が青く見える天気の日は、移動生活を行うにも楽であり、スルタンに至るまで殊更に青を愛する気持ちを持っていたとのことです。
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トルコ石のお店で30分ほど費やし、2時間ほど走ってトイレ休憩です。
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その後30分ほど走ると、セルチュク(Selçuk)の町に近づき、山の上にビザンツ時代の城塞が見えてきます。
そして、左手側に豊穣の女神アルテミスの遺跡の柱が1本だけ見えてきます。
古代の7不思議に数えられ、紀元前7世紀頃から120年かけて建てられたもので、直径1.2m、高さ19mの円柱が127本もあった壮大な神殿だったのですが、ローマ皇帝がキリスト教を受入れて以降、エフェスの住民もキリスト教に改宗する人が多く、アルテミス神は魅力を失い、神殿は破壊され、大理石の柱などは、教会建設に利用されたといいます。
なお、世界7不思議の不思議の意味は、不可解なものとのニュアンスはなく、必見すべきものといった意味だとのことです。
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アルテミス神殿跡の柱が見える通りから、右の方を見ると穴の開いたドームが重なったような建造物がありました。古く、崩壊しつつあるハマムの建物だとのことでした。
この通りは、歩道にライオンを模した柱も立っていて、遺跡の町らしい工夫をしています。
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お昼時になり、レストランでチョップシシの昼食です。チョップシシとは、羊の肉をあたかも焼き鳥のように串に刺して焼いたものです。飲み物は、石榴(ざくろ)ジュースを注文してみました。
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10分余しで、エフェスの遺跡に着きました。トルコ最大の遺跡で、紀元前12世紀に建設された都市国家です。最盛期はローマ時代で、小アジア属州の首都でした。
下の左の写真は、ヴァリウスの浴場です。
円柱の間を歩きながら、シンプルな構造のイオニア式、左右対称な渦巻きのドリア式、複雑な構造のコリント式などの説明を聞きながら歩いて行きます。
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1,400人収容のオデオン(音楽堂)です。右の写真は、音楽堂の上から見た市公会堂跡です。
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石柱と壁の間の石畳の道を進むと、右側に「メミウスの碑」が建っています。ローマの独裁官であった祖父のスッラを称える言葉が彫ってあるとののことです。
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道の左側に、いわくありげな石柱がありました。ヘラクレスの門のアーチ部分とのこと。石柱の右側には蛇が描かれていて、救急車のシンボルマークで、ギリシア神話の医神のアスクレピオス(Asklepios)の象徴とのことです。
道の突き当りには「NIKEの神」のレリーフがあります。写真の人気スポットだそうです。
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ヘラクレスの門と、それに続くクレテス通りです。住民の家が立ち並んでいました。
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ガイドのケレムさんが、町の有力者の像が良く建てられていて、台座に言葉が刻んである。私は、ギリシャ語はよく分からないが「角のパン屋のイスメトは、奥さんが余りにもうるさいので自殺した。うそです」と言って笑わせる。
右の写真は、トラヤヌスの泉です。
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ハドリアヌス神殿です。前のアーチの中央には幸運を司る女神ティケが彫られていて、後ろの門の中央上にはメデューサが彫られています。
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古代の公衆トイレがありました。前には木も植えられ人が集まる場所であったようです。座ってみましたが、直ぐに50クルシュとケレムさんの声がかかりました。確かに、トルコでは有料トイレの料金は大体が50クルシュですね。でも、下の水の流れる溝まではずいぶん深く、現在のトイレより快適そうです。
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ローマ帝国時代アジア州執政官だったケルススの息子が父の墳墓の上に築いたケルスス図書館です。現在残っているのは、列柱と正面部分だけですが、ローマ帝国のアジア州では、アレクサンドリア、ペルガモンにつぐ蔵書1万2000冊の大図書館でした。
正面の彫像は、知恵、運命、学問、美徳の寓意像のレプリカです。(本物はウィーンの博物館にある)
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ケルスス図書館の右にある門を潜って、直ぐ右に金網で覆われた小部屋の中に、豊穣の神のアルテミスの像がありました。胸には、豊穣を表す沢山の乳房が付いています。金網の目が粗いので、写真撮影が可能でした。美術史の本でしか見たことがない像が直接見られて感激でした。でも、アルテミス像は、エフェス考古学博物館にあるとの記述を見た記憶があるので、レプリカかも知れません。
そして、24,000人収容の大劇場です。今は3段に分かれた座席が残っていますが、当時はもう一段あり、全体で4段あったとのことです。
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大劇場は、近くではとても全体が写せないので、遠くからも撮影しました。
最後に、トロイが世界遺産でエフェスが世界遺産に指定されないことに憤りを感じているガイドのケレムさんが、日本に帰ったらエフェスを宣伝してくださいと言っていました。確かに、エフェスは世界遺産に指定されて当然に思います。
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エフェスの遺跡を見て、バスで30分ほどのところにある、革製品の店に連れて行かれました。革製品と言っても、革のジャケットやコートを売る店です。
チャイを飲みながら、ファッションショーを見ますが、一当たり済んだところで、客が3人引っ張られて奥に入って行きます。舞台裏で革の上着を着せられてモデルと一緒に舞台に出てのファッションショーです。犠牲になったのは、若い女性二人と、78歳の男性です。
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ショーが終わって、店の奥に通され、沢山の陳列品を見せられ購入を勧められると言う訳です。店員は、皆流暢な日本語を話し、言葉巧みに勧めます。
先に、ファションショウーのモデルに選ばれた、78歳の男性は、ワインカラーの革のジャケットを買うはめになり、他にも何人かの女性客が購入していました。家内も勧誘には抗し難くでした。
1時間ほどで、またバスに乗りパムッカレのホテルThermal Colossaeに向かいます。
3時間走って、夜の7時にホテルに着きました。
皆疲れて、添乗員がホテルから皆の鍵を受け取るまでロビーのソファーでぐったりです。
それでも、鍵を受け取り部屋にスーツケースを入れたら、食事です。定員が860人の大きなホテルで、レストランも大勢の人が食事をしていて、賑やかです。
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大半の人は、食事を済ませたら、お風呂に入って直ぐにベットに入ったと思われますが、中には温泉プールでひと泳ぎする元気な人もおり、また9時半からバーで始まるベリーダンスを見に行く人もいました。私もご多聞に漏れずです。
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面白いのは、男性客4名と女性客4名を引っ張り出し、4人一緒に踊った後は、1対1でも踊ります。これには客席は爆笑でした。
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turkey_129.jpgしかし、女性客の中で一人だけ踊り子よりも上手いのではと思われる人がいました。
この秘密は、後でエジプトのナイル川ディナークルーズで明らかになるのでした。


トルコとエジプトの旅(3日目:10/31)・・・(旅行)

三日目は、ダーダネルス海峡をフェリーで渡って、トロイ遺跡を見学し、アイワクルで宿泊です。全部で500Kmもの移動です。
まだ、体は日本時間とみえて、6時のモーニングコール前に目が覚めます。6時15分には、スーツケースを扉の前に出し、ホテルレストランで朝食です。食事を終わっても、時間に余裕があるので、ホテルの正面玄関をはじめ、周囲の写真を撮りました。入り口脇には、昨日の結婚式の花輪が立てかけられて残っています。雲ひとつなく晴れ渡っています。

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マルマラ海を左に見ながら2時間走り、道路沿いにあるレストランで停止してトイレ休憩です。

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観光用のバスは、ベンツ製の同じタイプのものばかりが走っています。
ここで、お店の右側にあるトイレで、50クルシュ払って入ります。チップでなく使用料なので1リラ払ったらお釣りをくれます。水洗ですが、典型的なトルコスタイルのトイレでした。

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休憩ポイントを過ぎると、マルマラ海はダーダネルス海峡になり、2時間ほど走って11時30分に、フェリーの出るGelibolu(ゲリボル)と言う港町に着きました。ここのレストランで昼食ですが、焼きさばにポテトと春巻きのような揚げ物がついたものでした。飛行機の食事で確保しておいた、小さな容器に入った醤油が役に立ちます。小さい容器ながら、周りの人にも醤油を分けました。

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レストランを中にして、フェリーの停泊岸壁の反対側は、小型船舶のハーバーになっていました。エンジン付の小型船で、ヨットは無いようです。

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食事の後、休憩して12時20分にフェリーに乗ります。バスは先に乗っています。隣り合う桟橋にも別のフェリーが泊まっています。我々はLapseki(ラプセキ)に渡りますが、どこか違う港に向かうのでしょうか。

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いよいよ出向して、街が遠ざかって行きます。

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ダーダネルス海峡を行く動画もどうぞ

デッキを上に上がって行くと、操舵室(出港前に撮影したもの)があります。
40分ほど走ると、Lapseki(ラプセキ)が見えて来て、バスに乗り込みます。

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LapsekiからCanakkale(カナッカレ)を通り、1時間弱でトロイの遺跡に着きます。ドイツ人のシュリーマンが子供の頃より、ホメロスの書いたイリアスに登場するトロイの発見を夢見て、終に発見し、西洋社会を驚かせて有名になったトロイです。世界遺産でもあり、今回のトルコ旅行で期待を高めていた人の多い遺跡です。
古い石垣を巡って進むと、見晴らしの良い場所に出ます。

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現在では、海岸線は堆積により5Kmほど遠ざかっていますが、昔は直ぐ前が海であったとのことです。

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トロイはヒッタイト以前のBC3000からAD400のローマの支配の時代まで、栄えては滅びるという歴史を繰り返し、トロイは全部で9層にわたる都市遺跡を形成しています。すなわち、新しい王朝が進出して来たとき、旧来の遺跡を壊して新しく造るのではなく、遺跡の上に堆積された土の上に、手っ取り早く新しい都市を造ったのです。この構造が見える場所がありました。(下の左の写真)

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さらに進むと、古代に動物を生贄にして神を祀った場所があり、丸い井戸のように見えるところに、動物の血が溜まったことが分かっているとのことです。
これで、遺跡は終わり後は、トロイの木馬の余興です。

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ガイドのケレム氏によれば、シュリーマンはトルコ人から見れば、泥棒のようなもので、考古学者でもないのに、9層に重なった遺跡を宝物欲しさに、時代の積み重なりなど無視して、無茶苦茶に堀りまくり、遺跡を取り返しがつかないまでに破壊し、見つかった宝はドイツに持ち帰りました。第二次世界大戦後は、ロシアがドイツより持ち出しロシアの博物館が所蔵しています。現在では、トルコ人だけでなく、考古学者もシュリーマンを遺跡の発掘者でなく、遺跡の破壊者と見なしているとのことです。それでも、まだまだ西洋社会ではトロイはシュリーマンの功績との考えが根強く、遺跡としてもはや価値もさほどでないトロイを世界遺産に指定し、明日訪問するエフェスの遺跡の方がはるかに価値が上と思われるのに、世界遺産に認定されなていないと、憤っていました。

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トロイの遺跡を後にして、バスは今日の宿泊地のアイワルクに向かって走ります。
2時間ほど走って、TOROI Olive Houseと書かれたお土産品店でトイレ休憩です。

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その後、1時間弱で今日の宿泊のGrand Temizel Hotelにつきました。まだ5時です。
キーを貰い、部屋でシャワーを浴びて、7時から夕食になりました。

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トルコとエジプトの旅(2日目:10/30)・・・(旅行)

二日目は、エジプトを発って、イスタンブールに着き市内観光です。
体内時計は、まだ日本時間のためか、遅く寝たにもかかわらず、5時のモーニングコールの前に目が覚め、2日目の朝が明けました。5時30分から朝食は可能で、スーツケースは6時までに部屋の扉の前に出しておくようにとのこと。日本人はせっかちだから、大半の人は5時30分にスーツケースを出して朝食に向かいます。まだ早いので、レストランは閑散としていましたが、直ぐに我々のグループが入ってきました。外はまだ暗いです。食事を終えるころには、外も明るくなり、ホテルのプールなどもハッキリと見えてきました。
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朝早く目覚めて、7時の出発時間には余裕があり、ロビーで時間を過ごしたり、昨日は暗かったホテルの正面の写真を撮ったりしました。外国ではトイレ事情が日本と比べて悪いので、出発前にトイレも済ませます。
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予定通り、7時にバスは出発して10分ほどで空港に着きました。エジプトでは、空港に着いたら、入り口でセキュリティーチェックで、スーツケースも手荷物も上着もエックス線検査トンネルを潜らせます。その後、配られた出国カードを立ったままで、スーツケースの上などの不安定な状態で記入し、航空券を貰ってエジプト航空のカウンターでチェックインです。飛行機の出発の9時45分には、余裕があるので免税店の並ぶ辺りをうろうろしますが、人が非常に多く人気のショッピングモールの中を歩いている感じです。時間が経過して搭乗ゲートに進むと、何だか狭くて廊下の壁際にベンチを並べただけの感じで落ち着けません。そして再度セキュリティーチェックです。シャトルバスで延々と走ってようやく搭乗します。機種は忘れましたがAirbus A320だったような気がします。飛び立って、地中海に出て1時間ほどで食事が配られ、やがてトルコが見えてきて、2時間ほどのフライトでイスタンブールに到着しました。
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トルコの入国は、入国カードもなくパスポートにスタンプを押すだけで簡単に済みます。その後、スーツケースをピックアップすると、ポーターが待機していて、直ぐに台車で駐車場で待っているバスに運んでくれます。これから6日間乗るバスはベンツ製で、ガイドはケレムさんと言う人です。バスの横でサングラスをかけている人です。
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バスで旧市街に向かいますが、右側にはマルマラ海が見え、時々コンスタンティノープル時代の城壁が残っています。
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ブルーモスクと呼ばれている、スルタンアフメト・モスクとビザンティン帝国時代に建てられたキリスト教の大聖堂のアヤソフィアの間のスルタンアフメット公園前にバスが停まりました。流石に人通りが多いです。
ブル?モスクは、逆光で写真は暗くなってしまいましたが、アヤソフィアは綺麗に撮れました。
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ブルーモスクは、オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造されました。世界で最も美しいモスクと評されていて、世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られています。
ゲートを潜り、優美な壁に囲まれた前庭に入り、高いミナレット(尖塔)を眺め、一旦 前庭から裏庭に出て改めて、ドームに入ります。入り口では靴を脱いでビニール袋に入れ、女性は肌の露出度によっては布で覆う必要があります。今回の旅行では、覆うように言われた女性は居ませんでした。
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ドーム内部は、評判に違わず美しく、見事な紋様の飾りで装飾されています。また、メッカ方向には、最も色鮮やかなステンドグラスがはめられていて、人々が直ぐにメッカ方向を認識できるようになっています。
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入り口と反対側にあるドームの出口から出て、前庭からも出ると、先ほどと角度が変わって木立の間にブルーモスクが綺麗に見えました。
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ブルーモスクを見終わった後は、トプカプ宮殿を見学するため数百メートルの道を歩いて行きます。まず、トプカプ宮殿の「帝王の門」と呼ばれる門を潜り、第一庭園の木立に挟まれた道を進みます。
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第二の門は、「表敬の門」と呼ばれています。門の天井も美しく装飾されています。
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「表敬の門」の内部の第二庭園を進んで行くと、途中には地下貯水槽跡がありました。
そして、「幸福の門」と呼ばれる第三の門を潜ります。装飾も益々凝ったものになります。
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「幸福の門」を潜ると、スルタンの謁見の間のある小振りだが、豪華な建物があります。
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もちろん、天井の装飾も豪華です。
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この謁見の間がある建物の周囲は第三庭園で、その庭園を取り囲むように宝物殿があります。宝物殿は、衣類、装飾品、聖遺物などの展示室に分かれています。装飾品の展示室には、有名なトプカプの短剣、スプンー屋のダイヤがあるはずでしたが、余りにも混雑していて、見逃しました。どこかに貸し出していたのかも知れません。
また、ヨハネのターバン、モーゼの杖などが、聖遺物の展示室にあり、厳かにコーランの祈りの声が聞こえていました。それにしても、出エジプト記に書かれているようにモーゼが振り上げて海を分けたその杖とは、とても思えません。なんだか新しい感じでした。
宝物館の見学を終え、幸福の門から出て左の方を見ると、屋根から煙突が突き出しているのが見えます。ここは厨房で、5,000人の食事を作っていたと言います。もちろん、優れた料理人も広く集められ、この宮廷料理故に、トルコ料理は世界3大料理と呼ばれるようになったとのことです。
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トプカプ宮殿を後にして、ブルーモスク近くまで引き返し、宮廷料理とは比べるべくも無いが、カジュアルなレストランで夕食です。
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シシケバブが皿に盛られ、大きなピーマン?とトマト、ポテト、ご飯がお皿に乗っかっています。それに、チーズとパンが盛られた皿が出てきました。
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食事を終え、暮れなずむブルーモスクを見ながら、バスに乗り込み今晩の泊まりの「Grand Cevahir(グランド ジェバヒル)」に向かいます。
5時30分(きょうの夜中まで夏時間で、その時刻に従えば、6時30分)にホテルに着きました。まだ早い時刻で、明日の朝のモーニングコールは冬時間の6時なので、今朝よりはだいぶ余裕があります。
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2010.11.08

トルコとエジプトの旅(1日目:10/29)・・・(旅行)

トルコとエジプトの旅に家内と2人で出かけます。
第一日目は、日本を発ってエジプトのホテルまでです。
トルコがメインでエジプト観光は、1日半ぐらいです。
10月29日、成田空港に11時10分集合なので、少し余裕を見て7時半にタクシーを呼び、YCATから8時40分発のリムジンバスに乗りました。
交通はスムーズに流れて、10時10分ぐらいに成田空港に着きました。まだ、集合時間に1時間もあるので、レストラン階に上がって軽く腹に入れ、うろうろしている内に集合時間が近づいて、人も集まってきました。
今回の旅行の参加者は、男性6人に対して女性23人とのこと。そして、熟年夫婦の参加が大多数と思っていたが、若い女性の参加が多いのも驚きでした。
エジプトのカイロまでの航空券を受け取り、各自チェックイン。エジプト航空は、始めて乗る航空会社です。
チェックインを終えて、円をドルに換え、セキュイティーを通りますが、ブーツを履いている女性は皆脱がされています。上着も男女の別なく脱がされます。私もカメラ2台と旅行用の小物を少し入れた持ち込みバッグを、全ての物を取り出して調べられました。本当に、塵(ちり)まで取り出す感じでした。APECが迫っているからか、これほど厳しいセキュリティチェックは初めてです。
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セキュリティチェックを過ぎると、出国審査ですが、これはスムーズに通過できました。
そして、シャトルに乗り、サテライトに向かいます。
免税店が並んでいる前を通り、搭乗口に向かいます。
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登場時間が来て乗り込みました。Boeing 777の機体です。前の座席の背に液晶ディスプレーがあり、映画を見たり、音楽を聴いたりできます。映画の字幕がアラビヤ語なのが、なんとも・・・。それにしても、エジプト航空のビジネスクラスの座席はジェラシイーを感じますね。
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13時10分発で、カイロまで13時間30分の予定ですが、動き出したのは13時40分ぐらいでした。そして、日本海上空に達したころ、飲み物と食事が配られました。確か、ビーフ、魚、チキンのチョイスだったと思うのですが、私はビーフ、家内は魚を選択しました。思ったより美味しかったです。エジプトでは、生野菜を食べると洗う水に雑菌がいるので下痢になると聞かされていましたが、この野菜は成田近郊の調整なので大丈夫でしょう。水は木曽のもので、”KISO”と蓋に書かれています。
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飛行経路と現在位置ならびに速度、外気温度などがスクリーン表示されていますが、前の座席の背のディスプレーにも表示できます。北京の北側を飛び、タシケント、カスピ海を横切り、カイロに向かいます。モンゴルを過ぎたあたりで、サケのおにぎりとどら焼きのおやつが出ました。
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トルコの南に達した頃、2回目の食事がでました。
今度はチョイスは無くて、海老と蟹を使ったおじやのようなものでしたが、これも美味しい。それに煮物、蕎麦がついてデザートには、果物を配してあります。そして、30分ぐらい遅れるのではと思っていたのですが、ほぼ定刻(20:30)にカイロ国際空港に到着しました。
カイロ空港は、撮影禁止とのことで写真は撮れません。知らなくて撮っているいる人もいるようで、あまりうるさくはないらしいのですが。
ともかく、飛行機から降りて、成田で買っておいたUSドルの一部をエジプトポンドに変え、添乗員さんに予め払って買っていただいた15ドルのビザをパスポートに貼る。そして、予め記入しておいた入国カードとともに差し出して入国審査を通ります。
入国審査は、何も質問されることも無く簡単ですが、ビザは形式的かも知れないが受入国が、入国を許可しても良いか身元審査をして発行するもので、お金のみで発行とは、何だかおかしい気がします。観光収入を相当に当てにする国としては、お金を取りたいのは当然で、ビザと言っていても入国税の収入印紙みたいな考えなのでしょう。それでも、成田の施設使用料、保安サービス料の2,540円の半額ですね。
入国審査を済ませると、預けておいたスーツケースをピックアップして、税関をスルーパスで通れば、迎えのバスが外で待っていて、ポーターが荷物を運んでバスに積み込んでくれます。
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バスで向かうホテルは、空港から10分ぐらいの”Iberotel”というホテルです。入り口でまた、空港と同じセキュリティーゲートを通ります。なかなか良さそうなホテルでしたが、もう夜の11時で日本時間なら徹夜明けの朝の6時です。皆疲れて鍵を貰ったら、部屋に入ってシャワーを浴び直ぐに眠りにつきます。何せ、明日のモーニングコールは5時です。
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